今日もあなたを思い出す
こんばんは。キュイです。
今日は、特別な日です。
命日。
私の母方の祖父の命日です。
そんな特別な日は、偲ばせてください。
私のおじいちゃん。
2006年5月27日に亡くなりました。
死因は不明です。
恐らく心不全とのこと。
そうなんです。なんの予兆もなく、突然でした。
実はこのnote、半月くらいかけて書いてます。
大切な人との思い出は、数時間ではさすがに書ききれないし、思い出しきれないので・・・。
ちょこちょこ想い出や色々書きたいと思います。
「優しいおじいちゃん」ではなかった
おじいちゃん、おばあちゃんの想い出といえば、大体は夏休みとかお正月とか、お休みの日に会いに行くイメージでしたよね。
私の場合は、母方の実家が割と近かったので、あまりそういうイメージではありませんでした。
小学校から近かったし、母が実家の向かいにある工場で仕事をしていたので、帰りに寄るところ、というイメージでした。
ちなみに父方の祖父母はいません。
父が子供の頃にすでに病気で亡くなっていたため、私は会ったこともありません。
時代が時代だったので、写真も少なく、正直あまり想い出というか馴染みもありません。
なので、私にとってのおじいちゃんとは、やはり母方のおじいちゃんです。
そんなおじいちゃん。
私の中のイメージは、「家にいる、家事をする人」。
というのも、おじいちゃん、私が小さい頃は単車に乗ってたんですが、正直お仕事してるところ、見たことなくて。
早くに辞めてるとのことでしたが、それがいつなのかはちょっと分からず。
ただ、家にいて、買い物とか担当で、たまに洗濯をしてる。
そんなイメージでした。
単車乗ってたってことは、仕事行ってたのかな?
そして、何より「寡黙」というイメージ。
口もへの字だったので、いつも怒ってるような感じだったかな。
でも、よく笑うおじいちゃんでもありました。
私が小学生の頃、母の兄が病気で亡くなったんですが、その葬儀のあとの火葬のとき。
火葬場が山の上の方にあったので、車で移動していました。
私は父の車、おじいちゃんたちは別の車です。
でも、途中でなぜか別の道を走り始めたんです。
私たちは下の道、おじいちゃんたちは上に向かう道。
そこで、おじいちゃんが車から首と手を出して、私たちに手を振っていました。
子供ですから、あ、手振ってるな、くらいにしか思わなかったんですが、母が「車から手とか首とか出してると、ちょん切れるんだよ」と言っていまして。
それがかなり強烈に頭に残っていて、おじいちゃん、もしかして帰ってきたら首と手がないのでは・・・?と思っていました。
帰宅後、恐る恐るおじいちゃんを見ると・・・はい。ちゃんとありました~(笑)
母の危ないという注意ということですね(笑)
これは、正直一生の笑い話です。
おじいちゃんのイメージを覆すようなほっこり?エピソードですね。
無口で頑固。それでも気遣いはある。
おじいちゃんは、本当に無口で頑固。
母や祖母に聞いても、大体そんな印象が返ってきます。
確かに私もそう。
ふとおじいちゃんの顔を思い出すと、大体への字の口です。
それだけ聞くと、すごい怖いイメージですよね。
でも、そんなことないんです。
私たちが今の実家に引っ越したあと、おじいちゃんはいろんな家事当番をしていました。
洗濯とお買い物、そして掃除。
母も祖母も、家の目の前の工場ですが仕事をしていたので、日中家にいるおじいちゃんが、お当番、というか役目だったのです。
まだ自転車にも乗れていて、買い物もほぼ毎日行っていました。
掃除も、床をクイックルワイパーのようなもので毎日。
めっちゃすごいですよね(笑)
さらに、家の裏で畑をやったりもしてました。
おじいちゃん、腰はちょっと曲がってたし、歩くのも遅かったんですが、結構活動的に動いてたんですよね。
なぜ「無口」なのか。
それはですね、返事などがうなづくだけ、とかだからです。
あまり言葉を発しないというか。
祖母と会話するときは、普通に喋ってたんですけどね。
今ならなんとなく理由が分かります。
恐らく、声を発すると、嫌な感じになっちゃうからじゃないかなって。
あまり良い性格とは言えない人だったので、口を開けば嫌な言い方になっちゃったりするから、自分からあえて喋らなかったのでは、と勝手に考えてます(笑)
違うかもしれないけど~!
でも、すごく気遣いしてくれるんです。
無言なんだけど、食事をしているとそっとティッシュを渡してくれたり、準備をしていれば必要なものを差し出してくれる。
本当はとっても優しいおじいちゃんだったんですよね。
おばあちゃんとの掛け合いも本当に面白かった。
一見、ケンカしているんです。大きい声で。
でも、最終的にへらへらっと2人で笑っている。
本当に可愛い夫婦。
そう。全然ケンカじゃないんですよね。
ようするに、これが私の祖父母夫婦のカタチだったんですね。
突然すぎる別れ
おじいちゃんとのサヨナラは突然でした。
2016年4月17日。
私は第一子を出産。
おじいちゃんもニコニコ見ていて、息子を抱いた写真を見ると、愛しそうな目をしています。
でも、どこか寂しげ。
すでに何かを悟っていたのでしょうか。
そして、5月。
息子のお宮参りが終わり、お祝いのため実家で食事をしました。
その時も、息子をこっそり見つめていました。
後から妹に聞いたのですが、小さい声で「可愛い。本当に○○(名前)は可愛い。」と言っていたそうです。
もうすでに、何か感づいていたのかな。
その日は、息子を抱っこすることはなく、寝に行ってしまいました。
お宮参りから1週間後の5月27日。
今度は、私の産後1ヶ月健診が終了しました。
母が、出産後は毎日私の家に来てくれ、身の回りの世話をしてくれていたのですが、産後1ヶ月、特に異常もなかったため、この日で世話は終了に。
母は、祖父母に「とりあえずこれで一旦落ち着くねぇ」と言ったそうです。
その日の18時頃だったかな。
息子にミルクを上げていると、スマホに着信が。
妹からでした。
ミルク中だったんですが、なんとか上手く持って電話に出ると、
「おじいちゃんが・・・おじいちゃんが倒れて、息してないの!」
驚いた、というより、謎でした。
え・・・?いや、は?
そのまま答えました。
「え?大丈夫なの?救急車とかは?」
「うん、とりあえず大丈夫。落ち着いて。」
この後、どういう会話だったか覚えていません。
気が動転、というのはこういうことなんですね。
電話を切った後、とにかく落ち着かなくて、ミルクを上げながら、とりあえず早く飲み終わってくれ、と思ってました。
そして、まだ帰宅前だった主人にも電話。
・・・。出ない。
いつもスッと出るのに、こういうときに限って出ない!
そして、父にも電話。
まだ父が事業主でしたし、一緒に仕事に行っていたので。
こちらも出ない。
やきもきですよ。
とにかくこのことを誰かに話さないと、という思いで、ミルクを持つ手もイライラ・・・。
とにかくどうすることもできないし。
そして、なぜか今日に限って、主人が遅い。
もう心も頭もパニックでした。
とりあえずミルクが終わり、主人の帰りを待つ。
それまでの間に、主人から折り返しの電話がかかってきました。
事情を説明しましたが、とりあえずもうすぐ帰るとのことで電話は切れました。
それから少し経ち、父と一緒に主人が帰宅。
父は楽観的でした。
「まぁ、もうだめやら。息してないんやら?仕方ないわ。いつか死ぬんやで。悲しむことないわ。」
そう言って笑って帰っていきました。
私を元気づけようとした言葉だと思います。
でも、当時の私にはそんな言葉通じません。
なんでそんなことが言えるのか。
まだ死んでない。
私は信じられない思いでいっぱいでした。
そして、妹から連絡があるまでずっとソワソワ。
食事も手につかない。
19時過ぎくらいでしょうか。
妹から電話が。
「ダメやった・・・。」
もう理解ができませんでした。
だって・・・。元気だったから。
当日は会ってないので分かりませんが、体調が悪いとかも聞いてなかったし、元気だったはずなので。
もう少ししたらおじいちゃん帰ってくるから。
そう言って電話は切れました。
私は、理解が追い付かなかった。
何を思い立ったのか、とにかく写真を印刷しなければと思いました。
おじいちゃんの思い出の写真を。
おじいちゃんが帰宅する前に、コンビニに寄って何枚も写真を印刷しました。
なんで写真を印刷したのか、今もよく分かりません。
恐らく遺影を探したのかも。
とにかく信じられなくて。辛くて。訳分からなくて。
さらに、一番下の妹はこの日、韓流アイドルのライブで名古屋に行っていました。
車で行ってたそうで、あえておじいちゃんのことは伝えず、気をつけて帰ってきて、とだけ言っていたそうです。
そして、おじいちゃんが帰宅。
私はまだコンビニで写真印刷中で、慌てていました。
そして、実家に向かう。
着いたとき、一番下の妹も帰宅していました。
母屋の方で、真ん中の妹と話をして、泣いていた。
私に気づいた母が、離れにおじいちゃんいるから、と教えてくれました。
私は恐る恐る離れに入りました。
すでに葬儀屋さんや、親戚の方が来ていて、説明を聞いていました。
私は静かに部屋の隅に座りました。
そのときふと、おじいちゃんが見えました。
寝ていた。そう見えた。
母が私に気づき、頭を撫でた。
「驚いたね。ビックリしたね。」
静かに涙が流れた。
まだ現実を受け止めることができませんでした。
葬儀屋さんが帰った後、親戚の方に会釈をしました。
母が、近くに行っていいと言ったので、おじいちゃんの近くに行きました。
寝ていた。寝ているようにしか見えなかった。
でも、亡くなっている。
正直、物心ついてから、直近の人が亡くなるのは初めてでした。
一番直近の人が亡くなったのは、小学4年生くらいのころだったので。
あまりに不慣れなことで、戸惑いが大きく、どうしたらいいか分からなかった。
ただただ、涙が溢れました。
なんで、どうして?なんて言葉は出なかった。
あぁ、本当に亡くなったんだ、という感覚もなく、何とも言えないふわふわした状態でした。
その後、母屋に移動し、どういう状況だったのかを聞きました。
夕飯を18時過ぎに終えた後、飼っていたメダカを近所の人が欲しがっていたので、母と妹が渡しに行ったそうです。
メダカを移しているとき、おじいちゃんはその様子をニコニコしながら見ていたそうです。
いつも夕飯後はお風呂に入るので、メダカを見た後、お風呂に行ったそうです。
母と妹はメダカを渡して帰宅。その後、自分たちの部屋へ移動。
祖母が、あまりにもおじいちゃんが長風呂なのが気になったそうで、お風呂場に声をかけたそうです。
でも返事がない。
扉を開いて、「おじいさん?!おじいさん?!」と叫んだそうです。
そのとき、母たちは2階にいたそうなのですが、1階から尋常じゃない祖母の声が聞こえたような気がして、降りて行ったそうです。
「どうしたの?」
すると、祖母が慌てて「おじいさんが!!」と。
母が慌ててお風呂場に行くと、おじいちゃんが倒れていたそうです。
母がおじいちゃんに触ったとき、すでに少し冷たく、息もしていなかったそう。
慌てて妹が救急車を呼びました。
そして、救急隊員の方がAEDを使用したりして、そのまま母と祖母が付き添いで病院へ。
このタイミングで、私に電話をしたそうです。
おじいちゃんが倒れていたとき、浴槽から出て洗い場に倒れていたそうですが、不思議でした。
身体が対角線上になっていて、なぜか枕のようにお風呂イスが頭の下にあって綺麗に倒れていたそうです。
まるで寝ているかのように。
そして、病院で治療なのか検査をして、死亡を確認とのことでした。
このとき、母の兄が名古屋の病院に入院中だったのですが、誰かが連絡したようで、電車で帰宅しました。
母の兄については、また12月に書きますね。
そして、みんな揃って、夜はおじいちゃんと過ごしました。
息子は主人が見ていてくれましたが、翌日は仕事だったので、私も朝方には帰宅することに。
不思議ですね。ちっとも眠れないんです。
元々、1か月の子供を育ててる真っ最中ですから、細切れ睡眠中だったので寝れないのも無理はないのですが。
みんなからは、子供もいるし寝たら、と言われましたが、そんな気にはなれません。
おじいちゃんの話をしていました。おじいちゃんを囲んで。
そして、朝方。
ゴロゴロしていましたが、帰宅しないといけないので起きようとしたところ。
祖母がおじいちゃんに話しかけていたんです。
「おじいさん。おじいさん。起きないかんよ。」
か弱い声でした。
涙がこぼれそうになりました。
そうだよね。辛いのはおばあちゃんだよね。
私は何も聞かなかったことにして、帰宅。
主人が仕事に行った後、また実家に戻りました。
全て綺麗にされていた
本当に突然の出来事でした。
普通だったんです。直前まで。
なんの予兆もなく。元気でした。
大きい病気だってなかった。
結果的に死因は不明でした。心不全、ということでしょうか。
もしかしたら時期的にはヒートショックもありえるかもしれませんが、結果分からずでした。
お通夜や葬儀は慌ただしく終わりました。
私も、こんなことは初めてでどうしたらいいのか分からず、とにかくできることをやるばかり。
何しろ、ちゃんと葬儀等に出席するのは小学生以来ですから・・・。
ふと思ったんです。
こうして、生身の顔に会えるのはもう最後なんだと。
もうこの顔は見れないんだと。
写真でしかもう会えない。
ものすごく辛く、悲しかった。
なんで急に。
最後、もっと息子に会わせてあげればよかったと思いました。
そして、後から聞いた話です。
葬儀が終わった後、冷蔵庫やおじいちゃんの部屋を少し整理したそうなんですが、これも不思議でした。
冷蔵庫には、いつもおじいちゃんが食べている漬物などの残りがあります。
それらを片付けないと、と思い探したのですが、ない。
全て食べ終わっていたそうです。
そして、おじいちゃんの部屋にも大好物が。
それは、キャラメルコーンと「ぐんぐん」という乳酸菌のジュース。
毎晩、たっぱに入れて少しずつ食べていたものを片付けようとしたのですが、これもない。ジュースの飲みかけもない。
どうやら、全て食べきって飲み切っていたようです。
余談ですが、おじいちゃんは「ぐんぐん」のことをなぜか「ぐるぐる」と呼んでいたそうです。
そして、亡くなった日の夕飯。
普段は、食事が喉に引っかかってすぐにむせるので、あまりたくさん食べないそうなんですが、この日はエビフライをたくさん食べたそうなんです。
「美味しい、美味しい」と言って。
なんなんでしょうね。
いつもは残ってるものが、全てなくなっていて、夕飯も美味しいってたくさん食べて。
それに、私の産後も順調で、もうひと段落ついたその日って。
まるで、知っていたみたいにピッタリです。
そんなことってあるんですかね。
それこそまさしく「突然死」だったはずなのに。
おじいちゃんには分かっていたんでしょうか。
今日もあなたを偲ぶ
私のおじいちゃんについてお話しました。
今日は命日。そしてもうすぐ今日は終わる。
お墓参りにも行ってきました。本当に簡単にですが。
大好きなキャラメルコーンをお供えして。
近況報告もしてきました。
そして子供たちのお迎えの後は、車から降りませんでしたが、お墓の前の道を通って、ご挨拶してきました。
長男が1か月のときですから、何も覚えていません。
抱っこされている写真を見たことがあるだけ。
次男は恐らく存在も知らないと思います。
でも、こういうことは大切にしてほしい。
毎年挨拶に行こうと思っています。
お墓って、不思議ですよね。
だって、お骨があるんですもんね。
亡くなって、火葬されて、お骨になる。
そしてお墓に入る。
納骨、実はおじいちゃんのときに初めて見ました。
「同じ墓に入る」とよく聞きますが、こういうことか、と理解しました。
おじいちゃんのお骨を入れる際、このお墓に眠っている人たちのお骨がここにあるんだ、と不思議な感覚でした。
そしてお墓参りに行って、近況報告するときは、お骨にお話ししています。
だって、そこにいるから。
本当、不思議ですよね。
だから、たまに会いに行くんです。
何かお話したいときとか、決めたときとか。
家族ですから、ちゃんと話しておきたいんですよね。
歳を重ねるごとに、記憶も印象も薄れていくと思います。
でも、できる限り覚えていたい。忘れることはきっとない。
私は、今日もおじいちゃんを思って生きているよ。
いつもありがとう。