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夏の終わりに(1)

今では毎年の夏の恒例行事になってしまった、徹夜盆踊り遠征の3年目はいつもとは少し違った景色があった。知らない人のために解説をしておくと、「郡上おどり」とは平均して約1ヶ月間、特にお盆の間は、徹夜で朝まで通す岐阜県郡上市の盆踊りである。

通常、盆踊りというとご年配の町内の方がやぐらの周りを踊り、それを近所の人が観覧する、という風景を思い浮かべがちだが、郡上おどりではそのイメージを破壊されるだろう。完全に参加型の盆踊りであり、明らかに踊っている人の割合が徐々に増えて行くのである。

浴衣に下駄、という格好が一応のフォーマルの格好ではあるものの、Tシャツジーンズにリュックサックで加わるという人も少なくない。振り付けも難しくはないので、一晩踊れば大抵様にはなるという具合だ。曲目は全部で11曲あり、お囃子の奏者がランダムで曲を選曲する。もちろん生演奏なので、聴衆の反応を見て、同じ曲でもテンポを変え、台詞を変え、朝まで行く。

最後の曲が掛かるときには丁度、朝の日の出が上がるタイミングと重なる。一晩通して踊りきった人々の顔と対面し、「今年もここまで来ましたね。」「ええ、やりきりましたよ。」というような無言の会話のやりとりと謎の一体感がそこで起こる。


ー文化的なものが何故かどうしようもなく好きだー

盆踊りにもともと興味はなかったし、踊りをやっていた経験はない。それでも郡上に行くのはきっと皆が一緒にその場で「何かをやる」という文化的なものがどうしようもなく好きで仕方がないんだろうな、ということに最近気づいた。

昔、女友達と今は無くなってしまった渋谷の喫茶店に行ったことを思い出す。コーヒーとケーキを気の済むまで食べに行こうと誘ったことがあった。「さすがだね!私もそういうことしたかった!」と間髪入れずに返事が来て、待ち合わせることになった。タバコの吸える、品の良いお店だった。ひとしきり食べ終えた後、滑らかな洋銀のライターを彼女がパチン!と鳴らして、指先のタバコに火を点ける。

「タバコを汚く吸う姿が汚く見えるのはさ、灰の落とし方に愛が無いんだよ。」

と言って、トンと綺麗に灰を落としていた。あまりにも流れるような動作で、何てことを言うヤツなんだと感心した。控え目に言っても格好良かった。喫煙をするという文化の中に加わりと本当に思って景気良く自分も吸った。余談だけど、今は全面禁煙の喫茶店やカフェが増えている。当然服に香りがつくのが嫌だという言い分も理解はできるが、彼女のような「喫煙をするという文化」を持った人を目撃することももう無くなってしまうんだろうな、と思うと少し残念に思った。

今年の郡上遠征には友人を連れて行った。

楽しい観光道中と思っていたとしたら申し訳なかったが、色々なものを巻き込んでしまった。事前に立てたほぼ完璧な旅行計画を前向きな意図を持って途中から崩していった。何せよ、旅というものは現地に行って何か予測しないものが起こるから楽しいのであって、計画をただなぞっていったらその夏の唯一無二の思い出となるようなものは残らないのだ。そしてキーとなるのは間違いなくそこで一緒に何かをやった人であると本気で思っている。

今回縁あって、郡上の一軒家に一泊ホームステイさせてもらうことになった。

郡上の徹夜踊りが終わる日程と同時期に北の白鳥町の神社の拝殿で拝殿踊りがスタートする。お囃子は無し、薄明かりの神社の拝殿の中で生唄を順番に周りの人が歌いながら下駄を鳴らして踊る踊りは、何とも言えない原始的な雰囲気がある。

その拝殿に行く手段を読み違えて、友人と公共交通機関を使って山奥まで行こうと当日に考えていた。終電の長良川鉄道に乗る、そこからタクシーで山中の神社まで、行ってから帰りはどうするんだ、と調べた時に発覚した。帰りの電車は翌日まで無かった。

ホームステイ先のお父さんが、そこへひょこっと出て来て一言「そんな山奥の駅に(タクシーの)ハイヤーなどおらんで。皆で(車に)乗って行くかい」と声をかけてくれたところから旅が始まった。

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