物の値段ってなんだろうと考えた話【前編】
先日子供用の帽子を買った。
夏の盛りであるので、すでにどの店も夏物セール商戦真っ只中である。10%オフとお得になっていた陳列棚の帽子はどれも大変愛らしく、猛暑で家におこもりゆえ留守番していた子供にビデオ通話で、どの帽子がいいか確認したところ、私が2人に似合いそうだと思った品で同意を得られたので、購入することにした。
念のため他の店で見たよさそうな帽子もビデオ電話を介して確認してもらうことにして、一旦子供服店を離れた。足を運んだのはジブリグッズを扱う「どんぐり王国」。子供服店に行く前に、通りすがりにのぞいたところ、その入り口にうずたかく積まれたトトロの帽子がめちゃくちゃ可愛かったのである。例の灰色のトトロ(大)だけではなく、中トトロ、小トトロ、さらには猫バスを模したデザインのものまであった。隣でインバウンド観光客の集団が「イッ ソー キュー…!」とため息を漏らしていた。大変よくわかる。子供が被っているところを想像しても確実にいい味を出すこと請け合いなので、もし気に入ってくれるなら、と思ったが、念のためビデオ通話で確認したところ、すげなく「イヤ」とのことだった。
身に着ける当の本人が気に入らないものを買って帰ってもしょうがないので、後ろ髪引かれつつ、先ほどの子供服店に戻ることにした。すると、帽子の並ぶ棚の前には外国人旅行客と思しき家族が品定めをしていた。なんと、子が「この柄がいい」と指定した品を持ち上げているではないか。
残数は、手中の品を含めて2。ああ買われてしまったら元の木阿弥、子に買えなかったことを謝り、また一から質もよくかつ愛らしい品を探さねばならない。そう思案しながら他の品を見るふりをしながら様子を伺っていると、購入に至らないと判断したらしく、ポイッと帽子を棚に戻して店から一行は出て行った。
助かった…
そう思いながら手に取る帽子。クシャッと置かれ、それまで握っていたお父さんの手のぬくもりがかすかに残っていた。それをレジに持っていく。セール品なので決まった額の値引きはされるが、新品が奥から出てくる、なんてことはなく、レジを通った品はそのまま、我が家の所有する品となった。
しかし値段というものは不思議である。
この品が良いものだと思い、これを得るためならこの値段なら出してもいいと思って、お金と品を交換して、手中に収めた瞬間、それはその値段ではなくなる。そもそも、品を検分する客の手垢にまみれ、もはや中古品とも思えるほどなのに、私が購入して所有した瞬間、以降メルカリで送料以上の値段で売れるかも怪しくなる。
この差はなんだろうと思った時、気づいた。
私は何のために帽子を買ったかというと、我が子の頭を夏の照り付ける日差しから守り、その健康を維持するためである。また、ポップなデザインの帽子であり、いくらセール品でいろんな人の手に検分されたとはいえ、まだパリッと真新しく、子の瑞々しい愛らしさを引き立てるとも思えた。そしてこのお店で扱っている品なら、確かにそれが叶えられるという、これまでの信頼から来る確信もある。このサイズなら来年も被れるだろうから、夏の日差しが降り注ぐ6か月×2か年、約1年間毎日使い倒せるのならこの値段出しても惜しくないと感じた。
かたや私が管理していた品だった、つまり中古品だったらどうだろう。
ネット上で確認できる写真ではパリッとして見えても、実際は使用感にあふれヨレヨレかもしれない、写真には写っていないところに穴やほつれがあるかもしれない。自らが期待する日差しを避けること、そして子の愛らしさを引き立てることの2点が叶わない可能性がある。なので、新品と同じ程の金額を費やすことはできない(最も、ファン垂涎のレアなお品とかだったりしたら話は別かもしれない)。
素材とかの原価以上に、「その品を購入することで得られると期待される体験の価値そのもの」が値段に盛り込まれており、自身が見積もる値よりもその価格が低ければ、購入に至るのだろう。
しかしここで一点疑問が浮かんだ。
「宝石や宝飾品って、どういう立ち位置になるのか…?」
長くなりそうなので後編に続く!