#1 【見かけの年齢となかみの年齢】


東京NSC30期
クインテットというコンビの佐藤大河です。

今日から気が向いた時に自分が書きたいことをみなさんにも興味を持ってもらえる形で発信していこうかなと思います。 

先日、26歳になりました。
ありがとうございます。みなさんの心の中の「パチパチ」が聞こえてきました。嬉しいです。

まあ25歳の時点で四捨五入するとアラサーですが、26歳はより一層アラサー感が強い年齢だなと感じませんか?(僕だけかな?)

そんな26歳佐藤大河はですね、一見26歳に見えないそうです。「見た目の年齢」が低いです。

というのも、見た目が「大学生っぽい」らしいです。これはあんまりいい意味で言われていないような気がします。

「なんかニヤニヤしていて落ち着きがない」
「世間知らずっぽく見える」
「そのパールネックレスはなかなか26歳でつけられない」

これらが世間から若く、いや正確に言うと幼く見られる要因だと思います。

(あと頭の円周が人よりも圧倒的に短いことも理由の一つだと思います。)

確かにみなさんが感じるであろう「幼さ」は毎朝12時ごろに鏡に写されているような気もします。

でもですね、自分の中では、見た目は子どもでも中身は(頭脳も)大人だと思っています。

いや、ごめんなさい。

大人とは言わないまでも大学生とは言われたくないZeと思ってます。


では、「なかみの年齢が高い」とは何でしょう?

よく「精神年齢が高い」とか「人生2回目なんじゃない?」という言い方で「なかみが大人」を表している方が多いと感じます。

では、これらに共通することは何なのでしょう?

1つは、「知識や経験が豊富」な人ほど大人に見えるのではないでしょうか?

語彙力がある、生活術をたくさん知ってる、職歴が豊富、結婚や出産経験がある、その他人がしてない経験をしてる、、、など

これらに該当する人を見ると、
横浜っ子の僕ががつい、

「あ、大人やな」

って言ってしまいます。


正直この1つ目までだと僕自身そこまで当てはまってるとは感じません。ただ、語彙力はあります。まだ、爪を隠しています。

もう1つはですね、「自分を客観視」できているかどうかじゃないでしょうか?

現代文では、「メタ認知」と言われる言葉ですね。要は、自分をいかに自分と切り離して見れるかということを指します。

僕はですね、ここにこそ自信があるんですよ

というのも、僕自身、自分がどう見られているかということに対してものすごく気にしてしまう、繊細さんやHSPという類の人間だからです。

(基本的に最後の餃子は食べられないため、指スマで誰が食べるのか決める方向に持っていくくらい繊細です。)

さらに、相手がどう思うかを考えすぎてしまいます。ここも「なかみの年齢」の高さに影響すると思います。

典型的なのは、「何かを言わない」ことです。

最近では、コンプライアンスが厳しくなっていて、気にする方が増えてきたような気がしますが、


その人たちの気持ちを慮って、その人たちが傷つくことを「言わない」ことを指しています。

これも「自分がその人だったらどう思うだろう」と自分を離れて考える、客観視能力が必要になります。

まあこの文章を書くだけで、僕が大人なんだぜよ?ということは証明できないのですが、

「ちょっとはやるじゃん。胡散臭いけど。」

と思ってもらえたら嬉しいです。


最後まで読んでいただきありがとうございました〜意外と書いてて楽しかったので、またすぐ書きそうです。

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