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看取るということ

我が家は人間二人に犬四頭の群れだ。
十数年は人間の仕事を中心とした生活だったが、
三年前から犬中心の生活にシフトチェンジをしたところであった。

四頭になるまでにいろいろなことがあったが、
この子たちを最後まで責任を持って飼うことは当たり前で
看取ることも覚悟をもって迎え入れたつもりであった。

長男と次男はペットショップ、三男と四男は保護犬だ。
長男は今年の7月18日で16歳になるはずだった。
長男は16歳の誕生日を迎える一週間前に虹の橋を渡った。

慢性腎不全がわかって一か月ももたなかった。
毎日、点滴をするために病院へ行った。
主治医から「点滴をストップすという選択もあります」
と言われたときには泣きながら帰った。
「まだ、生きる力あるよ。自分でも歩けるし」
しかし、日に日に弱っていく長男をみていると点滴で延命治療をしているのは人間のエゴなのではないか・・・。いや、命あるもの最後まで治療してあげるべきだ・・・。
自分でも何が正しくて、何が駄目なのかもわからなくなってしまった。

長男への尊厳と義務を果たすことは私たち人間二人しかいない。
出した答えは点滴をやめることだった。
点滴をやめて六日後の7月11日長男は旅立った。

長男はわたしたちに、看取ることの大変さを教えてくれた。
喪失感と無気力が襲いかかる。後悔が体中を埋め尽くす。
立ち直れないまま毎日が過ぎていく。

でも、残された三頭のお世話で幾分かは気がまぎれることもある。
私たち群れは本当に支え合っているんだとあらためて思った。

ペットを飼うということはそういうことなのだと・・・。
今は、3頭の息子たちを失うことが怖い。
この子たちとの毎日は当たり前ではなく、
この子たちからの幸せのプレゼントなんだ。
この子たちからのプレゼントをかみしめて過ごしていきたい。

今、次男が移行上皮癌の末期で看病中だ。
14年間私たちに幸せをくれた分、私たちは精一杯看病する。
葛藤しながらの看病だが、次男の瞳に映り続けたい。

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