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独身男性、夫婦についての小説を読む(『代替伴侶』白石一文)
こんばんは。墨田屋です。
何から書いていこうか、というところですがまずは最近読んだ本の感想でも書いていきます。
『代替伴侶』 白石一文
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伝わりますか、この美しい装丁。
半透明のカバーと表紙が重なり合うことで「代替伴侶」の文字が浮かび上がります。
水墨画を想起せるこの美しさ、そしてデュエルマスターズのG(ゴッド)・リンク(*1)を彷彿とさせる遊び心に惹かれ、紛れもないジャケ買いをしてしまいました。
*1
G(ゴッド)・リンクとは、どのような能力ですか?
バトルゾーンに存在するゴッド・クリーチャーのテキストに記載されているマナコストを支払う事で、指定のクリーチャーをゲーム外から一度召喚し、合体して新たなクリーチャーとなる能力です。
はじめに
この記事は本書を読了された方向けに書きます。ネタバレを多分に含みますのでご容赦ください。
私は召喚酔いしているので、あらすじについては筑摩書房さんのサイトより引用します。(私が書く意味もないと思うので。)
===
人口が爆発的に増え、「代替伴侶法」が施行された近未来。
伴侶を失い精神的に打撃を被った人間に対し、最大10年間という期限つきで、かつての伴侶と同じ記憶や内面を持った「代替伴侶」が貸与されることとなった。
それは「あり得た夫婦のかたち」を提示すると同時に、愛の持つ本質的な痛みを炙り出すことともなったのだった――。
「自分が十年後に死んでしまうことなんて、ゆとりを失うことに比べたら何でもなかった。僕にとって何より恐ろしいのは、ゆとりの死であり、そのあと二年間も彼女の存在しない世界で生きなくてはならないということだったんだ。」
===
不妊で悩んでいた隼人とゆとりの夫婦。ある日、ゆとりは隼人に別の男性との間で妊娠したことを告げ、隼人の元を去ってしまう。
失意の隼人は「代替伴侶」の貸与を人権救済委員会に申請し、それ以後隼人はゆとりの記憶を複写された「代替伴侶」と生活を共にする。
ところが、今度は隼人が「代替」のゆとりの許を去ることになる。すると「代替」のゆとりはなんと隼人の「代替伴侶」を申請し、それが委員会に認められてしまう。こうして元の夫婦二人の関係は破綻したが、代わりに「代替」同士が共に仲睦まじく暮らすという皮肉な状況が出来する。そもそも「代替」の二人には、自分たちが「代替」であるという自覚が持てないようにプログラミングされているのだ。
その様子を見ながら生身の隼人とゆとりは、あらためて自らの夫婦のかたちが当初から大きく変質してしまったことを思い知り衝撃を受ける。
「代替」の二人の関係は、あり得た未来の、もうひとつの自分たちの姿なのだ。
そして「代替伴侶」には、始動から10年という期限が設定されていた。まず「代替」のゆとりが死を迎えた瞬間に、生身の隼人はある決意をする――。
感想
随所に散りばめられる謎、そしてそれらが時間をかけて答え合わせされていく展開は純粋に読み物として面白いです。基本的にほぼすべての展開の種明かしが早かれ遅かれされていくので、テンポよく読み進めることができますす。ただ、最終局面である、本物の隼人が「ツイン」として「停止」をした後の展開については描かれていません。ここは読み手が物語を想像していくことができる箇所です。皆さんはどう思いますか。隼人がゆとりに負担をかけないように、ツインであるかのように振舞ったという決断は尊いです。非常に尊い。ですが、どこかでボロが出てしまったりだとか、ゆとりから「ん、停止してなくね?」って思われたときどうするんだろうとか、余計なことを考えて少し笑ってしまいました。その後の展開についてはお互いひと通り笑い転げた後にハグをする、そんな展開になるんじゃないかなと思っています。ハッピーすぎるでしょうか。
まじめな話を2つします。ひとつは表現方法について、もうひとつは私がこの本から受け取ったメッセージについて。
まず表現方法について、章によって主観が隼人、ゆとり、隼人のツイン、ゆとりのツインとで行ったり来たりします。そのため、今、主観は本物なのか?ツインなのか?と混乱しながら読むことになります。人によってはこれがストレスになるのかもしれませんが、私はこの混乱こそがこの本の文学的魅力だと思います。本物とツインとの境界線が読み手の中で曖昧になっていく中で、最終的には本物の隼人がツインの隼人と入れ替わる(正確には入れ替わったふりをする)。美しい。あえて読み手を混乱させる手法というのはガブリエル・ガルシア・マルケスの「百年の孤独」を想起させます。
次に、私がこの本から受け取ったメッセージについて。この本が問いかけているのは「夫婦の在り方」だと、そう受け止めました。子どもを、家庭を優先するあまりにパートナーのことが見えなくなっていやしないか、子どもとはそこまでして必要な存在なのか、と。少子高齢化の時代に対して正面切って喧嘩を売るようなテーマで、そのスタンスはすごく好きです。ただ、ここで大事なことを言います。私は20代のハッピーシングル(のはず・・・)サラリーマンで、結婚を急いでいるわけでもなく、結婚したとして子どもが欲しいとはあまり思っていません。ですから、このテーマ自体は自分にとってはそこまで刺さるものではありませんでした。ですが、子どもが生まれて以来、子どもを優先するあまりにパートナーとの関係をないがしろにしてしまう夫婦というのはよく聞く話ではあるので、そういった人たちには刺さるテーマだと思います。皆さんは「読機(*2)」という言葉を知っていますか。私は「松岡正剛の千夜千冊」というブログでこの言葉を知りました。下に引用していますが、読機とはその本を読んだ時機のことを指し、読機によって我々の抱く感想も大きく異なるものになり得るということです。まさに『代替伴侶』は読機によって感じることが大きく分かれる、そんな本だと思います。
*2
読書には「ドッキ」というものがある。ドッキは「読機」だ。その本をいつ読んだのかということ、いつ通過したのかということ、そこにその本とわれわれのあいだにひそむドッキがある。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
またお会いしましょう。