見出し画像

My Bluegrass Collection #159

Buzz Busby
Going Home [2003]

01 Talking Banjo
02 Whose Red Wagon
03 The Lonesome Road
04 Buzz's Ramble
05 Lonesome Wind
06 Lost
07 Mandolin Tango
08 I Don't Know
09 Banjo Whiz
10 Windy Strings
11 Going Home
12 Me And The Juke Box
13 Cold And Windy Night
14 Reno Bound
15 Where Will This End
16 Tragic Highway
17 Don't Come Running Back To Me
18 I'll Cry Tomorrow
19 Love Is A Stranger

Starday label の Buzz Busby のクラシック録音で、CDで再リリースされたものです。 1956年から1959年の間に録音されたものと思います。スタジオミュージシャンには、Pete Pike, Charlie Waller, Scotty Stoneman, Don Stover, Carl Nelson そして Bill Emerson 等が参加しているだろうと推測します。

Buzz Busby  ------ Country Gentlemen の誕生
          Johnson Mountain Boys の誕生
Buzz Busby 本名 Bernarr Graham Busbice(1933年9月6日 - 2003年1月5日)
アメリカのブルーグラスミュージシャンでマンドリン奏者、ハイテナーヴォーカリスト。ワシントンD.C.ブルーグラスの父というニックネームで呼ばれていました。

1940年代後半 Busby は高校時代、友人でギタリストの Rot Fuller とバンドを始め、ルイジアナ州ウェストモンロー周辺で Bill Monroe の音楽を演奏することで、マンドリンとボーカルのスキルを磨きました。

Busby は1951年に高校を卒業しました。クラスの卒業生代表だった Busby は、当時才能ある若者を求めていた FBI に採用されました。1951年6月、Busby はワシントン DC 地区に移り、FBI で働き始めました。

ワシントンに到着して間もなく、Busby は FBI で仕事をしている時 Scotty Stoneman と出会い意気投合しました。2人の友情は 1973 年に Stoneman が亡くなるまで続きました。Stoneman を通じて Busby は当時軍人でワシントン地域に駐留していた Jack Clement と出会い、Clement の出身州にちなんで名付けられた Tennessee Troupers を結成しました。グループにはバンジョー奏者として※1 Roy Clark がしばらく参加しました。グループは 1951年から1952年は忙しく、Busby は週に 4 ~ 5 晩演奏していました。Busby , Clement , Scotty Stoneman は最初は地元で演奏し、その後ウェストバージニア州ウィーリングの WWVA とボストンの WCOP で活動し、ボストンでのショーが終わった後、Clement はテネシー州に帰郷しました。

1953年、Busby と新しいパートナーの Pete Pike (ギター) は、ワシントン DC のナイトクラブ、パイン タバーンで演奏を始めました。同時に、彼らはメリーランド州シルバー スプリングのラジオ局 WGAY で毎週末演奏していました。Busby と Pike はバンジョーの Donnie Bryant を加え、Buzz & Pete and the Bayou Boys になりました。

1954 年の夏、Buzz & Pete and the Bayou Boys は、バージニア州ウォーレントンで開催された全米カントリー ミュージック選手権に出場しました。Busby , Pike ,Donnie Bryant , Scotty Stoneman そしてベースの Lee Cole とともに、コンテストで優勝しました。コンテストの直後、ワシントンの WRC-TV は、毎日午後のテレビ番組にバンドを起用しました。Bryant と Stoneman はバンドを離れ、代わりにバンジョーの Don Stover とフィドルの John Hall が出演しました。

テレビ番組が打ち切られた後、Busby はルイジアナ州シュリーブポートの KWKH で行われたルイジアナ ヘイライドのオーディションを受け、採用されました。彼とバンドのメンバーは Charlie Waller (ギター)、Lee Cole (ベース)、Don Stover (バンジョー) で構成され、毎週土曜日の夜にヘイライドで演奏し、平日は南部をツアーしました。 Stover は 1955年12月にボストンの Lilly Brothers に加わるために脱退し、代わりに Vance Trull が加わりました。Busby and the Bayou Boys は 1956年5月までヘイライドで演奏しました。
Busby , Waller , Trull はワシントンに戻り、1957年7月までクラブで演奏しました。
     Country Gentlemen の誕生
1957年7月4日、Busby , Trull , Eddie Adcock はメリーランド州ノースビーチからワシントンに戻る途中、深刻な自動車事故に巻き込まれ、Busby と Trull は長期間演奏することが出来なくなりました。Charlie Waller は予約の日程を埋めるために、John DuffeyBill Emerson をメンバーに加えました。このバンドが最初の Country Gentlemen となりました。

事故から回復した後、Busby は1990年代初頭までワシントン/ボルチモア地域の地元で演奏を続けました。1958年に Busby が Talking Banjo をリリースしたことで、ワシントンを拠点とするブルーグラス・アーティストのレコード・リリースが急増しました。彼はまた、ナッシュビルのメジャー・レーベルで成功しようと何度か試みましたが、叶いませんでした。Busby は Jimmy Martin と短い間共演しましたが、Martin との演奏は自分に向いていないと思いました。この時期に、彼は Bill Harrell , Jack Fincham , Leon Morris 等と共演しました。バンドのメンバーには、彼の兄弟 Wayne Busbice , Dudley Connell , Richard Underwood , Eddie Stubbs がいました。

      Johnson Mountain Boys の誕生
後に Dudley Connell , Richard Underwood , Eddie Stubbs は David McLaughlin , Larry Robbins と共に ※2 Johnson Mountain Boys を結成しました。

Busby の晩年は、アルコールと薬物乱用によって悲しいものとなりました。

   ------------------ ( Wikipedia 等より抜粋 )      ------------------
  

※1 Roy Clark ( 1933年4月15日 - 2018年11月15日 )
9歳でバンジョーとマンドリン、11歳でフィドル、14歳でギターを父から教わる。それがきっかけで、ミュージシャンの道を志します。
1949年(16歳)の時、Clark はバンジョー全国大会で優勝をしましたが、1951年(18歳)の時に、ボクサーの道へ転向しました。しかし、最後の試合で大怪我をしてしまい、ボクサーの道を断念しました。
1950年代後半に Clark はラジオなどの番組に出演し Jimmy Deanや Johnny Cash などと共演しています。
1960年代に入り、大きな転機が訪れました。1963年に The Tip of My Fingers を発表し、アメリカ国内で大ヒットしました。また、The Jimmy Dean Show に出演したり、多くのテレビショーなどに出演しました。1969年に自身のテレビショー Hee Haw を主催し司会、楽器の演奏などで人気を博しました。また、 Yesterday I Was Young が、トップ20位に入り、1982年には Alabama Jubilee でグラミー賞を受賞しました。
2009年、カントリー・ミュージックの殿堂入りを果たしました。

※2 Johnson Mountain Boys



いいなと思ったら応援しよう!