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他者がいて平和が成り立つ ~「異文化は共鳴するのか?」展 @大原美術館

こんにちは!Angieです。
夏休み初日の8月上旬、尾道に行きました。去年の秋以来に訪問する旅館で何をしようかと考えていたら、電車の中で「異文化は共鳴するのか?」という広告が。
 
「異文化の衝突」と言って思い浮かぶ事象の一つに“紛争”があります。例えば、イスラエルとパレスチナ。パレスチナ地域のガザに住んでいるアラブの人が徐々に閉じ込められて弾圧されている状況や、2000年近く自国を持たなかったユダヤの人々がイスラエルという悲願の国土を「手放さない」という執念など、この歴史を紡いでいる神の意図はなんだろう?と思わずにいられません。
 
「異文化の共鳴」という、現実に少しスピリチュアルみを含めたこの展示会のタイトルに心惹かれ、尾道から1時間ほど離れた倉敷にある大原美術館に行きました。 

大原美術館の中庭

展覧会では、異文化を体現した4つのテーマがありました。そこで改めて「混ざる」ことの生命力を感じましたが、特に2つのことが印象に残りました。1つは、「児島虎次郎」という画家の生き方。もう1つはテーマ別展示の中の「宗教・信仰」というゾーンです。
 

・パトロンから支援を受け、世界を回って文化を体感した児島

写真左:大原孫三郎(左)、児島虎次郎(右)
写真右:「和服を着たベルギーの少女」(児島虎次郎)
https://www.kuraray.co.jp/news/2011/111118

児島虎次郎は、今の東京芸術大学の西洋画科に入学。2年飛び級で卒業したり、出品した絵画が宮内省に買い上げられたりするなど、才能を認められていた洋画家です。
 
その児島を経済的に支援し続けたのが、児島より1歳年上の倉敷の実業家の大原孫三郎です。綿生産などで財をなした大原家は、病院や研究所の設立など、公益性の高い事業も展開していました。
 
大原の支援でヨーロッパに留学した児島は、西欧画の鮮やかさに衝撃を受け、美術品の収集を大原に直訴。初め、大原は渋っていましたが、購入品の展示が大反響を呼び、本格的な収集を児島に依頼。児島は留学も含めて計3回渡欧し、モネやマティスなどの西洋美術作品や、古代エジプトやペルシャ、中国の美術品を買い付けました。その後、美術館の建設が検討されていましたが、1929年に児島が死去。翌年、大原は、その収集品や児島の作品を展示する大原美術館を開館しました。
 
当時(1920〜30年代)は、今のように情報が溢れていなかった時代。児島の視点を通じて初めて西洋絵画や彫刻などを目にした日本人は、世界観が変わる衝撃を受けたこともあったと思います。例えば、和食しか食べていなかった時に洋食に出会った驚きのような・・・?地球上の異文化を目にして、好奇心を刺激された様を想像するとなんだか私もワクワクしました。
 
また、私の夢の一つは、世界中をまわって自分のインスピレーションを磨きたいというものです。そういう意味で児島虎次郎という“生き方”を知り、「人に援助されて世界を回る生き方もあるのか・・・」と刺激になりました。ただ、私にはまだパトロンがいないので笑、世界周遊の願望と眠っている才能(?)をひとまず高めていきたいと思います。
  

・メディアが確立されていない時代の宗教画。その表現力は「見えない力との共鳴?」

エル・グレコ「受胎告知」1590頃ー1603(大原美術館)

数多くの展示物の中でも私が驚いたのは、1600年前後に描かれたとされるエル・グレコという画家の「受胎告知」という作品です。
 
グレコは16世紀に活躍した宗教画家で、ギリシア人。ギリシア正教の宗教画家を経て、イタリアのヴェネツィアで修業を積み、スペインのトレドで宮廷画家として過ごしましたが、晩年は不遇だったようです。
 
はっきりとした色彩が特徴で、この絵も、まるで神の世界が目の前に現れたように感じます。グレコはヨーロッパの東から西まで居を移動しており、それぞれの文化を独自の技法に昇華した画家のようですが、このインスピレーションはどこから来たのか不思議です。
 
自由に羽ばたく天使、稲妻のようなひらめきを暗示する鳩、マリアの頭上に光る祝福。・・・私は、彼は多分「見えない力」につながっていたのではないかと思うのです。この絵は、宗教画を見る機会がほぼなかった私にとって「見えない力」の衝撃があり、これから趣味の一つは「宗教画鑑賞」にしようかなと思ったほどでした。
  

・光は光だけだとわからない 二元性で実感できる平和

AI画像生成した「光は光だけだとわからない 二元性で実感できる平和」


自分の地とは異なる文化が形成された悠久の時間に胸にとめると、出会えた感謝と形作られたことへの尊敬の気持ちが湧き出てきます。歳を経て想像力が豊かになっていることもあり、うっかりすると涙が出てしまうくらいです。
 
でも、ふと「文化」は人に宿っていると思いました。人が生まれ、歩んできた時間に感謝と尊敬があれば、そこから平和につながるのでしょうね。巨大な力が渦巻き、多くの人の自我を奪って発生している争いに心が痛みます。
 
日本を飛び出し何年も世界を周遊した児島にしても、ヨーロッパの東端から西端まで住まいを変えていったグレコにしても、異文化を自らの中に取り入れ、信念を表現の中に昇華した人生のように思います。
 
一方で、他者が在るから平和が成り立つと新たに実感しました。例えば「光だけだと光はわからない。闇があるから光がわかる」ということです。溶け込んでいたら何もわからない、異なる存在が安らぎをもたらしてくれると感じています。ですので、彼らのような“異文化に共鳴”した生き方から、他者を包み込む平和の在り方を思い巡らすことができました。
 
  

■大原美術館 特別展「異文化は共鳴するのか?」

参照


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