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物の値段ってなんだろうと考えた話【後編】

前編はこちら

お店の棚にクシャッと置かれた帽子を買ってみて、「その品を購入することで得られると期待される体験の価値そのもの」が値段に反映されているのではないか、という知見を得たのが前編だったが、そこでふと、宝飾品はどうなるのかという疑問が頭をもたげた。

最近宝石が気になる。身につけてよし、眺めてよしの美しいものなんて最高じゃーんという軽い気持ちで、宝飾店を見つけたら冷やかすようになったのだが、この宝石というものの値段がさっぱりわからない。
あらこんなに大きくてまばゆい宝石が…えっこんなに大きくて華やかでこのお値段?こちらは大分上品な様相…まぁさすがのお値段…きらめきが違うものね…
などと訳知り顔で独り言ちてみるけれど、ではこの指輪の相場はいくらぐらいでしょうなんて目の前に差し出されたところで、到底わからない。わかる様になったら、これはお買い得と得心できたものを購入しようと目論んでいるのだが、その境地はまだ先な気がする。

いつか自分で宝石買うぞと思いつつ、立ち寄ったスワロフスキーのお店で、あんまり輝いていたのでそのまばゆさに目がくらみ、つい買ってしまった指輪がある。
ぱっと見た感じ1粒ダイアの周りにぐるりとメレダイアがあしらわれているようなデザインだが、よく見るとそのメレには貴重な宝石を留めるために本来あるべき爪がない。つまりちょっとじっと見られたら「ダイアではない」とわかってしまうので、ただのおしゃれと割り切って、何の気なしに平日朝着けて、そのまま出勤した。

社内の自席に座りPCとにらめっこだが、そんな勤務中もキーボードを叩くたびに左手薬指に燦然と輝く指輪。なんともゴージャスな婚約指輪をつけてきたかのようで気分が上がる。なんとなくだが、隣に座る先輩の視線が左手に注がれているような気がする。気のせいかもしれないが…

それが気のせいではないことが分かったのは、午後の打ち合わせが終わった時のことだった、別の先輩がつと寄ってきて「今つけてるのってブシュロン?」と耳打ちしてきたのだ。もっと気の利いた人間であったら「うふふ…」と意味深な笑いで濁すところだろうが、まさかの一流ジュエラーの名の登場にあわあわして「いえっこれはほんのスワロフスキーで…へへ…」と卑下の笑いを浮かべてしまった。そして(なんかごめん…)という思いを、恐らく私だけでなく先輩も、お互い抱えたまま銘々自席に戻った。

隣席の先輩は打ち合わせに参加していなかったので、この指輪を巡る先ほどのやり取りを伝えたところ、「あー!私もその指輪気になっていた!」と言われた。デッカ(大)なダイアを先輩の前でぴらぴらさせられるほど心臓に毛が生えてはいないので、「いえこれはスワロフスキーなんですよ」と丁重に再びの説明をし、一連の段階は踏めたと細く息を吐いた。

にしてもである。小ぶりながら本物のダイアを身に着けたときは特に何も言われないのに、スワロフスキーの方が(よもやあれはダイアか)と衆目を集めたのはなぜか。ダイアに準じたきらめきを放っていたのであれば、両者の価格差実に50倍は一体どういうわけか。

もちろん材質の差異は大きい。ダイアは天然の鉱石で、対するスワロフスキーはスワロフスキー社によって人工的に作られた高品質クリスタルガラスである。
また、ダイアがあしらわれる指輪自体の材質としてプラチナや金といった貴金属が採用されることが多い。対して、スワロフスキーの指輪本体の材質は「ロジウムメッキ」とのことだった。店員さんは頑なに「ロジウムメッキだ」としか仰らなかった。メッキ部分は高価な金属であり高い耐久性と輝きを持つロジウムだと分かったとして、ロジウムの下の層は金銀プラチナではないだろうから、そういうところで価格差が出てくると考えられる。
なお、メッキという言葉のもつネガティブさからか(大抵「メッキがはがれる」といった慣用句で使われる)、スワロフスキーのホームページでは「コーティング」「プレーティング」という言葉が用いられていた。

きらめく最高水準ダイアをポポーンと買えてしまう層はこんなこと考える必要はないのだろうが、爪に火を灯すような共働き世帯であるがゆえ、本物のダイアを手中に収める必然性みたいなことをぐるぐる考えてしまう。素人目に美しさ・華やかさという観点から引けを取らないのであれば、差額分をその他レジャー費や服飾費に回せるぞと考えがちである。

素人目にダイアらしい輝きを放つものは以下となる。
・天然ダイアモンド
・ラボグロウンダイア(ラボラトリー・グロウン・ダイア)
・キュービックジルコニア
・モアサナイト
・スワロフスキー

こんなにも選択肢があってありがたい限りである。価格は天然ダイアが100とすると
・ラボグロウンダイア(ラボラトリー・グロウン・ダイア)が60
・キュービックジルコニアが1
・モアサナイトが1
・スワロフスキーが2~3
といったところだろうか(私調べ)。

天然か合成かという違いはあれど、どれもきれいだ。少なくとも上記の「石」をずらりと並べられて「どれが数値100の天然ダイアでしょうか」と問われても絶対にわからない自信がある。また万が一選べたとしても、散々首を捻って「これかな…」とようやく1個選び出す気がする。芸能人格付けチェックの出演陣を笑う資格は恐らく誰にもない。

もう全く分からなくなってしまったので、数値100のダイアをもつ友人に「その意義とは」「購入によりどんな体験を期待するのか」を聞いてきた。
「うーん、そうだねぇ…」
知的な彼女は穏やかに微笑む。
「付けてると自信が持てるとか、自分にそのものにふさわしい価値があると思えるからなんじゃない?」
他人事のように目を細める彼女に「あー確かにそういう側面あるかも」と知った顔で返してみた。

「ねえところで」、彼女が私の手元を指さす。
「それってスワロフスキー?すっごくキラキラしてる。かわいい」
そうスワロフスキーはかわいいのだ。そのキラキラは元気をくれるから何度だって光の方へ向けてキラキラさせてしまうし、こんなに輝く、しかし澄ましていないキラキラをまとっていられる事実だけで幸せなのである。
「えっキラキラしてる?嬉しい!」
思わず喜び沸き立つと、彼女は続ける。
「結局材質がどう、とかじゃなくて、もちろんそれもあるけれど、自分が好きなデザイン選ぶのがいいよね」

本当にそうだとしみじみ首肯した。いくらハイグレードな宝石や貴金属をふんだんに使っていたって、自分に合わないデザインのものなら手元に置いておくのすら落ち着かない。
他人が付けた価値とか、リセール価格とか、そんなものは万事二の次で、「自分が気に入った(少なくとも惨めな気持ちにはさせない)ものを身に着ける」ことこそが、一番自分に価値があると信じられる方法なのではないか。

思うに怖いのだ。化繊の着物を着て街中を歩いていたら、着物警察という方々に四方取り囲まれ手首捻り上げられたらどうしよう、とか、
天然ダイア以外を身に着けて出掛け、ふとテーブルに手を置いたら、隣でコーヒーすすっていた目利きマダムが「あらっニセダイアよ!」と叫んだらどうしようとか。
起こるはずのないことばかり恐れて、誰かの見立てた「一流」に取りすがろうとしてしまっているだけなのだ。

かつて先輩に高級ジュエラーと思われてとっさに卑屈な態度をとってしまったことを思い出して、スワロフスキーの指輪に謝りたい気持ちになる。

あなたは本当に素晴らしい指輪だし、それをご縁あって身に着けられるなんてとても誇らしいよ。
そう呟きながら撫でたら、いつもより気持ち多めにキラキラを返してくれるだろうか。





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仲 真理恵
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