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話す機会を失っていく。

こんばんは。今日もおつかれさまでした。

最近ふと割とはっきり絶望を感じることがある。
このさみしさとずっと付き合って生きていかないといけないということ。

この社会で生きていくためには、どうしたって人と関わっていく必要がある。それ自体に不満はない。私は人が好きだし。
例えば職場が変わるとか、結婚するとか、引っ越すとか、そういう環境の変化は、人同士の距離感を大きく変えるひとつの大きな要因だと思っている。維持していた距離感が動いて、ひとつの結果として話す機会が失われる。

それは決してお互いを嫌いになったわけでもなく、おそらく好感度でいうならば停滞の形になるのかな。学生という立場を卒業してここ数年社会人をしていて思うのは、毎日同じ場所に集まるということが人との距離感に大きく影響するということ。

中学の時毎日一緒にいたクラスメイトは高校入学後に割とすぐ接点がなくなった。以前の職場で本当に気の合った後輩は転職と共に接点がなくなった。

これを繰り返し続けて今の人間関係がある。
その繰り返しが本当にさみしくて、たまに諦めがつかない。
私があのタイミングで連絡を取れば?
そもそもあの選択で失った機会が多すぎたのではないか?

ただそれもすぐに、いや仕方がなかった、と思ってしまう。その選択をする理由が私にはあったし、避けようがなかった。

話せなくなった仲の良かった人は、きちんとひとりひとり思い出せる感覚がある。どんな話をしていたのか、私がその人のどんなところが好きだったとか、それからどうして話す機会が失われてしまったのかとか。

そして冒頭に書いたように絶望する。
あぁこれからも繰り返して生きていくんだなぁ、と。今持っている何かを失うんだ。

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