フロレンティア17 悲しみの湖 COMO 一番悲しい差別


ルガーノから列車で40分、俺はコモという街に降り立った。
ようやくイタリアに戻ってこれたのだ。スイスに比べ物価は安いはずだ。どこか安いホテルに部屋を借りてゆっくりと眠ろうと思っていた。しかし、駅周辺を捜してみたが観光客が宿泊するゴージャスなホテルばかりで俺が泊まれるようなところは見つからない。ROMAやFIRENZEにあるような小さな安宿などはどこにもなかったのだ。

そのうち俺は湖に向かって歩きだしていた。最初はあくびをかみ殺しながら とぼとぼと歩いていたが、気持ちの良い朝がだんだんと俺の眠気を振りほどいてくれた。

『Lago di COMO』北イタリアの有名な湖だ。こんな場所が世の中にあるとは。本当に素晴らしい所だった。
貴族たちの別荘が湖畔に建ち並んでいた。湖上には水上飛行機が降り立ち そんな風景を見たのは初めてのことだった。金持ち達の避暑地に迷い込んだのである。
『日本で好きだったあの娘と一緒にこれたらなあ』本当俺が今見てる景色を彼女に見てもらいたい気持ちでいっぱいになった。
やっぱり、ミケーレやマルコ、 誰かとくるべきだったとこの景色を見て後悔した。こんないい所に一人できてもあの娘に見せたい、あいつにも見せたい、仲間に見せてやりたいという欲求に駆られるだけだった。
素晴らしい眺めの前で一人でいることがこんなにも苦痛に感じたことはなかった。孤独感に襲われながら湖岸を歩いた。

ふと、前を見ると4歳か5歳ぐらいのかわいいブロンドの男の子が歩いてくる。湖の方を見て楽しそうな表情をしていた。俺の目の前に来た時ようやくこちらに気がついた。その愛らしい顔が俺と眼が合った途端にみるみると恐怖の表情に一変した。

『チ、チネ-ゼ』(中国人)

そうつぶやくと、子供は泣きそうな顔であわててもと来た道を走り去って行った。その先には母親であろう人がいて俺の方を見ている。
その子は初めてアジア人を見たのであろう。
俺は本当に悲しくなった。

イタリアに来てから少し差別のような感じを受けた事は今までにもなかったとはいえない。そう、ルガーノでのコンパートメントの女性のようなことはあった。しかし、今回のように何もわからない純粋な少年をただそこにいるだけで脅かした自分の存在を感じた事が ただただ悲しかった。
生きていて今までで一番悲しい差別だった。
あの子が悪いんじゃあない。それを人種差別と感じた自分が悲しかった。

ミケーレに会いたかった。アンドゥにも、そしてマルコやラッガにも。あの中にいれば安らぐ。 たった二日だったが、でも孤独に耐えられなくなった俺はそのまま駅に向かい、FIRENZE行きの列車に乗り込んだ。

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