今週はウーロン茶風呂

良く行く銭湯の「今週のアレンジ湯」はついにお茶になった。薬草風呂、ローズマリーなどは経験してきたが、実際の飲料が風呂になるとは。でも意外と茶の湯も悪くなかった。

週末公園で遊ぶようになって以来、時間感覚がおかしくなっている。あの世田谷公園でポケモンGoも花火もやらずに朝まで人を動かしたり話をしたりして遊んでいるというだけでまず普通でないのだが、それに加えてその同じことを夜通しやり通すというところがさらにおかしさを加速させている。ポケモンGoをやりこみに来ているユーザーを何人も見たが、さすがに10時間以上ぶっ通しで遊ぶ人は少ないだろう。朝の7時になってラジオ体操や少年野球の練習が始まるぞというのが暗黙の終了の合図となっていた。遊びに集まる面子は何と言うか「自分たちが時代にそぐわないことをしているな」という自覚も持ちながら健気に身体を動かしている。

途中何の拍子からか、一人ひとりが「人前で面白い話をする」という地獄の訓練が始まった。
・自分が何者であるかを紹介しない(珈琲やってますとかいうのは駄目)
・当然「立場」を使っての話も駄目
・表情、身振り手振りも禁止(顔を作ることでごまかしてはいけない)
・聞いている側も表情を作らずに不自然なリアクションは禁止

面白いというのは笑いを誘わなくてもOKだが、聞いていてこの話面白いから続きが気になるなぁという類のことである。これがやろうとするとまずできなくて本当に本当に難しい。聞いている聴衆の注目を自分に向けさせること、意識ではなくその場に流れている感覚をもとに情緒を使って話をすること(つまり前もって準備した話はだめ)

普段社会生活をしていると何かしら「立場」であったり「顔」で話すことのクセが身についているからそれを捨てるところから始まる。発案者は「人がわくわくするような面白い話のひとつもできなくて生きていくのは寂しいだろ?」とドラマの教師役並みに人を突き放してくる。でも確かに彼の言うとおり、「本当に面白い」ということは上記の制約の中でも成立させなくては駄目というのは紛れも無い本当のことであった。

そんなことを朝までやっているから意味不明な箇所が筋肉痛になったりして大変だったりするが、徹底して何かに身を置くというのはとても幸福なことだったりする。同時に何かができるようになるためには徹底して身体に叩き込まなければならないということでもあった。

遊び尽くして話尽くした後の朝帰りのデニーズのベーコンエッグモーニングとコーヒーは別格の味だった。それから銭湯の風呂上りのフルーツ牛乳、帰り道に買ってつまむ、唐揚げとハイボール、どれも美味くない分けがない!ああ、同じような夏がずっと続いてくれれば良いなぁと密かに思っている。

人が一番活性化するのは結局のところ「人と一緒に遊ぶ時」なのだった。



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