嫌われる勇気って必要か。
こんばんは。今日もおつかれさまでした。
日が変わって月曜日、ということで改めて自分が金曜日に抱えていた不安を思い出す。
土日にひっぱり続けなかったということには、自分自身のどちらかというといい方向への変化を感じるところ。
金曜日はなんだかいつにも増して自意識過剰だった。自分の行動が人に与える影響、というものに意識の大部分を持っていかれていたから。
「上司が呼び出されたのは、何か私が迷惑になることをしたからではないか」
「私がした発言が意図しない形で、数メートル先にいる誰かに伝わってしまったのではないか」
ではここからどう思考したのか。
「それによって嫌な思いをしたのなら、私は嫌われてしまうのではないか」
ざっくり言うとおそらくこれにまとまる。
よく「誰からも嫌われない人なんていない」とか、「嫌われる勇気を持て」なんていうけれど、私はこれに対して反発してしまう。
いや嫌われずに済むなら、嫌われたくないわ。
その人に嫌われても、あんまり自分の人生に影響ないよね、ってことらしいんだけど、そんなものなのか。人から嫌われた、という事実は、私にとってとても大きいダメージになるんじゃないか?だって悲しいじゃないか。
嫌われるという可能性がある限り、恐らく私はずっと対人に恐怖を大なり小なり感じ続ける。無神経に自己中貫くよりは、まだましに見えるんじゃない?という言い訳みたいなことをセットにしながら。
結局は、好かれてる方が生きやすいよねっていう私なりの自己中につながる感覚なんだけれども。
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