My Bluegrass Collection #158
Bill Monroe & His Blue Grass Boys
The High Lonesome Sound of Bill Monroe & His Blue Grass Boys [1966]
1949年から1951までの Blue Grass Boys のサウンドはハイ ロンサムバージョンと呼ばれていました。( ※ 下記 Biography 参照 )
このアルバムはその時期の曲、その時期の曲の再録音に、1964年録音の 04 Highway Of Sorrow を含め、1966年にリリースされたコンピレーションアルバムです。
Tracklist Written By [Recorded]
01 My Little Georgia Rose - Bill Monroe [1954]
Mandolin , Lead Vocals – Bill Monroe
Guitar – Ed Mayfield
Banjo – Jim Smoak
Fiddle – Charlie Cline , Gordon Terry , Merle Taylor
Bass – Ernie Newton
02 Letters From My Darlin' - Bill Monroe [1951]
Mandolin , Lead Vocals – Bill Monroe
Guitar – Jimmy Martin
Banjo – Rudy Lyle
Fiddle – Merle Taylor
Bass – Joel Price
03 Memories Of Mother And Dad - Albert Price (Bill Monroe) [1952]
Mandolin , Tenor Vocals – Bill Monroe
Guitar , Lead Vocals – Jimmy Martin
Banjo – Sonny Osborne
Fiddle – Charlie Cline
Bass – Ernie Newton
04 Highway Of Sorrow - Bill Monroe , Pete Pyle [1964]
Mandolin , Lead Vocals – Bill Monroe
Guitar – Joseph E. Stuart
Banjo – Joesph Dudley Drumright
Fiddle – Benny Williams
Bass – Bessie Maudlin
05 On The Old Kentucky Shore - Bill Monroe [1951]
Mandolin , Tenor Vocals – Bill Monroe
Guitar , Lead Vocals – Jimmy Martin
Banjo – Rudy Lyle
Fiddle – Merle Taylor
Bass – Joel Price
06 On And On - Bill Monroe [1954]
Mandolin , Tenor Vocals – Bill Monroe
Guitar , Lead Vocals – Jimmy Martin
Banjo – Rudy Lyle
Fiddle – Charlie Cline
Bass – Ernie Newton
07 My Dying Bed - Albert Price (Bill Monroe) [1952]
Mandolin , Tenor Vocals – Bill Monroe
Guitar , Lead Vocals – Jimmy Martin
Banjo – Sonny Osborne
Fiddle – Charlie Cline
Bass – Ernie Newton
08 Memories Of You - James B. Smith (Bill Monroe) [1950]
Mandolin , Tenor Vocals – Bill Monroe
Guitar , Lead Vocals – Jimmy Martin
Banjo – Rudy Lyle
Fiddle – Vassar Clements
Bass – Joel Price
09 Whitehouse Blues - Wilbur Jones (Bill Monroe) [1954]
Mandolin , Tenor Vocals – Bill Monroe
Guitar , Lead Vocals – Jimmy Martin
Banjo – Rudy Lyle
Fiddle – Charlie Cline
Bass – Ernie Newton
10 Sugar Coated Love - Audrey Butler [1951]
Mandolin , Tenor Vocals – Bill Monroe
Guitar , Lead Vocals – Carter Stanley
Banjo – Rudy Lyle
Fiddle – Gordon Terry
Bass – Howard Watts
11 I'm Blue, I'm Lonesome - James B. Smith (Bill Monroe) [1950]
Mandolin , Tenor Vocals , Solo part Vocals – Bill Monroe
Guitar , Lead Vocals – Jimmy Martin
Banjo – Rudy Lyle
Fiddle – Vassar Clements
Bass – Joel Price
12 When The Golden Leaves Begin To Fall - Albert Price (Bill Monroe) [1950]
Mandolin, Tenor Vocals , Solo part Vocals – Bill Monroe
Guitar , Lead Vocals – Jimmy Martin
Banjo – Rudy Lyle
Fiddle – Merle Taylor
Bass – Joel Price
Bill Monroe Biography ( Wikipedia その他より抜粋 )
Bill Monroe (William Smith Monroe) は1911年9月13日ケンタッキー州ロジーン近郊の農場で、8人兄弟の末っ子として生まれました。Monroe の母親は彼が10歳のときに亡くなり、父親も 6 年後に亡くなりました。Monroe は叔父の Pen Vandiver と2年ほど暮らし、ダンス パーティーで Vandiver が弾くバイオリンに影響を受けたと言われ、 Monroe の有名な作品の1つである Uncle Pen のインスピレーションとなり、1950年に録音されました。
1929年、Monroe は兄弟の Birch と Charlie と共に石油精製所で働くためにインディアナに移りました。友人の Larry Moore と共に、彼らは地元のダンスやハウス パーティーで演奏する音楽グループ、Monroe Brothers を結成しました。Birch Monroe と Larry Moore はすぐにグループを離れ、Bill と Charlie はデュオとして活動を続け、最終的にはラジオ局で生演奏する事になりました。最初はインディアナで、その後テキサス クリスタルズの後援で、1934 年から 1936 年にかけてアイオワ、ネブラスカ、サウス カロライナ、ノース カロライナのいくつかのラジオ放送に出演しました。RCA ビクターは Monroe Brothers と契約し、1936年にレコーディング契約を結び、ゴスペルソング What Would You Give In Exchange For Your Soul? ですぐにヒットシングルを出し、1938年迄にビクターの Bluebird label で60曲をレコーディングし,同年 Monroe Brothers は解散しました。
Monroe Brothers を解散した後 Bill Monroe はアーカンソー州リトルロックでThe Kentuckiansを結成したが、このグループは3か月しか続かなかった。その後 Monroe はリトルロックを離れ、ジョージア州アトランタに移り、歌手兼ギタリストの Cleo Davis 、フィドラーの Art Wooten 、ベーシストの Amos Garren とともに最初の Blue Grass Boys を結成しました。1939年10月、彼はグランドオールオプリーのレギュラーのオーディションに合格し、Jimmie Rodgers の Mule Skinner Blues を精力的に演奏してオプリーの創設者 George D. Hay を感心させました。 Monroe は、1940年に RCA ビクターでの最初のソロ レコーディング セッションで、この曲を他の7曲とともに録音しました。このときの Blue Grass Boys は、歌手兼ギタリストの Clyde Moody 、フィドラーの Tommy Magness 、ベーシストの Bill Wesbrooks でした。
これら初期のトラックにもブルーグラス音楽の特徴である速いテンポと楽器の技巧は表れていますが、グループのサウンドはまだ実験中で、ビクターでのレコーディングではリード ボーカルを歌うことはほとんどなく、Monroe Brothers でやっていたように、ハイ テナーのハーモニーを歌っていました。1945 年のコロンビア レコードでのセッションではアコーディオンを入れましたが、すぐに外されました。最も重要なのは、Monroe が 1942年に Blue Grass Boys にバンジョー奏者の David "Stringbean" Akeman を加えたものの、Stringbean は従来のスタイルでバンジョーを演奏し、ソロ楽器としてはほとんどフィーチャーされませんでした。
Monroe の音楽に重要な進展が起こったのは、1945 年 12 月に Lester Flatt と Earl Scruggs が Blue Grass Boys に加わったときでした。 Flatt は、ブルーグラスのタイミングの方向性を決めるのに役立つ、しっかりとしたリズム ギター スタイルを演奏しました。Scruggs は、独特の 3 本指ピッキング スタイルでバンジョーを演奏し、すぐにオプリーの聴衆の間でセンセーションを巻き起こしました。他のメンバーは、フィドラーの Howdy Forrester とベーシストの Joe Forrester すぐにフィドラーの Chubby Wise とベーシストの Howard Watts が加わりました。彼はしばしば Cedric ainwaterという名前で演奏していました。
Blue Grass Boys のこのメンバー構成がオリジナル ブルーグラス バンドと呼ばれています。このバンドの音楽には、猛烈なテンポ、洗練されたボーカル ハーモニーのアレンジ、マンドリン、バンジョー、フィドルのソロやブレイクで披露される見事な楽器演奏など、ブルーグラス音楽の特徴であるすべての要素が最終的に盛り込まれていたからです。
1946年と1947年に Blue Grass Boys のこのメンバーが Columbia Records のために録音した28曲は、すぐにこのジャンルの古典となりました。その中には Toy Heart , Blue Grass Breakdown , Molly and Tenbrooks , Wicked Path of Sin , My Rose of Old Kentucky , Little Cabin Home on the Hill そして Monroe の最も有名な曲 Blue Moon of Kentucky があり、これは Elvis Presley によって1954年に録音され、サン・レコードからの最初のシングルのB面として登場した。Monroe は Presley によるこの曲のロックンロール・カバーを承認し、元々はワルツのテンポのスローバラードだったが、Presley のバージョンがヒットした後、Monroe 自身がより速いアレンジで再録音しました。ゴスペルをテーマにした曲のいくつかは Blue Grass Quartet によるものとされており、マンドリンとギターのみの伴奏による 4 部ボーカル アレンジメントが特徴でした。
Flatt and Scruggs は 1948年初頭に Blue Grass Boys を離れ、すぐに自分たちのバンド、Foggy Mountain Boys を結成しました。
※ 1949年、Decca Records と契約した Monroe のこの時期は、 キャリアの黄金時代と言われ、Blue Grass Boys の古典的なハイ ロンサムバージョンと呼ばれました。Jimmy Martin のリード ボーカルとリズム ギター、Rudy Lyle のバンジョー 、Merle Taylor , Charlie Cline , Bobby Hicks , Vassar Clements などのフィドル奏者をフィーチャーしています。
このバンドは、My Little Georgia Rose , On and On , Memories of Mother and Dad , Uncle Pen などのブルーグラスの名曲を多数録音したほか、Roanoke , Big Mon , Stoney Lonesome , Get Up John などのインストゥルメンタル曲や、マンドリンがフィーチャーされた Raw Hide も録音されました。Carter Stanley は、The Stanley Brothers が一時的に解散していた1951年に、短期間、Blue Grass Boys のギタリストとして参加してました。
1950 年代後半になると、Monroe の商業的成功は下降し始めましたロックンロールの台頭と、主流のカントリー ミュージックにおけるナッシュビル サウンドの発展は、どちらもブルーグラスの存続を脅かすものでした。Monroe はグランド・オール・オプリーの主力メンバーであったものの、シングルチャートでの成功は減少し、ライブパフォーマンスの需要が減少する中でバンドを維持するのに苦労しました。
Monroe の運勢は、1960年代初頭のアメリカ フォーク ミュージックの復興期に好転しました。多くの大学生やその他の若者がブルーグラス音楽を発見し始め、それまでカントリー アンド ウエスタン ミュージックとして認識されていたジャンルが、より伝統的なフォーク ミュージックだと関連付けるようになりました。
Bluegrass という言葉は、この頃に初めて登場し、Monroe や、Flatt and Scruggs , The Stanley Brothers , Reno and Smiley , Jim and Jesse , Osborne Brothers などのアーティストのサウンドを演奏するようになりました。
Flatt and Scruggs は、北部の都市や大学のキャンパスで新しい聴衆を獲得できる可能性をすぐに認識しましたが、Monroe の反応は遅れました。1963 年に短期間 Monroe のマネージャーを務めた若いミュージシャンで民俗学者の Ralph Rinzler の影響を受けて、Monroe は徐々に伝統的な南部のカントリー ミュージック サーキットを超えて地理的範囲を拡大していきました。 Rinzler は、影響力のあるフォーク音楽雑誌 Sing Out! に初めて Bill Monroe がブルーグラスの父と呼ばれる長いプロフィールとインタビューを担当しました。それに応じて、1965年に Carlton Haney がバージニア州ロアノークで開催した最初のブルーグラス フェスティバルでは、 Bill Monroe が中心人物となりました。
1964年 Grateful Dead が結成される前に、Jerry Garcia はカリフォルニアから国中をキャラバンで移動し、モンローに同行しました。
1960年代に Monroe の音楽が全国的に人気が高まったことは、彼のバンドに採用されたミュージシャンの経歴がますます多様化していることからも明らかでした。この時期に Blue Grass Boys として活動した南部出身者以外では、マサチューセッツ州出身のバンジョー奏者 Bill Keith と歌手兼ギタリストの Peter Rowan、ニュージャージー州出身のフィドラー奏者 Gene Lowinger、メリーランド州出身のバンジョー奏者 Lamar Grier、ニューヨーク州出身のバンジョー奏者 Steve Arkin、カリフォルニア州出身の歌手兼ギタリストの Roland White とフィドラーの Richard Greene などがいました。
1960年代半ばにフォーク リバイバルが衰退した後も、ブルーグラスの音楽ファンは定着し続けました。ブルーグラス フェスティバルは一般的になり、ファンは数日間にわたるパフォーマンスでさまざまなアーティストを見るために長距離を旅することがよくありました。
1967年、Monroe 自身がインディアナ州南部のビーン ブロッサム (1951年に購入した公園) で毎年開催されるブルーグラス フェスティバルを設立し、何千人もの観客を定期的に集めるようになりました。Bill Monroe , Jimmy Martin , Lester Flatt , Jim and Jesse をフィーチャーしたフェスティバルの2枚組LP が1973年にリリースされました。毎年開催される Bill Monroe Bean Blossom Bluegrass Festival は、現在では世界で最も古くから継続して毎年開催されているブルーグラス フェスティバルとなっています。
Monroe の晩年の作品は主にインストゥルメンタルで , Jerusalem Ridge , Old Dangerfield(元々は東テキサスの町にちなんで Daingerfield と綴られていた)My Last Days on Earth などがあり、彼は音楽界の長老として新たな役割を担い、若い世代のミュージシャンに影響を与え続けました。
Monroe は1980年代にデュエットアルバムを2枚録音しました。1枚目は Emmylou Harris , Waylon Jennings , The Oak Ridge Boys などのカントリースターとのコラボレーションで、2枚目は他の著名なブルーグラスミュージシャンとのコラボレーションでした。1989年のライブアルバムは、グランド・オール・オプリーでの50周年を記念したものでした。Monroe はまた、多忙なツアースケジュールをこなしていました。1990年4月7日、モンローはインディアナ州インディアナポリスで行われたファーム・エイドIVで Willie Nelson , John Mellencamp , Neil Young など多くのアーティストと共に演奏しました。
Monroe の最後の公演は1996年3月15日でした。彼は4月に脳卒中を起こし、ツアーと演奏のキャリアを終えました。Monroe は1996年9月9日、85歳の誕生日の4日前にテネシー州スプリングフィールドで亡くなりました。
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