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居酒屋の効用

行きつけの店、というのが1軒だけある。寮の最寄り駅からスーパーの前を通って、商店街脇の細い道を入ったところにあるお店。ペンキ塗りのカウンターに、奥に小上がりがあって、カウンターの上には女将さんの作った大皿料理が何品か並んでいる。カウンター突き当りの天井にテレビがあって、野球中継だったりバラエティーが映っている。店バレしたら大変なことになるが、女将さんはどちらかというとお母さんと呼んだ方がいいタイプ。旦那さんが仕事から帰ってくると手伝いをしている。

客筋は実にバラエティーに富んでいる。常連さんの最高年齢は83歳、70代の方々もいらっしゃる。近所のスナックのママさんとその客、上司とその部下、同僚、中年の兄弟、独身女性、シングルマザーとその子供たち(幼稚園~社会人)、家族連れ、近所の大学生の群れ、カップル(既婚未婚非婚)、ニュージーランド人、中国人、多分ドイツ人。
中でも私は、78歳の常連男性のファンである。いつもニコニコしていて、人当たりが柔らかい。毎日十数キロ散歩して、店が開くとほぼ同時に入店して飲んでいる。私だけではない、店に来る誰もが彼のファンで、誕生日は女子の有志が盛大なパーティーを開いた。その写真をスマホで見せてもらいながら、自分も俗世の毒が抜けたらこんな風になれたらいいな、と願わずには居れない。

私がその店に行くのは、週に1度ぐらいなものである。最寄り駅で降りたけれども、空腹でとてもじゃないけど寮までたどり着けない、と思ったとき、その店の前を通る。カウンターの人影が多いようだとうなだれて通りすぎる。混んでいるところで1人で呑むというのは気まずいものだ。2ー3人ぐらいしか居ないときが狙い目。夏も冬も、焼酎のボトルをお湯割りにして、料理を2-3品頼む。女将さんや旦那さんと2、3言他愛もない話をして、テレビをボーっと眺めて、1時間ほどで切り上げる。常連さんと会うことができれば、お互いの無事を喜びあう。もう飲めなくなった自分の親世代の方が健康で毎日呑んでいる姿を見るのは、それだけでごちそうだ。
4合瓶のボトルは、自分はだいたい月に1本のペースで入れ替わっていく程度だが、3日で1本空ける人もいるというのだから心配になる。

週に1度立ち寄っていると、世の中の流れや雰囲気というのが何となくわかってくる。少し景気が悪くなってきたかな、とか、世の中の話題について皆さんどう思っているのかな、とか。この1年ほどは、新型コロナ関連の自粛がどの程度浸透しているのか、みたいなところも垣間見ることが出来た。気丈夫な女将さんの判断で、2020年のGW明けの自粛継続時もお店は開けていたので、逆張りが好きな自分も応援と称してさほど酒が強くもないのに通ったものだ。

そんなお店が遂に3度目の緊急事態宣言で休業になって、そろそろ1ヶ月が経つ。職場を離れて、黙食を強いられる朝昼晩の食事を逃れて、週に1度だけホッとひと息入れる場所がない単身赴任生活の、なんと息苦しいことか。応援すると言いながら、毎度行くたびに応援されていたのは自分自身であったのだな、と強く思う。か弱い全裸中年男性の心の健康のためにも、そろそろ休業要請はやめてもらえないものか。

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