人は自分の鏡
じぶんのまんなかを生きるワークショップというオンラインのカードリーディングのワークショップがあって出たり入ったりでしたが参加させていただきました。
絵描きchicaさんが開催されたオンラインのワークショップです。
絵描きchicaさん
chicaさんの主催されるいっちサロンに入っています。
そのサロンは期間限定ですでに終了したのですが、昨日がそのサロンの特典としてついていたワークショップの日でした。
chicaさんを知ったきっかけなどはこちら↓に書いてますので見て頂けたら嬉しいです。
ワークショップの内容も素晴らしかったのですが、参加されていた方々とその空気感の優しさに驚き感動しました。
皆さんの笑顔や優しそうな眼差し、かわされる言葉などを聞きながら心地よさと安心感に心が洗われた気持ちがしました。
心がきれいな方には同じような方が集まるんだな…と本当に感じた瞬間でした。
人を優しい目で見る
最初から人のいいところを見ている。
誰でもいい人であるという前提。
人は誰もが存在するだけで美しくそして優しく大切な人であることを信じている世界。
そして人には無限の可能性があり、かならず誰しもその可能性が現実化し、その人の軸にある何か素晴らしいものが花開き実を結ぶ事を1mmも疑うことなく信じている世界。
それがわたしが感じるchicaさんの世界です。
そして地球人みんながこういう人だったら戦争は起きないだろうなって思います。
人は自分の鏡と言いますが、本当にそうだなって思いました。
自分がどんな人でありたいか、どんな人に囲まれていたいかは現在の自分自身がどんな人であるかによるんだな…って。
共通して感じた違和感
とてもお恥ずかしい話ですが、仕事を一緒にしたり、どこかで友達が出来たり、何か習い事などでお会いしたりする人々の中で過ごしているうちに毎回共通して自分が感じていた違和感がありました。
それはどこかで自分を大切にされていない感覚だったり、急にキャンセルされたり、自分だけ入れてもらえなかったり、愚痴や悪口を言われたり、嘘を感じたり、疑われている気がしたり、現れなかったり、自然消滅したり…
なんで毎回同じような気分になるんだろう?と思ってその度に妹に相談していました。
なんか人と合っていない感覚…
なんか人とずっと継続して居られない感覚…
妹いわく「外国人だからじゃない?」ってわたしの行動や発言が外国人っぽいから溶け込めないのではないか?と慰め(?)の言葉を言われていました。
マヤ暦でKIN131なのですが見てくださった方に宇宙人と定義されました。
その時正直ホッとしたほどで実は気に入っています。
気づき
昨日気づいたのはそれは私自身が感じる事と同じような心構えで人と付き合ってきたと言う結果ではないか?ということ。
もしくは自分自身がそういう人であるということ…
どこかで人に対して懐疑心を持ったり、信用していなかったり、最初からよくないところを見たり、出来ないところを見たり、とにかく優しい目で見ていたわけではなかったのではないか?
そのために自分にそれが戻ってきただけだったような気がしました。
私の太陽星座は山羊座なのですが、山羊座は不安が根底にあるそうです。(星読みのyujiさんのYoutube YT LIVE52でそのお話をされていました)
yujiさんについてはこちら↓を御覧ください。
不安が根底にあるということで妙に納得が行ったのですが、不安払拭のために石橋を叩いて渡ったり、何度も確認したり準備や下調べを完璧にしたり、警戒心が高かったり、騙されないように対策を取ったりする特質が備わっているのではないかと思います。
それによって身を守り用意周到・問題回避をしてきたので、人と接する時にも常にそういう疑ってかかるとか警戒するとか何か起きないための策として傷つかない様に先に距離を取るとかするところがあるのかもしれません。
逆に言うと、どちらかというと人の黒に近いグレーの面ばっかりに、目が行ってその人の本質とか優しさとか愛情とかを感じることが出来ないのかもしれないですね。
前提を変えたい
そして気づきの中で得た大きな気付きは私はそれが嫌だ感じているということ。
自分も優しい愛情深い人を信じて思いやりを持って人の良いところに目の行く、人の可能性を信じている人でありたいと思っています。
それであれば今自分ができることは自分がなりたい人に自分を近づけていく事。
もしも人を疑ったり愛情を信じなかったり、可能性を信じなかったりしている時があるのであれば、それにその瞬間に気づき見方を変えてみる。
それの繰り返しのような気がします。
無自覚なので確信はないしそうではないと信じたいのですが、ただ今までの経験を踏まえていくとそうではないのかもしれないなと…
感覚が変わったために気づくことが出来た
もう一つは愛情を感じられるようになったのがつい最近のことなので、その感じられるようになったことで、今まで見えなかったこういったことが見えるようになったのかもしれないということ。
愛情を感じられるようになった時のことはこちら↓に書いています。
ということは自分がそのありたい人に近づいているために見えるようになったのかもしれません。
ひょっとしたらその愛情に気づいた時点でもう変わっているのかもしれません。
自分が変わったからこそchicaさんの素晴らしさを感じることが出来る様になったのかもしれません。
そして自分が変わったからこそその場に入れたのかもしれません。
期間限定のサロンは終わりましたが、別のいっちサロンが始まります。
そちらにもいっちサロン的に言うと再乗車させていただきました。
いっちとは…
自分がそっち側(chicaさんのような)の人であったらいいなって心から思うようになれて良かった。
心の底から思うということがいっちなんだな…って今気づきました。
こうして心の底で思っていることと表面的にこうならいいなって思う事がいっちすることをchicaさんはいっちと呼んでいるんだって言うことにこの文章を書きながら気づきました。
ずっといっちってなんだろう?って思っていたんです…
愛やいっちに気づけたのでここからはもう少し何かがスピードを持って動くような気がしてきました。
自分にとって面白い展開です。
自分を俯瞰して見ながら様子を観察してみようと思います。