夏の雨に想う。
連日「線状降水帯」という言葉を耳にします。
数年前までは馴染みがなかった言葉です。
ゲリラ豪雨や集中豪雨とは違う、台風ほどではないもののその言葉を聞くとちょっと身構える…。
気象状況が変わったとはいえ、最近の天候を表現する言葉は少々物々しいというか、聞くと気持ちがざわざわするものが多いような気がします。
(猛暑、酷暑、炎暑なんて文字を見るだけでぐったりです。)
夏の雨を表す言葉が
「ゲリラ豪雨」や「線状降水帯」ばかりじゃ寂しいなぁ…。
ちょっと検索してみると古来から様々な言葉で表現された「雨」があることが分かります。
例えば
喜雨(きう)、慈雨(じう)、半夏雨(はんげあめ)、瑞雨(ずいう)、
穀雨(こくう)・・・。
美しい!!
眺めているだけで蒸し暑さでとげとげした心を潤してくれそう!
現代ほど気象学が発達していなかったからこそ惠みであり、時に脅威でもある雨の降るさまを、敏感に感じ取り表現してきた日本人。
誇らしいと同時に、日常あまりその美しい表現に親しんでいない自分が残念に思われます。
現代人は平安時代の人たちが1年で触れる文字の量を1日で浴びるそうです。
そう、触れるというよりまさに雨のように浴びている感じ。
その言葉の雨がどんなものなのか、
美しいものなのか、あまり意味のないものなのか…
浴びて心にしみ込んでいくものだから「瑞雨」のような言葉の雨を…
そう望みます。
(「瑞雨(ずいう)」とは「夏に生きる生命へもたらす惠みの雨」)
2022年度「ほぼ日手帳」の7月18日(月)のページ下に紹介されている
糸井重里さんの言葉でも・・・
『ことばというのは、意味だけの連なりではない。
そして、お話(内容)は、ストーリーだけではない。
きれいな響きや、こころやら景色やら想像させること、
気持ちのよいリズム、言ってないのに見えること、
そういったことがたっぷり入った「おいしいごはん」だ。』
言葉は慈愛の雨のようにしみ込むもの、心満たされるごはんのようなもの。
「暑い~ι(´Д`υ)」しか出てこないときこそ
それだけでない言葉を使っていきたいものです。
ちなみに『洗車雨(せんしゃう)』という雨をご存知ですか?
七夕祭りの前日に降る雨のことで織姫に合うために乗る牛車を
彦星がきれいに洗った時にこぼれた雫が『洗車雨』だそうです。
マイカーの汚れが落ちるような雨…なんて短絡的かつ情緒のない雨を連想した自分にガックリ。と同時に、大好きなひとに合う前は彦星もマイカーをきれいにするんだなぁ、一般人と一緒だぁと親近感も。
七夕前に降る雨を表現するためだけにある言葉。
言の葉をなんて贅沢に使うんだろう…と心がおいしく満たされました。(o^―^o)
厳しい暑さが続く長い夏になりそうですが、台風シーズンを迎えるにあたり災害級の雨が少なく済むよう心から願います。
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7月7日の七夕に願い事はしましたか?
す~っかり忘れていた情緒のない自分に溜息・・・。
娘は「新しい枕が手に入りますように。」と願ったそうです。
意外なトコ突いてくるなぁ~と心の中で妙に感心しつつ
程よく身の丈に合った願い事だけに、
「すぐ叶えたるわ」(なぜか大阪弁)と思ってしまいました。(笑)
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【今日の現実逃避】
冷房のきいた涼しい室内で、大きめの茶葉をゆっくり蒸らして淹れた
温かい紅茶。
ブルー&ホワイトのティーカップとふくよかなアッサムの香りが
しばし心に凪の時間を作ってくれます。(至福のひととき)
傍らに秋色の生地を並べてあーでもない、こーでもない…。
次の作品に何をつくるか思案中。
外の蒸し暑さを忘れるささやかで豊かな時間です。