すべてがFにならなかった場合の対処法11
今日は「絵を描くこと」について話そうか
小さなころから絵を描くことが好きで、
高校生になって美大受験を考えはじめた
そこから本格的にデッサンをはじめて、
周りの友だちが勉強している時間と同じくらい
デッサンをしていた
絵を描く、ということに多くの時間を費やしてきた
実は、「絵を描く」という行為は、
その対象をじっくり観察することからはじまる
丸いのか、直線なのか、
柔らかいのか、硬いのか、
動くのか、動かないのか、
対象がなんであれ、
じっくり観察して細かく分析する
自分が知っている情報を一度無くし、
はじめてそれを見るように、
客観的になって観察する
例えば、それが人だったら、
一番外側の皮膚だけでなく、
その中にある脂肪や筋肉、さらに骨まで見る
骨は、骨格標本のように見えるまで、観察する
動くだろう部分は、どこからどこまで動くのか、
その支点や全体の重心は、どこにあるのか
皮膚のたるみや擦れ、
関節の張り、筋肉の偏りから、
その人の生活スタイルが、なんとなく想像できるまで観察した
「絵を描く」という行為のほとんどが、
この観察にある
このことを、多くの人たち、特に絵を描かない人たちは知らない
一般的に、鉛筆や筆でキャンバスに描くことが「絵を描く」ことだと考えられている
だから、キャンバスに向かっているときが、
「絵を描いて」いる状態だろうと思われているけど、
それは違う
観察から始まっているんだ
観察しながら、視界の中で鉛筆を選んでいる
ここは6Bの鉛筆、ここは2Bの鉛筆、という具合に
意識していなくても、視界が鉛筆の色に、つまり白黒になっていて、
どの方向からどの鉛筆を運ぶのかが見えている
油彩や水彩、アクリル絵の具を使う人は、
メーカーや色を選んでいるだろう
時々、
「絵心がないから描けない」
「センスがないからできない」という言葉を
聞くけれど、
「絵心」「センス」って何だろうか
もしかして、「絵を描く能力」のことだろうか
「絵を描く能力」が、はじめから備わっている、
つまり生まれ持ったもの、というふうに捉えているとしたら、それは違う
多くの時間を費やして得た「技術」だ
「技術」というのは、
もともと「あった」り、
もともと「持っている」ものではなく
そのことに多くの時間を費やし、
観察し、考え、実践して少しずつ得ていくものだ
「絵心」や「センス」なんていう軽い言葉では片づけられないほどの時間を、
「絵を描く」という行為に費やしているんだ
はじめに戻るけど、
「絵を描く」ということのほとんどは「観察」で、
「観察」は、いつでもどこでもできる
電車に乗っているときも、
ご飯を食べているときも、
「絵を描く」ことができる
そしてその「技術」は、
そのことにかけた時間に比例して向上する、必ず
他の技術も同様だろう
さて、君は、まだまだ先が長い
これから何に時間を費やしていく?
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