箱庭に恋した、人形の詩。
・私は「私」と旅に出る。
VirtualReality(バーチャル・リアリティ)、「仮想現実」と呼ばれる世界があります。
その技術に私は心躍らせました。見た事のない世界、見た事のない現象、見た事のない在り方。視覚と聴覚の上では、物理法則を超える表現がもはや可能になったのは、私が言うまでもありません。
そういった感動もひと段落した頃、前述の世界の様相が、そこへ集う人々へも影響を与えている事に気が付きました。
社会との組み合わせの中で、身体的な、また時には精神的な、障害を考える人々や、時間的、また空間的な制約の障害を考える人々。性差、社会的地位、年齢、それらをとりまいていた「何か」がこの世界ではなぜかフラットになる。
そんな光景を、たびたび目にする様になりました。
そして次にやってきた驚きは、それらの人々と同じく、自分自身にもまた「何か」のフラット化が、気づけば進行していたことでした。
ある程度長く、この世界の空気の中で「何か」を忘れた状態でいた私は、ある日、すっかりと「何か」が溶け落ちた後、自身の心象輪郭が豊かに息づいている事に気が付きました。
「心象輪郭」とはこの場合、私を私たらしめている、純粋な存在定義の事を指します。馴染みのある単語なら「たましい」とでも言いますでしょうか。
ずいぶんと久しぶりに、私は「私」と旅に出る機会を得られたのです。
・夢の続きで息をする。
その時から私にとって、「VR」とは、
VirtualReality(バーチャル・リアリティ)、「仮想現実」ではなく、
VerticalReality(バーチカル・リアリティ)、「加層現実」と最定義されました。
私個人にとっての「現実」が「多層(加層)」状態になったことによって、心象輪郭からの俯瞰視点をありがたい事に得ることが出来ました。
これが、「己とは何か、世界とは何か」という問い(わかり難く言うと哲学に分類されるかもしれないもの)に、ちょっと信じられない暖かさを与える効果がある事を知ったのです。
その理由として、いわば、心理療法の一部である、「箱庭療法」を私を含め、多くのVR世界のユーザーが知らず知らずの内にセルフケアとそのフィードバックとして、日々繰り返している、という見立てがあります。
「ジブン(自己)とは何か」は、心象輪郭となった己の立ち振る舞いや、その瞬間の思考や感覚で、外圧によるバイアスを取り除いた、普段では辿り着かない答えを知る事となります。
「ヒト(他者)とは」、「セカイ(外側)とは」、といった普段なら強烈な指向性を否応なく掛けられる問いも、多くの法則の支配が、まだ追いついていない諸々の理由から、根源的な理由、「そこにあなたがいる」という最もプリミティブな要素まで削ぎ落して対峙することが出来ます。
これらが私がVR上で知り得た、最も喜ばしい成果で、今もその可能性がどこに行くのかを、指でなぞりながら、辿っています。
・ソフィーの見た世界。
ここで、読み手を不安にさせる一手をあえて打ち込ませていただきますが、私は「哲理」からなる「哲い」とされる世界で、いつも最後の疑問にあがるものがありました。
それは哲理と、断絶、孤独、求められる強靭さ、がいつも抱き合わせになっていた事です。
理に立つ者の孤独。識る者の隔絶感。それにより命を投げ出した先人のお話は、語るまでもありません。しかし、何度聞いても、私には納得が出来ず、ただそれは、私自身が単にそこに到達できていないからだという仮説でしか語りえぬものでした。
時間が経ちました。私は混ぜ、混ざり、鳥が飛ぶ理を識る前に在る様に、花が咲く理を識る前に微笑む様に、言葉に、定理に、表す以前の感覚で、
「知ろうとする事は愛着であり、隔絶ではない」
という事が、私の内へやってきました、ふと揺り籠の中で眠りを醒ます、暖かな、みどり風の様に。
私は「哲学」という言葉が、実は苦手です。
「明らかなること」、「賢きこと」、この裏には、それ以外は「否定される」という要素が、暗にただよっている気がするというだけの、私の偏見からです。
「明らかにして、そして?その先は?」と問いかけても、「以上。」とそこで手を離されてしまうような感覚で、そこがずっと疑問でした。
私が、私たちが、恋の様に焦がれた「知」とは、そんなものだったのでしょうか。命を賭したいと旅立った先は、隔たれた絶壁だったのでしょうか。
言葉遊びかもしれませんが、そんな時に私は「哲学」の語源に降り立ち、そこで小さく祈りを捧げるのです。
その語源は「φιλοσοφια(philosophia)」
「知る、を愛すること」にほかなりません。
未知を、異なるものを、否定しようとしたものさえ、いつかは全てに禍根を残すものであっても、それらすべてを「是我」として内側に抱きしめ、全てに浸透し、やがて「我」さえ溶け合い消えてゆく、到達点。
知を愛する者の終点はそこなのだと、今も思っています。
・根源の門、揺籃の庭。
前半で「何か」、とお茶を濁してきましたが、はっきり述べてしまうと、それは「社会性外因バイアス」とでも言われるもの。
「である」、「べきだ」、「なのだ」。これらは社会を構成する中で、個人が防壁として身に着けるスキルであり、同時に社会から求められる、定義しやすい標識でありました。
定義づけは平生の生活で行われる、莫大な演算処理をカテゴリ化する事で軽量化することが出来る一種の知恵で、同時に外的に差し出す名刺としても優秀で、形の無い符丁と言ってもよいものです。
符丁はいつしかライセンスとなり、ライセンスはいつか、人の頭を張り倒すお題目とすり替わりました。
ここでも私は、「明らかにすること」との共通点を感じてしまうのです。
明確化の防衛システムは時に、その内側より外への探究を阻止する檻へと変貌します。
思い出して下さい、空にクジラたちが飛び立ったあの日。闇に未知は潜み、小さなしげみはジャングルでした。小さな盤上を舞踏会に見立て、ネコやクマたちが踊り明かした、あの日。
私たちは知る事に飢え、知る事を確かに愛していました。
その頃をもう一度取り戻せたら、取りこぼしてきた選択の愛着へも、もう一度真摯に向き合え、知の終点までの道のりが、万人にゆっくりと開かれていく気がして、
それ故に私は、このVRの地で、執着とも見て取れる、愛を紐解こうとしているのでしょう。
私であり、彼女が、微笑みながら、天空へ飛翔する廃墟を、無機質な謎に包まれた迷宮を、極上に設えられた寝所を、喧騒を飲み込む街角を歩んでいきます。
彼女の存在としての再定義と、愛しく不可思議な世界の振興とが、対峙し共鳴し、剥き身の「在る」という事実を、今日も鮮やかに私の眼前で織り上げていきます。
ありがとう。またね。
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