折りに触れて文など
昨年の正月、年賀状だけのやり取りをさせていただいている方から、今回で賀状を出すのは最後にしたい、今後は折に触れて文などを、とのお知らせがあった。還暦を機にということであろうと思うけど、ちょっと寂しい気持がする一方、人気作家さんゆえのわずらわしさもあるのだろう、と受け止めた。
桜の咲くころに引っ越したので、ゴールデンウイークに転居のお知らせを送った。住所変更のお知らせだったのだけれども、思いがけず多くの方から電話や葉書を頂戴した。就中驚いたのは、大学のゼミの指導教官からの一筆。卒論がない代わりにゼミの単位取得が2教科分に相当する扱いだったので、人格者で身体が弱く休講が多いと評判の先生の大人数のゼミに登録したのだけれども、単位を頂いた恩義も忘れてOB会にも名を連ねない不肖の教え子に、まめやかなる一筆をくださるとは。
先生からはその後、秋に父が亡くなった喪中はがきにもお返事をいただき、更に恐縮することになる。40人近くいたゼミ生の中で可山優三の私のことなど全く印象に残っておられないだろうと思うのだけれども、コロナ禍で集まりがない時期とはいえ、水茎流るる直筆を下さる心持ちに師恩とは、かかることを申すのか、と思う。
先生も傘寿を超え、やがて直筆の文をいただくこともままならぬことになるのであろうと思うと、折に触れて文などいただくというのは有り難き幸せなのかもしれない。