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壁を破る100の戦
新年に何人かの友人と話をしていて今年は飛躍の年にしたいです、という声をいくつか聞いた。
「飛躍ってことは、つまりは飛ぶということだよな?いつ飛ぶの?」
「それは頃合を見て・・・。」
「それな、いつまでも滑走路が続いてくれればいいけどな。」
実際私自身もそうだ。飛べるものなら飛びたい。昨年が今まで生きてきた中で最も体調的にもコンディション的にも酷い年だったので、今年こそは羽を広げたい。
飛躍をしたいという意思は1月中は持つかもしれないが、来月はどうだろうかな。それくらい人間の意思というものは怪しいものなのだ。
飛躍ということは、つまり「自分の能力を拡大すること」に尽きる。そう考えると自分の能力を拡大するための取り組みとしてこれとこれを行う、と計測できる状態にしてしまった方が話は早い。例えば文章がうまくなるために今年はnoteの記事を100本書きます、というようにしてしまうことだ。
例えば文章じゃなくて、料理でも良いかもしれない。今年は料理を100種類素早く作れるようになるというのも素敵な取り組みだ。本気で何かに100回取り組むという事をしたらそれが負け戦だったとしても、ド下手からは脱するだろう。
ふとコーヒーの経験が今思い出された。今でこそイベントの要請があったり、自分が淹れたものが人に喜ばれたりしているけれど、ちょうど今から10年前、コーヒーの淹れ方なんて全く分からなかったし、味も分からなかった。すべてが我流で独で入れ方を探ってきた。「とにかくコーヒーが好きなんです!」という姿勢ではなく、どちらかというと消えないコンロの火のようにじっくりとやってきたな、という感じである。
3日に1杯休まず淹れる計算でいくと年間で約100杯のコーヒーと格闘することになる。単純計算でいくと10年ぐらいで10,000杯を越える。もっとハイペースでいくと6年ぐらいで到達する。その辺りで喫茶店のマスターから「コロンビアの入れ方がうまいね」と評価してもらえるようになったり、出会って間もないコーヒー嫌いの女の人から、「あの時に飲んでから自分でも習慣がつくようになってしまった。」と報告を受けるようになった。
そういえばその人は久しぶりに会ったとき、胸ぐらをつかまれて「私はね、あなたのコーヒーを飲んでから飲むようになってしまったのよ!その道に行かないのはどうしてなのよ!」と言われたことがあった。激しく熱がこもっていた。それほどの体験だっんだなぁと今でも思う。
最低限人前できちんと見せられる形にする、その業界で営みがある人に認めてもらえるようになる、つまり何かをモノにするということはそういうことだ。
これは3ヶ月や半年そこそこでそもそもモノにはならないし、色々やってうまくいった、いきませんでした、という判断も早計ということなんだろう。10,000回何かに打ち込んだ結果、何かの才能があれば何か形になるし、無ければ何にもならないということなんだろう。それは打ち込んでみるまでは分からない。
10,000回実践するために年100回何かをやってみるというのは中々現実的なラインだと思う。3日に1回何かをやっているという状態になる。考えてみると意外と忙しい。そして、これは職場で決められるような外からの目標でなく、自分が何に向かうかを内から決めたことでないと当然意味が無い。
昨年の末に友人が「自分たちが生きている世界に満足していないとか、感動がないとか、何か面白いことが無いかなと退屈そうにしているのは、単に自分たちが無能だからだ。」と言い放った。
審議のほどは置いておいて、私はそれを直感的にその通りだと受け取った。例えば世の中には面白いことが沢山あると思えないことや、心が打たれるという場面が無いということは、自分の感覚の性能が低くて、何もできないからではないかと考えるのは正しいことのように思う。
本を読みとく能力が無ければ数々の小説の名作や文学が何が素晴らしいのかピンと来ないし、音楽を知らなければ音楽の感動も無いだろう。食べるということを知らなければ食べ物は全てコンビニでOKということになる。それは人の文化の営みを否定して生きていくということになる。恐ろしいことだ。
ここ数日はやると決めて休まず3日に1度何かをやり続けている。(複数が同時並行だったりするので毎日何かはやっている。)この文章だってそうだ。公開していないボツもあるけれど少なくとも年間100の文章と格闘し続けるつもりだ。
10年後の文章は上達しているかどうか分からないが、何か見えてくるものが変わってくるだろう。少なくともこの先10年は退屈せずに済むなと思うと少しはすっきりした気持ちで臨める。
100の戦にだ。