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消えるのが怖いのは

こんなことになるなら、一人で部屋にいる方が良かった。俺は四角い箱の中で、酷く後悔していた。

孤独というものは、群衆の中にいるから認識するもので、何を求めることもせずに自室から出ない奴は、そもそも孤独というものを知らずに済む。俺もそれで良いはずだった。

それなのに、どうしてこんな場所に来てしまったのだろう。後悔先に立たず、溜め息は雑音に掻き消された。

インカレサークルの新歓に、何かを求めてやって来て、得られたものは『虚無』や『孤独』。
なんて皮肉なことだろう。

「ワンドリンクを取ったら、フロアの奥まで行っちゃって下さい」

見るからにチャラくて、遊んでいそうな男子大学生に迎えられ、実情を知った。

ああ、これは無理なやつだ。
自分が一番無理な奴らに、自分からなろうとしていた。女子を口説くのに慣れていそうな男がわんさかいた。

『今日、大漁じゃね?』

と、そんな声が聞こえた気がしたが、流石にそれは俺の気のせいかもしれない。暗いフロアの中で、ピアスやネックレスが妖艶な光を放っていた。
それらは、まるで夜空の星のようだ。

いつか昔、友人とプラネタリウムへ星を見に行った。星の解像度がどんどん上がっていって、自分の周りに人がいるのか不安になった。星だけが頼りだった古の夜が再現された時、俺は友人の存在すら感じ取れなくなって、その不安から手を横に伸ばした。するとそこに手触りが無くて、彼はとうとう星になってしまったのかと本気で焦った。俺は少し泣いた。あまりに綺麗で吸い込まれてしまいそうな星空が、涙に滲んで見えなかった。けれど、その空を断つような一条の光が差し込み、ドアが開いたのだと分かった。誰かが、プラネタリウムに入ってきた。よく見たらそれは友人で、彼は少し笑いながら、囁き声で言った。
「ごめんな、開始5分くらいでトイレ行きたくなっちゃって、我慢できなかった」
こいつを心配して損したと思った。さっきまでの自分が馬鹿らしかった。でも、自分は友人のために泣ける人間なんだと分かって、少し安心した。安心し過ぎたのか、それからは眠ってしまった。

回想から現実に戻ってきて、気付いた。
そうか、孤独な時に見るものは、強く寂しさと一緒に記憶に残るのかと。フロアで光っているピアスやネックレスの煌めきは、きっとまた思い出すような気がする。

誰かに声を掛けられた。

「これ、話しかけに行くの無理じゃないですか?」

俺は咄嗟に笑顔を作って、「え、ホントそれなです」と馬鹿そうな返事をした。声を掛けてきたのは、男子だった。そこから少し話をして、相手が日本大学の学生であることなどを知った。俺も自分の大学のことを少し話し、まるで二人とも一緒に来たような空気感を出せるようになったところで、別の男子ペアに話し掛けられた。

そのうち一人は、奇跡的に同じ大学で同じキャンパスの奴だった。そこでやっと、少しだけ来て良かったと思えた。数分間、俺らはその気まずい空間の話で盛り上がった。

そこからは、同じ大学の彼と共に行動し、誰に声を掛けに行こうかみたいな話をしていた。もちろん俺らは選べる立場ではないし、むしろ選ばれることが本望だった。だけど、これはまあ俺の偏見も少しあるとは思うが、インカレの新歓に来る女子というものは、イケメンに駆られたいというような欲望や下心を押し隠して控えめなフリをしているので、誰も自分から声を掛けに行ったりはしない。

男子も男子で、ほんとは頭から足の先まで下心しか無いのに、それをナチュラルに隠しながら、「マジでこんなとこ馴染めないっすよね!」なんて嘘を吐きながらホイホイと女子を口説いていく。

そんな中で本当に馴染めない俺らは、ただただ立ち尽くすばかりだった。けれど、彼が『おい誰かに声掛けに行けよ〜』と言ってきて、俺は変にスイッチが入った。
「バカヤロー、見てろよ」そう言った。

俺はその近くをウロウロしていた女子二人組に声を掛けた。「あの、お姉さんたち、今お話できますか?」と。彼は俺の後ろで、『え、すげぇ……』と感想を漏らした。

俺は束の間、勇者になったような気分だ。だけど、すぐに冷静になって思った。当たり前だ、俺には後が無い。中学時代を棒に振って、十字架とまでは言わないが、それなりに重い後悔と関係各所そして未来の自分への罪悪感を背負って生きてきた。それは誰よりも大きな失敗だったから、誰かがその失敗を分かったように言うのが苛立たしかった。ウザくてムカついて、仕方がなかった。でも、最初から分かろうとも知ろうともしない奴は尚更嫌いだった。高校に入ったら、自分よりレベルも志も低い連中が沢山いて、吐き気すら覚えた。だから、受け取れたかもしれない、そして返せたかもしれない愛や、思いやりや、親切や、自分への興味をとことん拒絶した。本だけが賢い友達だと思って、三年間没頭した。結果、自分の元には大した思い出のないゴミみたいな三年間と、なけなしの友達しか残らなかった。だから、大学だけは何かを残したいと願っているのだ。

女子たちは日大の子で、水道橋の辺りに通学していることを知った。だけど、それに相槌を打ったり、「良いですね!」なんて軽薄な発言をしながら、こう思った。

めちゃくちゃ馬鹿らしい。

大体、初対面の人のプライベートを知ったところで、何になると言うのか。当然のごとく、共通点はない。俺は共通点が無い奴に興味を持てるほど余裕があるわけではないので、話が全く弾まなくなった頃に、同じ大学の彼と退散した。インスタは一応交換したけど、退散して早々、俺は本音をこぼした。
「クッソ要らねぇ」

だけど、自分を変える一種の機会として、まぁ悪くはなかったかなとも思った。同じ大学の彼(もう友人と呼んでもいいだろう)に、「次はお前の番だぞ」とふざけながら言ったら、真面目な顔で『そうだな』と言って、群衆の中へ消えていった。俺はもうこれで充分だと思った。

インカレの新歓にはもう行かないだろう。
3000円を無駄にした。
ワンドリンクはお茶だったし、気の抜けたペプシコーラを一杯おかわりしたけれど、全然元は取れていない。インスタが交換できたのは、自分から声を掛けた女子二人組と、最初に仲良くなった日大の男子と、同じ大学の同じキャンパスだった彼だけだ。

実はここに来る前、高校の親友と電話をしていて、夜の麻布十番を散歩することになっていた。俺は赤羽橋駅から徒歩数分の場所で開かれたインカレの新歓に参加していたので、麻布十番までは近かった。

フロアを途中退出して、俺は赤羽橋の辺りを歩き始めた。やっと息がしやすくなった。東京タワーが見える。目と鼻の先だから、そこまで歩いてみる。

親友からLINEが来た。
『今、家出るね。ちょっと遅れちゃうかも』

夜の麻布を散歩したいだなんて変な誘いをしたのは俺なのに、遅刻の連絡までしてくれて、なんて良い奴なのだろうと思った。「良いよ」と返した。

俺は親友を待ちながら、東京タワーの周辺を歩く。何年かぶりに見る東京タワーは、とてつもなく大きかった。

東京タワーの足元まで来ると、鯉のぼりが沢山泳いでいた。さっきチャラい男が言っていた、『大漁』という言葉が思い出された。大漁の鯉は、圧巻だった。それらがいる事によって、青空は水槽になった。

小学生の時だか、利根大堰に行って、鮭が上流に向かって泳いで行くのを、透明なガラス越しに見た。鯉のぼりは、そんな記憶すら呼び起こした。

鮭や鯉は、死ぬのが怖いのだろうか。友達がいないせいで、死にたくなったりすることはあるのだろうか。多分、そんな事を考える暇もないくらい、生きるのに必死だと思う。

俺も必死に生きてみようと思った。
そうしたら、何も怖いことなんてないだろう。

東京タワーの近くに位置する、もみじ谷やプリンス芝公園という場所にも足を伸ばしてみる。池や小高い丘や、木立がたくさんあって、とても都会の中とは思えなかった。そよ風が心地よく吹いたので、俺は伸びをした。

芝生広場では沢山の人が寝転がっていて、牧歌的な風景だった。その横を通り過ぎ、まだ歩いていくと、『惣門跡』という場所に行き当たった。それは日光東照宮のような趣ある門で、そこまでの道程がすごく素敵だった。

親友と待ち合わせている時間が近付いてきて、元来た道を戻ろうとして、踵を返した。するとそこには、歴史ある建物と東京タワーが競演していて、目を奪われた。俺は写真を撮り、来た道とは逸れた道をあえて選んだ。

その道は、「小路」と書くのが相応しいような気がするほど、お洒落であった。だけど、その道を進んだ先は、さっきの芝生広場だった。意味の無い道を選び、振り出しに戻ってしまった。けれど、意味の無い道があることを知れたことに意味があった。今までの人生だって、意味の無い道を選んでしまったと思うことはあっても、その後の寄り道や帰り道でこっちを選んで良かったと思うことがあったではないか。そして、その積み重ねが現在であるならば、それで良いではないか。

今日のインカレの新歓は、振り返った時にそう思えるだろうか。あれは楽しい寄り道だったと。また、人生経験として良かったと。

今はまだ分からないから、歩き続ける。
俺は正解の道を選んで、駅を目指した。

麻布十番に到着して、外に出たら、夜になっていた。
駅を出てすぐの所にあるタリーズのテラス席は、インカレの新歓の最中に降っていたらしい雨で濡れてはいたが、ゴッホの名画みたいにお洒落だった。
その前で、俺は親友を待った。

程なくして現れた彼は、『雨で行くか迷った』と言った。けれど、それでも俺に麻布十番まで会いに来てくれた。俺は友達に恵まれたな、と思った。

夜の麻布は、とても綺麗だ。
ついさっき行ったばかりの東京タワーに、彼が行きたいと言うから、二人で歩いてそこまで向かった。

急な傾斜の坂があったり、暗い通りもあったけれど、二人なら何も怖くはなかった。東京タワーが近付いてくると、夜道は真っ赤になった。その光が石油ストーブみたいだったから、手をかざした。ちょっと暖かかった。

親友の彼は、写真をずっと撮っていた。

彼とは、高校1年・2年と同じクラスだったが、よく遊ぶようになったのは2年生からである。俺が高一の時にいたグループ(クラスの中では2軍)は何故か彼を仲間に入れたがらなかったから、繋がりはあっても、遊ぶことはあまり無かったのだ。けれど、そのグループも誰かが退学したり、誰かが他のグループに行ったりして、次第に集まらなくなった。そして、高二になった頃には自然消滅した。だから、それから俺は彼と遊び始めたのだ。俺は彼の向上心の無さやだらしなさについて厳しく咎めることも多々あったが、それでも見捨てる気には中々ならなかった。それは、彼が不意に優しかったり、俺が咎めたことをしっかり反省していたから。

けれど、高三の夏、俺が彼のためを思って出した〝宿題〟を彼は達成できなかった。
「これをやらなかったらもう見捨てるから」
そう言ったのに最善を尽くす素振りすら見せない彼を、俺はその夏が来る前にも、二回ほど見過ごしてあげたことがあった。だから、もうその頃には慈悲も何も無くなって、俺は氷のように冷たい言葉を投げつけた。

「お前の人生ってほんと、踏むことのなかった犬のクソみたいだよな。お前は絶対に何も成し遂げられない」

夏が終わろうとしていた。俺は好きな小説の中に出てくる辛い言葉を、そのまま言ってしまった。五ヶ月話しかけて来るな、と言った。その五ヶ月でお前が自分を変えれたなら、俺から声を掛けに行くと。変われていないようであれば、一生絶交のままだと。

それから、五ヶ月間、俺と彼は本当に一言も交わさなかった。けれど、辛いのは彼だけでなく、俺も同様だった。最初の一週間くらいは、自分の人生に不要な奴を排除できた、と喜んでいた。でも、月日が経てば経つほど、彼への憎しみや怒りは消えて、一緒に遊んだ時の笑顔ばかりが思い出された。苦しくもなり、寂しくもなり、残酷なことを言った自分が怖かった。申し訳なかった。謝りたかった。

五ヶ月が経過して、俺は彼のバイト先に行った。
俺が幾度となく背中を押して、やっとのことで彼が掴んだバイト先。ただ、俺はあまりここに良いイメージが無い。

まだ俺が五ヶ月間の決別宣言をするよりも前、梅雨くらいの時期のこと。彼がバイト先で熱中症になって、病院に入院することになった。原因を聞くと、どうやらそれは水分補給をしっかりさせなかった店長が関係してそうだった。彼は一週間ほど入院することになって、遊びの予定なんかも組めなくなった。あそこの店長が諸悪の根源。俺の中でのその店の評価は地に落ちた。大事な従業員に水分補給すら許さない、ゴミみたいな店長のいる店。そういう評価を下した。
だけどそこで、「ん?」となった。
諸悪の根源? それはそんな店に彼を合格させてしまった俺やんけ。俺がアルバイトに受かるように何度も背中を押してなければ、彼は今こんなことになってなかったやん。俺が多分悪い。あぁ、気分が悪くなってきた。
彼は点滴を打たれながら、瀬戸際で息をしている。そんなことを考えたら泣きそうになって、自分をひたすら責めて、あらゆることが手につかなくなった。
そこからの一週間くらいは、ずっと無気力だった。
だけど、俺が落ち込んでるのもおかしいなと思って、せめて彼の入院生活が少しでも楽しくなるように、俺は毎日、ふざけた動画をLINEに送った。そんな動画を送りながら、何度も「戻ってきてくれ」と念を送った。
祈りが届いたのかは、分からない。だが、彼はなんとか一週間ちょっとで回復したらしかった。
雨が続く日々だったけど、彼の退院日は晴れだった。

そんな記憶を振り払い、店に入った。彼は最初戸惑うような顔をしていたけれど、バイトが終わった後、笑顔で店から出てきた。俺は、酷い言葉を言ったことを謝った。そして、最後にこう言った。

「許すから、俺のことも許してほしい」

彼はこう返事をした。

「いや俺が悪かったから、そっちは悪くないよ」

それからの日々はまた、二人で笑顔を紡いだ。
カラオケに行ったり、西武園に行ったり、温泉に行ったりした。

彼のことを俺はもう親友だと思っているのだけど、彼はどうなんだろう。お互いに口をきかなかった五ヶ月が、彼にどんな効果をもたらしたのかは分からなかった。俺はその五ヶ月間で大学に受かり、彼は一応専門学校に受かった。

そんな彼が卒業間際に自動車免許をとると言い出して、俺は大いに反対した。なぜなら、彼は自転車でも事故るからだ。それに。
「絶対落ちるから金の無駄だよ」とも言った。
でも、彼は俺の意思に反して教習所に通い始めた。

彼は結果的に合格した。
卒業認定を受けるまでの小さなテストには何回か落ちたりもしたらしいが、彼は自分の力だけで称号を掴み取った。素直に凄いなと思った。
「おめでとう」と、彼にすぐDMした。

けれども。

俺はまだ、怖い。
彼が自動車で事故るという、悪い想像をしてしまう。
嫌な想像をし始めたら、何も出来やしないし前に進めないことも知っている。それでも。

彼の横顔が、東京タワーの赤い光に照らされている。
身体中の血管が、透けて見えているみたいだ。

お前は俺が思うより、ずっとしっかりしてた。
俺も人のこと言えるほど、しっかりした人間じゃないしね。

「おめでとう! お前の車には絶対乗らないけど」

そう言って普段から茶化しちゃうけど、本気で凄いと思ってるよ。お前がしっかり運転してたとしても、事故のリスクは車に乗ってるだけで付き纏う。だから、そんなことで早死してほしくない。ドライブとかも、出来ればあんまりしないでほしい。

でも、それ以外にも外に出るだけで『死の危険』なんていうものはごまんとあって、それは避けられない。だから、今を大切にするしかないんだよな。お互い、どちらかがモノクロになる想像なんてせずに。

消えるのが怖いのは、何歳までかな。
でもまだ、俺は消えるのが怖いよ。
お前が消えるのも、自分が消えるのも。

だからさ、生きてるって感じるために、また一緒に散歩しようよ。赤色に染まってる間、俺たちは安全なはずだ。

プラネタリウムには、お前と行ったんだっけ?
ああ、でも『江戸東京たてもの園』に一緒に行ったのは覚えてるよ。

帰る前に六本木ヒルズとテレビ朝日を見て帰りたいから、そろそろ行こうか。

東京タワーに背を向けて、俺らはまた歩き出す。
俺とお前のどっちかがモノクロになる前に、何回こうして散歩に来られるだろう。
赤色に染まりながら、次は青色に染まりたいなと思った。モノクロの想像よりも、次に染まりたい色を考えることにしよう。
俺はお前が、何色に染まるのか見届けたい。
だからきっと、もう見捨てたりはしない。

【完】

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