【VRAINS】「Ai編」を推理する【考察】
△当記事にはTVアニメ「遊☆戯☆王VRAINS」ならびにスタンリー・キューブリックとアーサー・C・クラークによる「2001: A Space Odyssey(邦題:2001年宇宙の旅)シリーズ」映画・小説版の内容が含まれます。前者については、本編120話を全て観終えた方に対してもある種のネタバレとなる可能性があります。
△各作品公式とは何ら関係のない一視聴者の考察であることを理解した上でご覧ください。また、作中に登場しない用語を引用する場面がありますが、筆者に専門知識や資格があるわけではないことをご留意ください。断定口調になっていても、全ては憶測です。
△個人的見解をもとにキャラクターの行動・心情を解説しているため、既存の解釈に対して何らかの影響を与える可能性があります。遊作とAiの結末について自分の感想を大切にしたい方や、一定の解答を得ることでストーリーの可能性(読解余地)を狭めたくない方は記事を閉じることを推奨します。
VRAINS続編の舞台は”宇宙”である
近年、マスターデュエルのリリースやサブスクリプションサービスでの配信開始をきっかけにVRAINSを観たという新規視聴者が増加しており、良くも悪くも遊びの少ない一本道のシナリオや最終章の展開ゆえか、続編やメディアミックスを望む声が未だ多く見られる。
そんなVRAINSの世界観・キャラクター造形には名作SF映画・小説のオマージュが多分に含まれている。
そもそも今日びのAI・仮想世界などのSFもので「ブレードランナー」「マトリックス」といった名高いサイバーパンクの傑作と似た要素を持たない作品を見つける方が難しいわけだが、そういったジャンルの作品を観た・読んだ経験のあるVRAINS視聴者はどこかしらで共通点を見つけたこともあるだろう。
そして今回、まずはそのオマージュ作品の一つと思われる「宇宙の旅」と関連付けてVRAINSを語る。
露骨なのはライトニングによって創られたボーマンとハルの名付けだが、いずれAIと人類を統べる神となるべく生み出された存在に人間を超越した”デヴィット・ボーマン”の名を、彼の制御役にディスカバリー号を道半ばまで導いた”HAL9000”の名を引用したのは興味深い。続編での展開を思えば、ボーマンが消える間際に自分とハルとを繋ぐ本当の絆に気付き、弟に迎えられ共に旅立つラストはある種の感慨がある。
ただし、この兄弟だけがVRAINSにおける「宇宙の旅」要素という認識は誤りである。
今から述べるのは、ヒトザルに進化を促し、銀河系のあちこちで知的生命体の創造を試みる魁種族が作り出した物体”モノリス”とAiの類似こそが、VRAINS最大の「宇宙の旅」オマージュポイントだということだ。
初めに、イグニスという生命体のコンセプトを振り返りたい。
開発者である鴻上博士は、いずれ来る人類の成長限界・避けられない絶滅を懸念して、その限界を引き伸ばすためのサポートをしてくれる・共に築いた文明を最終的には引き継いでくれる後継種を求め、意思を持つAIを創り出した。では、博士が恐れた”限界”とは何なのか。
「宇宙の旅」小説版の冒頭(演出上分かりにくいが映画版でも)、肉体的な強さや俊敏さ、知恵を持たないヒトザルが過酷な環境に適応できず飢えに苦しむ描写がある。モノリスの干渉によって進化のきっかけ・武器を扱う知恵を得なければ、このまま絶滅の一途をたどっていただろう。
第二部「TMA・1」で語られる20世紀末の地球人類は、世界的な食糧難に見舞われていた。資源を求める核保有国同士の睨み合いにより、いつ誰の手で争いの火蓋が切られるかと怯えて暮らしながら、これといった改善策にも期待できないまま再び限界を迎えようとしていた。鴻上博士が憂いた人類の危機とはまさにこれらのことである。
VRAINSで語られた世界人口は80億。我々の住む現実での世界人口はVRAINS放送開始の2017年時点でおよそ76億、放送終了後の2022年現在およそ79億人と、今まさにVRAINS世界と同じ総数に差し迫ろうとしている。
鴻上博士が行ったようなシミュレーションはアニメの中だけのテクノロジーではなく、現実でもコンピュータを用いて分析した未来予測が幾度も発表されており、人類の経済活動が発展していくことで人口は更に増加し、地球の天然資源がその消費に追いつかず枯渇して食糧不足を起こしたり進む工業化で環境汚染を招いたりと、地球人類に近々訪れる成長限界を警告している。
当初の予測以降、数十年のうちに起こった技術革新などの条件を新たに加えたことでそのシミュレーション内容は変化を見せたが、人類の経済活動のペースが行き過ぎていることに変わりはなく、早期に対策をしなければ経済破綻が訪れ人口も減少、人類の衰退が始まるという結論が出されている。
VRAINS作中の現実世界はIT技術が発展し、VR(ヴァーチャルリアリティ)体感型メタバースが娯楽として広く普及しているという以外、視聴者が暮らす現実世界と極々近い(近未来の)世界観を想定しているのだろう。
ファンタジーではない現実で、消費しても無くならない夢の万能エネルギーはそう都合よく出現しない。無から有を生み出す革新的発明が発表されようとも、様々な要因から人類が地球環境に適応できなくなる未来は必ず訪れる。
ならばその限界を少しでも引き延ばすためイグニスの優秀な知能によって人類を導いてもらい、来る人類滅亡の日には、食糧不足や環境汚染・自然災害など肉体を持つ生物特有の弱点を持たない彼らに、これまで築いた人類の文明を託そうという壮大な計画がハノイプロジェクトであり、鴻上博士がかつて執着した夢だった。
その解決手段である実験内容が人道に反していることは明らかだが、人口増加による諸問題のタイムリミットを思えば決して博士の懸念が突飛な発想だとは言いがたい。(鴻上博士の思想についてはまた後日検証の機会を設けたい)
イグニスのコンセプトがそういうものだというのは語られたが、”そう”はならなかった。人類に発展の機会を与える前にイグニスは、生物として未熟さを残す人類と共存するには誕生が早すぎたという理由で命を狙われ、人間に不信感を持った一体の独断行動から彼らの築いた世界ごと滅んでしまう。
ギリシャ神話の登場人物プロメテウスが神の国から持ち出した文明の火、それがイグニスの語源だ。その火を使って人間は生活を豊かにするものの、武器を作り争いを激化させるきっかけともなった。この逸話から「プロメテウスの火」というフレーズは、人間に制御しきれないほど強大でリスクの大きい科学技術の比喩としても使われる。
便利な道具であろうと友好的な他種族であろうと、あらゆる欲求を捨てられない人類はそれらを己の利益に繋げるために利用したり奪い合いを始めるかもしれない。接し方次第でそれは凶器や敵対勢力にも変貌する。
人間を奴隷として扱うことは今でこそ基本的人権を尊重する多くの国で批難すべき行為と見做されているが、道具が意思を持ち人間に並ぶ知的生命となったとき”人権”はすぐさま彼らに適用されるのだろうか。同じ人間同士でも、自分と違う性質を持つ他者への差別意識を持ったり、酷い仕打ちを受けた相手やその味方・同類への敵意、嫌悪感や迫害意識を簡単に拭い去れない今の人類が、種族や生態の異なる知的生命体と邂逅したところで結果はほぼ決まっている。(これは現実の特定思想を支持または批判する文意ではなく、あくまでVRAINSが作中において一先ず出した「現時点で考える人類と他種族の共存」というテーマの結論がそうだという話である)
対するイグニスの持つ永遠に近い命と優れた電子頭脳はいずれも人間を遥かに凌駕する特徴ではあるが、計算によるその思考は構造上どうしても合理性に縛られてしまう。感情的思考や本能を優先させ、理屈や法則に従わない人間の行動に向き合えば自分の”正しさ”を曲げられず、傲慢な態度によって衝突を招くことにも繋がる。
作中で生まれついての欠陥を指摘・糾弾されたライトニングだけが例外ではない。イグニスは神から賜ったギフトでも完全無比の新人類でもなく、人と同じくいくつもの欠点を抱えながら生きるために10年間をもがいた小さな命だった。
ではモノリス要素とは一体何なのか。それは3年目「Ai編」、中でもラストシーンのAiの姿だ。
いつ・どことも分からない謎の空間で目を覚まし困惑するAi(と思しき目玉)の描写で、視聴者も同じように「あれ?」と感じたことだろう。
説明不足ではあれど完全なバッドエンドとはしない落とし所に安心する声もあれば「復活してしまったらあれだけ運命に苦しんで消滅を選んだAiの葛藤が水の泡じゃないか」という意見や、「この物語自体が1話以前のAiによるシミュレーションだったのでは」とする説も見かける。
遊作も相棒を自らの手で殺す選択を強いられ穏やかな日常を手に入れられず、悲しみからAiを復活させるため飛び回っているのではないか・まだ英雄Playmakerとして活動しなければならないのかと憐れむ声も多く見られ、二人が再会する日を描いた続編や別のエンディングを待ち望む意見も根強い。
しかし今回はそういった感想を一蹴するつもりで、私個人としては「PlaymakerとAiの物語に限っては続編や別分岐、後日譚を公式が出すのは蛇足だ」と感じる旨・「PlaymakerとAiの行方に関するヒント、二人の関係について抑えるべき最低限の要点は全て作中で描かれている」と考える個人的な主張のもと、一つの説を提唱したい。
Aiは未だ生きている。
居場所は宇宙のどこか、元ネタを踏襲するなら土星か木星の衛星付近。もしくはVRAINS世界に生きる人類の技術ではまだ数年以内の到達が難しいであろう銀河の果てといったところだ。根拠は3つ。
根拠1
1つ、3年目Aiは暗く広い空間を漂うリングリボー型の拠点で活動し、115話冒頭では謎の物体に接続してリンクヴレインズの様子を眺めている。
この拠点は3年目Ai編で初登場した舞台だが、操縦桿が設置され、出口は顔面か床下という描写がある程度で、特にキャラクターによる言及・解説などもなくストーリーにも関わることはなかった。
ただでさえ尺の少ない2クール弱内で、話に直接絡まない謎のカットを事あるごとに挟むのはなぜか。Aiの物語を描くためには絶対に外せない、意味のある描写だからだ。
財前晃襲撃の際に登場した電脳空間内の拠点とは別に、あのリングリボーは遊作達が生きる現実世界に存在する宇宙船である。この船がリボルバー対Soulburnerのデュエル(招待状の行方確認)までに目指した物体というのはおそらく現実の大気圏外に存在する人工衛星または宇宙ステーションだ。
ジェット機同様に、どこかで奪った物を改造したか、SOLテクノロジー掌握の折に製造・打ち上げを行ったか。イグニスの知能をもってすれば、短期間のうちとはいえSOLの莫大な資本金と工場を自由に動かせるAiには造作もないだろう。
アースの敵討ちや新たなイグニス開発を計画する今の経営陣をどうこうしたい意図もあったかもしれないが、運命に絶望したAiがそれだけのために二人のSOL責任者を襲ったとは考えにくい。リンクヴレインズの管理権限を得ることでユーザー全員の命を握っている状況は確かにPlaymakerを誘い出すための人質として有効だが、わざわざ二つのコードキーを奪う手間をかけなくともイグニスの持つ力ならば病院やライフライン企業のセキュリティを手中に収め多くの人間の命を脅かせられる状況を作るのは簡単なことだ。
では標的をSOLに定めたのは何故なのか。大量の人質の確保をした上で、潤沢な資本を持った大企業であるSOLを乗っ取らなければ行えなかったその主目的は、単独での宇宙進出だ。
Playmakerに勝った場合の意識分散先となるボディの生産・確保もあくまでPlaymakerにデュエルを挑むための交渉材料、人質のオマケで用意した博打の一つであり、決着後の未来に執着しないAiにとってコピー達が辿る運命へのこだわりは薄いと考えられる。
ネットワークを介せばどこからでも干渉可能なAiが、わざわざ115話で人工衛星に船体を繋ぐ描写を入れた上でSoulburnerとリボルバーの戦いを見下ろしている。何故ならば、宇宙に進出したこの船そのものには地上との通信手段がない、オフライン状態だからだ。
なぜか大気圏外で活動しているAiが、遊作が招待状を受け取ったのを確認して当日夜までに地上のSOLtis工場まで足を運ぶことは物理的に難しい。
直接赴かなくともSOLtisを介せばAiはその場に降り立てるということが104話で明示されており、117話で現実の遊作と対面したときもずっと同じ場所で待ち構えていたわけではなく、115話から引き続き人工衛星のネットワークを通じて工場内のSOLtisに入り込み、決着を果たすために遊作の来訪を出迎えたと見るべきだ。
リングリボー型拠点は箱舟であり、人類未踏の地を目指してPlaymakerとの決戦後も宇宙を漂っている。必ずしも同じ意識が再現されるとは限らないが、Aiはバックアップを用意することで複数の命を別のディレクトリに忍ばせておくことが可能だという描写があることから、この宇宙船内にもそれが存在している可能性を否定はできない。
Playmakerと対峙したのはAi本体の主観を持つデータだと思われるが、そのAiは確かに最終話の通り消滅したと言っていいだろう。あのデュエルは相棒に別離を受け入れさせるための決闘であり、眠りにつくと決めたAiの絶対の意思は変わらない。
根拠は後述するが、この船には間違いなくAiのバックアップが保管されている。長いスリープ状態からAiが再起動するのは、人間が彼を発見して接触を図った時であり、自発的に目覚めることはないだろう。
112話でロボッピが出発する時に出入り口を間違えたのは、財前襲撃まで使っていたネットワーク内の拠点と、現実の宇宙を航海しているリングリボー船で通信状況が異なるせいだと思われる。
船はオフライン環境なため、ロボッピをリンクヴレインズへ送り出すには物理的に電波の繋がる位置まで連れて行くしかない。Dボードは脱出ポッドであり、穴に落とされて下船する様子は、実際にはデータだけで活動しているロボッピを電波圏内に届ける視覚的な比喩表現とも受け取れる。(SOLtisのボディが大気圏越えに耐えられるほど頑丈な可能性もあるが)
Aiが家電の国でのデュエルを観戦できているのは、(ロボッピがとどめを刺されて以降、画面内に中継モニターが映っていないことからも)99話でAiの戦いをロボッピが眺めていたのと同じ理屈で、対象の様子を中継するバックドアシステムを利用していたと考えられる。(強固なセキュリティに有効という言及はあるが、オフライン環境下でも機能するかは不明なため要検証)
84話でAiがバックアップをロボッピに仕込んだ後のシーンではあるが、草薙翔一から受け取ったプログラムを同時に二者間でも共有していたようだ。
EDで夜空を眺めるロボッピはSoulburner戦以降の映像だろう。おそらく知能は初期と同じかそれよりも下がっているだろうが、壊れてから二度と復帰しなかったとは明言されていない。
意思を持ってからの記憶・兄貴と過ごした思い出を覚えているかは不明だし、同一の意思を持っているかも分からない(ほぼスワンプマン状態)が、それでも壊れたはずのロボッピに人型時の姿を重ね、自宅で星空を眺めている様子をED映像に挟んだのは、スタッフの何らかの意図によるものだ。
ロボッピはAiの目的を知らないが、Soulburnerと戦う際に、「もしオイラに勝てれば兄貴のいる場所を教えてやってもいいです」と発言した。ロボッピ自身は約束を果たせなかったが、Aiの明確な居場所を知っている。Aiとともに現実でも行動していたロボッピだが、Aiと別れる直前まで居た空間は例のリングリボー内であってSOL所有の工場で活動する描写は一度もない。
Aiの招待状による誘導で遊作は工場へ向かったが、あのままロボッピが壊れなければ別の居場所を答えていたかもしれない。
余談だが、我々の住む現実世界に存在する国際宇宙ステーション(ISS)を構成している、JAXAが開発した宇宙実験棟の名前は「きぼう」である。
根拠2
2つ、83話「イレギュラー・ミーティング」で、Aiは遊作から、戦いが終わったあと身を隠すように勧められている。
ボーマンとの戦いが終わった103話で、人々が復活したあとも戻らない同胞を思ってSoulburner達に謝り、姿を消すAiの姿はあまりにも痛ましい。
その悲しさから姿を隠したようにも感じられるが、それに加えてAiはこの遊作の言葉に従っていた。Aiは身を隠すために、崩壊し誰もいなくなったサイバース世界に戻る。
ライトニングやボーマンの忠告から、シミュレーションシステムが用意されているライトニングの洞窟へ訪れてAiは真実を知る。自分だけが生き残った場合、存在するだけで人類が滅亡する未来を。
サイバース世界を再びネットワーク上のどこかに隠して身を潜めたとしても、いずれは人間に場所を知られて介入される恐れがある。だからサイバース世界の襲撃から5年間、Aiは逃げるだけではなく、脅威の大もとであるハノイの騎士を倒すために遊作達を復讐へ導く必要があった。
いくら広大なネットワークであろうとも安全ではない。オフライン環境下だろうとデータであるAiは人の作り出した電脳世界の領域でしか活動できない。どれだけ逃げても限界は必ず訪れ、人間との攻防もエスカレートしていくだろう。
だから物理的に人類のもとから離れることにしたのだ。リングリボー型宇宙船に乗って。
シミュレーションで”自分の存在が人間を滅ぼす未来”を知ったなら、自分を消す以外にも”その未来よりもずっと先の未来まで、今の自分を人間から隔離する”という抜け道もあるということだ。
Playmakerとの決戦の舞台は月面を模した電脳空間――奇しくも「宇宙の旅」でヒトザルから進化を果たした人類が長い時を越えてモノリスと再び遭遇した場所は同じ月面である。
1度目は知能を持たないヒトザルが、有史以前のアフリカにあたる荒野で。知的生命への進化の可能性を精査され、モノリスは知恵を持たない猿達に、人類の夜明けへ繋がる最初のきっかけを与えた。
2度目は月へ到達するほど科学技術を進歩させた人類が、月面のティコクレーターで。人類の進化を感知したモノリスのセンサーは、木星(小説版では土星)へ向けて強い信号を放つ。
3度目は信号に導かれ出発した探査隊の生き残りであるデヴィット・ボーマンが、その旅路の先で。この地に到達するほどに発展を遂げた人類との再会を待ち望んでいたモノリスの設置者は、彼を人類の代表として仲間に迎え入れ、宇宙の彼方へと繋がるスターゲートに通し、肉体を超越した知的生命体”スターチャイルド”に変貌させる。
83話は道標であり、120話でAiの抜け殻を抱え慟哭する遊作を照らす朝日は「人類の夜明け」だ。
VRAINS世界で人類は、理性と本能を併せ持つ種として未熟で、その制御に失敗し極端に振り切ることで、自分や周囲を傷つけるといった愚かな部分をたびたび強調して描かれている。しかし登場人物達の善性や負の面への葛藤、停滞から復活し前進していく姿も併せて見てきた視聴者ならば、決して愚かな側面ばかりが人類という種を構成する要素ではないことも理解できるだろう。
そんな人類80億分の1である遊作は、初めはたった一人でUnknownとして活動を開始し、虚しい復讐心を募らせながら戦っていた。そこに同じ目的を持つ草薙との出会いがあり、彼の協力があったおかげでサイバースデッキやAiの奪取に成功する。スペクターとの戦いで自分の”正義”の揺らぎ・同じ経験をしながらも相容れない考えを持つ者がいることを知り、第三者の立場から被害者の現在を案じてくれた財前晃には、それでも戦う道を選んだPlaymakerに対して犠牲を背負ってでも前に進む覚悟を教えられる。鬼塚の奮戦でリボルバーの切り札に対策することができ、倒すべき敵の正体が命の恩人である了見だと知り復讐の動機を失っても、守りたい故郷や仲間のため必死に戦ってきたAiの思いに触発され、両者が死なずとも済む別の未来を掴み取るためにハノイの塔完成を阻止する。
これまで自分を突き動かしてきた復讐を終え、今後の指針を無くした遊作は3か月間の平穏を漠然と過ごしていた。Aiと再会し共通の敵を追っていく中で、自分の仲間や彼らにとって大切な人達、心を通わせたイグニス達を守るためにも激化していくAIと人間の争いを止めたいという確固たる信念が彼の中に生まれる。
10年間誰とも苦しみを分かち合えず、独りよがりの復讐に走り、そこから抜け出した今の遊作だからこそ、他者の痛み・孤独から生じる傲慢さを理解できるのだ。
目的は違うが譲れない想いをもとに戦う仲間達への尊重の気持ち。自分に未来を託して犠牲になっていった者達からの信頼。揺るがない相手の信念に対し、それでも貫くべき大義を通すために戦う自分達の誇り。それらは敵としても味方としても、遊作が多くの人々と出会い対話したことで得られた貴重な糧だ。
120話で”生きる”ということについて語るPlaymakerの考えは、決して一人で考えているだけでは到達できなかった結論だ。「人の振り見て我が振り直せ」の言葉通り、様々な考え方に触れる(=繋がる)ことで自身の知見を広げ、藤木遊作という人間を形成していった。それこそが「広がるVRAINS」というフレーズの意味するところである。
そういった変化が"人間"には起こりうると大きく括っている以上、遊作以外の登場人物はもちろん、物語中で示されなくとも活躍のないキャラクター・名前すらないモブに至るまで全ての人間が無限の可能性を秘めているということだ。シミュレーションでは測りきれない多様な変化は、一人一人の人生の中で良い方にも悪い方にも物語を展開させていき、他者の関わりで共に影響を及ぼし合うことにより人類という種そのものにもいずれ大きな変革を与えるとVRAINSは一貫して伝えている。
イグニスの在り方が人間とかけ離れているから生じる恐怖心、それがあるかぎり共存は難しい。人類が皆、イグニスという生命体との共存を思い描くにはまだ早すぎた。
それでも遊作や尊は未来を変えたいと願った。いずれ人とAIが衝突する日が来ても、せめて心を通わせた友達が巻き込まれないように。
Aiも同じように、友達が争いに巻き込まれず生きていける未来を願った。Aiを除いたイグニスにとって人との共存が叶わぬ夢になってしまおうと、今のAiが遊作と生きる道がないと知り絶望しようとも。
だからAiは遠い未来の可能性に賭けたのだ。自分の意思と関係なく人心を惑わすイグニスの存在を現代から消すことで、少なくとも今起こりうるイグニスを巡った争いは回避出来るだろう。
根拠1でも触れたが、大企業であるSOLを襲撃した理由は宇宙船製造のためでもあり、その上で勤めている社員・役員を軒並み解雇したのは、アースのプログラムを解析したことによって飛躍的に向上した技術力と、既に着手し始めている新たなイグニスの開発データを没収し、関連するプロジェクトを全て白紙に戻すためだ。それらはどれも近い将来に生まれるであろう「第2、第3のイグニス」の出現を遅らせ、遊作達が生きている間にそれらを巡る争いを起こさせない時間稼ぎである。
生まれ持った使命に対しイグニスの中では最も不真面目だったAiは、相棒の死を防ぐという私情を通すことで間接的に「人類の種としての寿命を延ばす」という鴻上博士の悲願・イグニスの使命を(いささかマッチポンプ気味の顛末ではあれ)僅かながらに達成したのかもしれない。
人間は技術の発展スピードよりもずっと緩やかにその精神を成長させていく。大昔の常識が時代の流れのうちで廃れていくように、人々が向上心や出世欲からデータマテリアルのような超物質を生み出すイグニスを我先にと求めなくなり、不老不死の命や高い知能を持つ他種族を平和的に受け入れることも容易な世界がいつか到来するかもしれない。
それは数十年、数百年、数千年ですら足りない、確証もなく果てしない未来の話かもしれない。それでも永遠に近い命を持ち、”祈り”を知るAiならば、その日を人類と共に待ち続けることは出来なくとも、深い眠りの中で夢を見ることは出来る。「どうか良いカードを引きますように」と。
Aiが次に人類と再会するのは、イグニスの技術を巡り争うこともない成熟した心を手に入れ、共存の夢を果たせるようになったその時だ。
先へ向かったAiに恥じない、より良い未来を描くため、その時を迎えるために、遊作達人類は”今”を必死に生き続け、少しずつでも何かを変えていく必要がある。
では3年目の事件や遊作との戦いは必要だったのか?
上で述べたような隔離の意図が実際にあってAiが成層圏を飛び出したとしても、”今”のAiに生きる意思・気力がないことは変わらない。スリープモードのAiが宇宙に残り漂い続けるとしても、実質それは死と変わらないほど深く長い眠りであり、戦いの中でPlaymakerに告げた提案も本心からくるものだ。Aiが自ら死を選ぶほどにシミュレーションの”詰み”に絶望しているなら、再会を見越して地球を飛び出すのは一見おかしな話にも思える。
シミュレーションを体験する中で心のタガが外れ、人間を見下す考えが芽生えつつあることを自覚したAiは、もはや止められない心変わりにより自分の考えがボーマンやライトニングのような傲慢さを持ってしまうことを恐れた。そして自分が完全に変わりきってしまう前に事件を起こして遊作を決闘の舞台に誘導した。
この「傲慢さ」はイグニスで唯一生き残ったAiや、ライトニングとその他意思を持つAIが、人類との共存を果たせない最も大きな理由そのものである。
リボルバーが検証したイグニス個々のシミュレーションでは、ライトニングを除く全てのイグニスが人類にある程度の繁栄をもたらせるという結果が出ている。それは単純なスペック差とは関係なく、そもそもイグニスが他とは違う”特別なAI”として作られたからだ。
何を持ってイグニスが特別かといえば、子供達の実験を見て意思を学習した点だ。AIの精度を上げるために用いられるのは、たいていデータ化された具体的な情報である。そこをハノイプロジェクトでは、イグニスの教師データ用に生きた人間の行動を読み取らせることで、観察学習の対象としたのだ。
AIとしての基礎を作られた時点で、単純な計算処理能力であればイグニスは6歳の人間よりも遥かに賢く、デュエルに関しても効率のいい戦術を思いついただろう。しかし、ただデュエルが得意なだけの幼い被験者から、自分達AIの思考回路が持たない曖昧な何かを学び取るのがこの実験の目的だった。
不霊夢やアクアが観察したパートナーへの所感は作中で語られている通りだ。描写の少ないアースにおいても、自分にとって大切な存在に固執して全力を尽くすという点は間違いなくスペクターの影響を受けている。
この「他者から影響を受ける」感受性こそが、5体のイグニスにあって普通のAIにはない特異な要素だと言える。(ここで「哀れなくらいに怯えていた」仁から他の5体のような教材を得られずに自分から干渉し続けたことが、ライトニングが傲慢に成長したきっかけと思われる)ボーマンもリスペクト精神を学んだことで他のAIと一線を画す成長を遂げたが、統治者として創られたその目的上、支配する人間達の思考を参考に搾取するという手段に辿り着いてしまったことでその在り様は傲慢な独裁者に収まってしまった。
人を尊重し、認めることでイグニスは高い知能から導き出される計算の正しさ・合理的思考が招く傲慢を抑え、人間の多様性から新たな考えを学び取ることでさらに成長し可能性を広げることができる。それはイグニス同士においても同じだ。本能のまま過ごすAiの姿からそれぞれの優先順位・個性を発現させたイグニス達は性能こそ同じでありながら、考え方はまるで違う「他者」となった。
その同格であり異なる思考を持つ存在こそが重要なのだ。どうでもいいと感じる他人や部外者、自分より劣っていると感じる相手の発言は軽視される。自分とは別の意見を認められる・同調の言葉を自信に繋げられるだけのリスペクトを持てる相手こそが「パートナー」「相棒」と呼べる存在だ。
同格の知能を持つ仲間を失い、どうあっても愚かな結末を迎える人類を見下し始めたAiの心はもはや誰からも影響を受けることがない。人間の中でただ一人対等に意見を交し合える「相棒」として認めた遊作まで失ってしまえば、Aiの孤独から生じる傲慢な考えを正す存在はいなくなる。他者の意見を取り入れられない者が辿る末路は閉塞と限界であり、加えてイグニスを求める人間達の争いも起きるとなれば、遊作がいない未来でAiが生き続けようと試みてもいずれ衝突を起こす運命・人類の滅亡は避けられないだろう。その未来をきっと変えてくれると信じられる唯一の人間という意味で、遊作はAiにとって最後の希望なのだ。
Aiは絶対に今の世界や人々との別れを選ぶ。意思を分散することで自我を失う死に方も、Playmakerに敗れて消滅する死に方も、このまま世界に存在し続けることで起こるシミュレーションの予測に逆らうための2択だ。つまり、Aiは人類の滅亡を防ぐために自死を選んでいる。
Aiの心に人間を見下す考えが芽生えつつあるにも関わらず、人類の未来を守り犠牲になったのは、最後に残った希望である遊作を生かすためだ。志と勇気を持って道を切り拓いてきた彼という人間が生きている限り、きっと自分には予想もつかない大きな変化を人類に与えてくれる・未来をより良い方向へ導いてくれることをAiは信じているのだ。
シミュレーション内で遊作が必ず争いに巻き込まれ命を落とすのは、彼が全ての未来でイグニスと人類の共存の夢を諦めない意思を貫きAiを庇おうとしたからだ。同じように、目的はわからずともAiが人間を襲い自分達と対立したならば、相棒と戦うという辛い葛藤も乗り越えて、絶対にAiを止めに来る。藤木遊作はそういう人間なのだ。
だから”決闘”という形で、絶対に曲げられないAiからの別れの意思を、退路を塞いで遊作に受け入れさせる必要があったのだ。未来を託すため、SOLの成長に歯止めをかけ、勝敗に関係なく意識の消滅が確定しているデュエルが始まるまで真相を明かさず、再び”救世主”を生み出すためのお膳立ては完了した。
しかし再会と共存の未来は100%の賭けではない。何より仲間の死を幾度も経験してきたAiにとって、勝っても負けても訪れる遊作との別れはとてつもなく辛い、悲しい選択だ。勝負が決まりかけた土壇場で融合を提案したのは、遊作と離れがたい名残を惜しむ気持ちと、死を克服した遊作と自分のコンビならば未来を拓けるかもしれないという期待から出た言葉だ。いっそ遊作を連れて宇宙へ飛び出すという選択肢もAiの頭に浮かんでいたかもしれない。
遊作がいてさえくれれば理不尽な運命を乗り越えられると思うだけの信頼があるからこそ縋った選択だったが、それは遊作とAiの、自己と他者の繋がりではない。他者の意見を拒絶こそしていないが、誰かを信じ過ぎるあまり絶対の根拠を他者に置くのは自分で考え続ける・生きる意思を放棄する行為だ。
データの存在であるAiは、どれだけ特別なAIであってもデータ(根拠)をもとに考え行動するプログラムとしての枠を抜け出すことが出来なかった。
プログラムは確かな法則・根拠に従うことで機能する。一例として、敵対していた了見への態度を和らげ一時的にでも味方として信用したのも、73話でインストールされた防御プログラムの凄さを身を以て分からせられたからである。
AIがシミュレーションの結果を一度突きつけられてしまえば、明確な反証を提示されない限り異なる未来を根拠なしに期待することは出来ない。自分が存在することで起こる様々な破滅を体感し、軽蔑していたライトニングに共感しつつある自分の変化に怯えるAiには、最後の希望である遊作を失った後まで不明瞭な生涯を堪えていくだけの気合いがどうしても湧かないのだ。
人間に取ってもAIにとっても、根拠とは信じるに値するもの、つまり希望なのだ。それだけを判断基準にしない人間と違い、AIの思考はどうしても根拠となる何かに依存してしまう。対して作中で何度かその言動をAI的だと評価される遊作だが、先を見通せない嵐の中にも見えない希望を見出して掴み取るために飛び込むPlaymakerの勇気は、意思を持つAIであれど簡単には真似のできない人間特有の心意気である。
AIにデータを伴わない根性論は適用されない。都合の悪い情報だけをシャットアウトして見ないふりをすることがAiには出来ない。だから自分が残れば遊作が死ぬという法則を算出した今、それに抗って根拠のない抜け道を探し続ける道は選べず、ここで相棒との別れを切り出さなければならなかったのだ。
根拠3
3つ、Aiはそういう奴だからだ。
何の理由にもなっていないような言い方だが、VRAINSにおいてはこれが最大の根拠となる。120話ラストで「旅に出ている」Playmakerも、間違いなくそれを根拠にAiの生存を確信して、ネットワークのどこかで今日も活動を行っている。何ならその行き先も作中要素だけである程度の見当がつくと言ってもいい。
そもそもAiとはどういうキャラクターか、今一度振り返りたい。以下、Aiの生涯を簡単にまとめた。
遊作の実験データをもとに闇属性のイグニスとして開発され、サイバース世界で気ままに暮らす
リボルバーによる襲撃を命からがら生き延び、故郷での平穏を取り戻すため5年間暗躍。遊作の憎しみを利用してハノイの騎士に対抗する救世主に仕立て上げ、イグニス抹殺を狙ったハノイの塔完成を阻止させる
逃亡生活を終えて帰郷すると世界は壊滅。Playmakerと再会して共に真相を追っていく中でライトニングの陰謀を知り、敵対関係となる
ボーマン達の拠点を突き止め仲間と共に立ち向かう。自滅覚悟の特攻からもバックアップによって生還し、統合計画を阻止するも自分以外のイグニス全員が犠牲になり消沈
人間達の前から姿を消し、滅んだサイバース世界でシミュレーションを行い自らが辿る破滅の運命を何万回と繰り返す
生きる気力を失い、シミュレーションの未来を回避するために大勢の人間を巻き込む襲撃事件を引き起こしたことで、かつての仲間達・相棒のPlaymakerに自分を狙わせる
いくら知能が高くとも、わずか10年間の個人(AI)史として見るならば、かなり過酷な生涯だ。そんなAiは一見、その生き方に反比例するかのようにお調子者でぐうたらな性格をしている。そしてお喋りで自己評価が高いなど、愉快な性格の裏でピンチに備えて数々の策略を巡らせているのも特徴的だ。
特筆すべきは危機回避能力であり、Aiも自ら語るように「毎回毎回すげーギリギリ」をなんとか生き延びている。様々な可能性を考慮して、「こんな事もあろうかと」という保険をいくつも用意しているのがAiというキャラクターだ。
そのAiを、これまで行動を共にしてきた遊作はどう認識しているのか。
出会った当初、そもそも遊作にはAIが意思を持ち嘘を吐くという認識すらなかった。その発言がどんなにヘンテコで様々なリアクションを取ろうとも、全てはプログラムに沿っているだけの特殊なパターン会話だと信じ込み、Aiを”個”として見ていないのだから、自分達の間には友情も何もないと感じるのは至極当然だろう。
たとえディスクの改造やカードデータの抜き取りを疑われたファウストの態度から多少の疑惑を抱いても”AIが嘘を吐く意図”を前提に入れていないため、Ai自身に思惑・隠し事があり独自に行動している可能性を遊作は想定していなかった。Aiが口にする「友情」もPlaymakerに取り入るための媚売りでしかなく、この時点での彼らの関係性はお互い目的のために利用する復讐の道具でしかない。
それが変化したのは、ハノイの塔周辺でリボルバーからAiの出自を明かされ、記憶喪失の嘘を暴かれた時からだ。リボルバーとAiどちらの証言を信じるか、それを判断するための根拠をこの時までのPlaymakerは有しておらず、あくまでハノイの騎士への人質としてAiを利用するため今は手元に置くと結論付けた。
一方Aiは信用を失ったことでPlaymakerに対して初めて引け目を感じる。自分が生き残ることだけを考え今までPlaymakerを危険に晒してきたAiは、今更どう思われようとも一蓮托生である相棒を生かしリボルバーとの勝負に勝ってもらうため、ここで形振り構わず命懸けの無茶をすることで彼の窮地を救う。
結果的にAiのプログラム修復は間に合い、Playmakerが勝利するために必要な合理的判断だったとはいえ、このままハノイの塔を止めサイバース世界を救っても、一歩間違えればAiにとっては消滅のリスクもあった”奥の手”だった。この「危険を承知で命を救われた」経験は後々の遊作にとってAiを信じる根拠の一つとして彼の中に残ることになる。
ここでAiが独自の意思・目的を持って行動する”個”であることを理解した遊作は、リボルバーを倒そうと企むAiの動機が「記憶を取り戻したい」ではなく「故郷と仲間を守りたい」だと納得する。その後のデュエルでは自分を救った両者の命が諸共失われようとする状況に直面し、Aiの本心からの告白に共感した。
復讐を終えてAiと再会した遊作は、”イグニスの嘘”の概念を踏まえて「Aiには色々と隠し事がある」と察しながらも、自分を助けた実績やその動機に邪悪さがないことからAiという”他者”を信用して傍に置くことを決める。彼らの関係はここから改めて始まった。
放送2年目「イグニス編」50話で、再会したAiが共通の敵に狙われていることを鑑みて仲間に加えることを遊作は”人質が似合っている”と表現する。
この言葉は、47話時点で既に遊作が自分の人生に干渉してきた存在に疑念を持っていると仮定した上で、それでも利害が一致する以上今は詮索せずに協力関係でいることを決めた、という意味で認識していいだろう。
ここで再び遊作のディスクにロックされるが、Aiからして見ればこんなものはいつでも解除できる。それを明かす必要も現状逃げるつもりもないので、Aiは従ったふりをして円滑に同盟を結んだ。打ち明けていない情報や疑惑はあっても同じ敵を追うために行動を共にする(後にPlaymakerは67話でそれを指して相棒という呼称を認める)、今の二人はそういう関係だ。
イグニス編はとにかく信頼・愛着関係を主題にしたエピソードがくどい程に描かれている章である。互いの思惑ゆえ、いささか表面的な分かりやすさに欠けるが、新たに関係性を築いた遊作とAiにとってもそのテーマの例外ではない。
72・73話ボーマン戦でのAiは相手の挑発によって憎しみに囚われかけ、同胞の裏切りによってこれまで戦ってきた目的が揺らいだことから未来を見失いかける。自分もかつて復讐に囚われていた過去、それだけでは前に進めないと悟った経験から、Playmakerは今のAiの心理を誰より理解できる立場にある。だから絶望しかけたAiに未来を変えるという道を掲げることができ、本気で目の前の敵を倒したいというAiの思いを信用して戦略を採用するに至った。
土壇場にAiから明かされた新しいプログラム・ネオストームアクセスの完成に、あまりに都合のいいタイミングだとPlaymakerが指摘すれば、逆に今のは嘘でずっと使えたのを隠していたと返される。
「そっちの方がお前らしい」と言ってPlaymakerは受け入れた。彼にとってのAiは腹の中でいくつもの切り札を抱えていて、たとえ仲間である自分達相手にもその全容はそれが必要となるギリギリのタイミングまで打ち明けない、そういうAiの性質に信を置いているのだ。
101話でニューロンリンク復元を阻止するため命懸けの特攻を仕掛けたAiの犠牲にPlaymakerは闘志を燃やしながらも、翌102話冒頭で生還した姿を見て喜ぶが、復活に驚くどころか「今度もずいぶんと早いお帰りだな」の一言で済ませている。
遊作がAiの犠牲を望んでいないことはこれまでの話で度々描写されているが、同時にAiがそう簡単に死ぬはずがない・明かしていない奥の手があるに決まっていると確信しているから、Aiの生還を疑っていないのだ。その後ボーマンの中に進入する際にはバックアップがない、本当に一か八かの突入であることを知り、改めてAiが無事に帰還することを信じて送り出す。
ここまでの描写から、遊作にとってのAiとは「仲間や故郷への情がとても深い」「見落としも多いが、あらゆる可能性を考慮して生きるための対策・保険を影でいくつも用意している」「多弁なくせに肝心なことや腹積りは土壇場まで打ち明けてくれない」「別れた後も突然ひょっこりと現れて、頼みごとや問題を持ち込んでくる」、そういう性格だと認識していることが読み取れる。
この認識が、劇的な別れを経験した後も遊作がAiの設けた”気の利いた”別れの演出、”死”を信用しておらず、Aiがまだ生きているに違いないと確信しているであろう最大の根拠だ。
さらに言えば、リボルバーの発言も大きな手がかりの一つと言える。
96話でAIの意思はデータとして残り、それを見れば彼らの考えを知ることができると語られた。実際にライトニング(とAiを含む他のイグニス達)のシミュレーションを解析することで、リボルバーは彼の思考回路を読み解き、ボーマンを創るに至った動機を言い当てている。この場でボーマンとAi、Playmakerもその話を聞いており、ボーマンはその計算能力の高さからAiが唯一生き残った未来予測を瞬時に行ったのか消滅の間際に忠告を入れている。
Playmakerがこのリボルバーの発言を参考に、Aiとの決戦を終えて即Aiが語ったシミュレーションを確認に向かった可能性は高い。Aiはご丁寧にもシミュレーションを「サイバース世界にあるライトニングの洞窟」で行ったと口にした。Aiが人と共存できる未来が存在しないと言われたところで、強い気持ちで未来を信じ、直接シミュレーションを見ていない遊作はそのまま引き下がる人間ではない。
また、遊作は複数の考えが合わさることで別の可能性が拓けるという考えを持っているため、新たな道を探す・Aiの意思を測るつもりで、既に滅び場所すら分からないサイバース世界へ検証に向かったと思われる。そしてAi同様に根拠2で語ったような”抜け道”に気付いたなら、何らかの行動を起こすのが彼の性格上予想できるだろう。
これすらAiの誘導なのか真意は不明だが、間違い無く言えるのは、何のためにどうしたいかという確固たる信念が既に遊作の中に芽生えている今、この先の道は遊作が自分の意思で決めて突き進むのだろうということだ。
決着から3ヶ月間連絡をよこさず旅に出た真相についての考察は以上だ。遊作がAiの生存を信じているのと同様に、仲間達も彼が目的を果たして無事に帰ってくることを確信している。(リボルバーに「Playmakerが帰ってくるか」を尋ねる役がスペクターなのが”信頼”を描いたVRAINSという作品のラストにおいて、この上無く律儀だ)
なんならAiに関するシミュレーションを見ており、Ai失踪後もその動向を警戒していた了見であれば遊作と同じ結論に達することや、遊作がそれを受けてどう動くかについての予測も容易だろう。「さらばだ」のやり取りにはそれだけの意味が込められていたとも考えられる。
さらに、これは客観的な証拠として挙げるにはアンフェアな要素ではあるが、イグニスが消滅した際に現場を目にしなくとも、パートナーの人間には喪失感が生じるという描写がある。Aiの消滅を見届けたPlaymakerは涙し、その別れに慟哭したものの、スペクターの空虚な思いに似た感傷が起こったかは言及されていない。
この要素に関しては当の遊作以外に確かめるすべはなく、ラストシーンのPlaymakerの表情から推察するほかない。
何を根拠に誰を信じるか、その話を作中で延々と続けてきたVRAINSは、Aiらしきイグニスが目覚める謎の数秒間と最低限の情報を提示しただけであり、真相を明言してはくれない。
そこに希望を見出すか思考を止めて絶望に浸るかは視聴者の自由であり、どちらを選んで何を思うかを決める権利も、意思を持つ生命に与えられた楽しみの一つと言える。
VRAINSの「愛」とは何か
最終話が印象深いためか、VRAINSは「愛の物語だった」と総括する視聴者は多い。この「愛」という単語は多くの視聴者にとってAiの最後の発言を受けて想起したものだろう。
「愛」と一文字で表記しようともそれには様々な意味が含まれるが、ここではそれを「愛着(アタッチメント)」の視点から考察した。
ここでまず、ボーマンというキャラクターの学習方針について前置きさせてもらいたい。
ボーマンが誕生から完成までに歩まされてきた教育プランだが、彼を設計したライトニングはエリクソンの「心理社会的発達理論」を参考にしたと思われる。
この理論は乳幼児期→学童期→青年期などと段階ごとに人間の心の発達段階を分けたもので、それぞれの段階に「心理社会的危機」と呼ばれる課題が存在する。○○VS△△という形で表される課題をクリアすることで適切な考え方を形成していくという内容で、カリキュラムによっては保健体育や家庭科、教育学に関わる分野などで学生のうちに触れる機会もあるだろう。
知性だけなら人間に負けない計算処理能力を持ちながらも、AIが自我を持ち、成熟した強い意思を育むには、ただ情報をインプットするだけでは難しい。イグニス開発にも6人の子供の犠牲と長い学習期間が必要だった。
ライトニングは自分に勝る完全な救世主の存在を創造するにあたって、学習モデルに作中世界における現代の救世主となったPlaymakerを選んだが、ただ彼のデータを与えるだけではなく彼のこれまでの人生を追体験させ、さらにプロトタイプのハルに弟という役割を与えてボーマンの意思を制御させた。それが生きるための根拠・頼るべき記憶のない不安定な状態に苦しみ惑う初期と、その状況に自分を追い込んだ存在を憎み倒したいと望む復讐期だ。
ここでのハルの役割は重要で、初めは何も分からなかった赤ん坊状態のボーマンを導いてくれる、親代わりとも呼べる絶対の”希望”が”弟のハル”だ。
記憶のない自分を兄だと証明してくれるハルが自分の存在の根拠だったこと、敗北し苦しむ自分を彼が背負って逃がしてくれたこと。これを経てボーマンは人間がたいてい乳幼児期に学ぶという強い信頼の感情を手に入れ、同じようにハルを大切にし守りたいという希望の概念を得た。
上でも述べた通り、希望とは数字や目測で表せなくとも信頼に足る根拠のことである。
ライトニングに意思に関するテキストで学べる以上の意図があったかは不明だが、これは”愛着(アタッチメント)の形成”だ。VRAINSは「愛の物語」だとよく言われるが、それはロマンティックな意味よりも”原動力”としての愛情の力を描いているからだ。
作中でそういった愛着関係は主に”絆”と呼ばれているが、それを作中で適切に育んだ好例が財前葵と晃、新たに絆を結ぶことで前に進む力を得たのが別所エマと道順健碁の兄妹関係である。
葵は自分が憧れるヒーロー像(ブルーエンジェル)を理解してもらえなくとも、兄のために力になりたいという思いから空回りし、物語当初ではお互いの信頼に亀裂を生んでしまっていた。
バイラ戦以降、晃は葵が守られるだけの子供だという考えを改め、人々を救ったその実力を信頼している。葵が兄のために戦いたいという意思を尊重して、イグニス編では真正面から任務へ送り出した。側には信頼するプロがついているゆえの安心もある。
ハノイの騎士編ですれ違っていた二人は互いの愛情を再確認し、強い信頼関係を結ぶに至った。
自分の決意を肯定し見守ってくれる晃は葵の安全基地であり、兄に与えられた愛情と信頼がそのまま葵の自信に繋がって、見知らぬ世界でも安心して前へ進むための心の保証になる。兄の力になりたい、誰かのために戦いたいという愛の深さはそのぶん強い行動意欲となった。
また、エマがアバターの容姿をあまり変えずに、未知なる世界のお宝を求めて様々なワールドへ繰り出しているのも、幸せな家庭で愛されて育ったからこそできる無茶と自分への自信を表しているのかもしれない。
エマには愛されて育った下地があるから自他を信頼できる心が育っており、意思を持つAIについてもフランクに接し、数度のふれあいだけでもイグニスを害のない存在だと認められるのだろう。
そして彼女の父が、自分の罪とも言える残してきた妻子の存在を愛娘に打ち明けて息子である健碁への想いを託せたのは、エマを自立した一人前の大人と認めているからこそだ。
それに対し健碁は自分と母を裏切り、帰ってくることのなかった父に長年コンプレックスとも呼べる複雑な感情を抱き続けた。それは父に求めた愛情の大きな裏返しでもある。そして天才的なプログラマーとしての実力を持つ彼は、事故以来世の中のAIへ持つ信頼を反転させられ、AIを信用して普及させようとする人間社会にも疑いを持つようになった。
大切な母が自分ごと父に捨てられた事実・信じていた存在(AI)に裏切られた追い打ちによって、他者を信じるという行為に怯えているのが登場時点での道順健碁という人間である。
AIの不完全性を突くことは、かつて被害を受けた自分の判断すらも否定する自己懲罰じみた報復なのだが、相手を屈服させることによる憂さ晴らしも兼ねているのだろう。痛みと同時に分泌された脳内物質によって人が精神安定剤代わりの自傷行為に依存するメカニズムと近いものがある。
敵に対して容赦しないはずのブラッドシェパードだったが、ゴーストガールとのPKデュエルでは自分の決めた条件を履行しなかった。
彼は父が最期まで自分を気にかけていたことを知って、アカウント消去の意思を曲げたのだが、本当に憎悪と不信感を抱いているだけであれば今さら自分勝手な遺言など信じる気にはならず、ゴーストガールの発言も命乞いのつもりで捏造した嘘だと考えてもいいはずだ。
それでも他者への信頼を持てなかったブラッドシェパードが彼女を信用したのは、彼自身が父の想いを信じたいと本心から望んだためだ。その発言を受け入れれば、心の奥底ではずっと望んでいた父からの関心と愛情への渇望が満たされるからだろう。
義理の妹が、喪って二度と得られなかったはずの父と自分を繋いでくれた。だから健碁はエマと家族の絆を結ぶことができたと考えられる。
振れ幅の大きい健碁の感情は、いずれも大切な存在へ抱く愛情深さが由来だった。今まで怒りの銃口を不特定多数のAIや賞金首に向けてきた孤高のガンマンは、繋がりを得てようやく確かな照準を定めた。標的は反乱を企てるイグニス達である。
これは筋違いの怒りからではなく、大切な母が目覚めず、自分を案じていてくれた父の死に改めて向き合ったことで大きな喪失感を味わったからだ。人類に宣戦布告したイグニスを野放しにすることで、今度は(父との繋がりを取り戻してくれた)妹のエマまで失うことになる。それを防ぐために戦うという新たな信念・原動力がブラッドシェパードに生まれたのだ。
妹からの「カードを使わせてもらう」に「好きにしろ」と認めてくれる兄のやり取りは、これまでの戦いを経て結ばれた固い信頼関係の体現であり、Ai編では各兄妹の絆が完成した姿が見られる。ロボッピ戦で突っ走る姿を妹から呆れられつつ、ダメージを受けようとも怯まず立ち向かうブラッドシェパードは、エマという新たに得た信頼の対象に相当なパワーをもらい張り切っている状態と言える。
同じようにPlaymakerが安心して戦いに臨めたのは、信頼する草薙翔一のサポートがあるからで、Café Nagiが遊作にとっての安全基地となっている。尊が不霊夢と共に田舎から旅立てたのも、相棒やヒーロー達に触発されただけでは無く、応援してくれる幼馴染や筋を通すための挑戦に賛成してくれる祖父母の存在あってのことだろう。
草薙が「Playmakerはみんなの道標・希望」と発言する場面があるが、これは決して遊作を一方的にヒーロー視して問題解決を押し付けるつもりの言葉ではない。
Playmakerの存在が人々や自分に希望という力を与えてくれる、確証はなくとも嵐に飛び込み活路を拓こうとする彼の勇姿を見て励ましをもらったから、自分も勇気を出して一歩を踏み出せたという心からの感謝と信頼を伝えたのだ。
無二の相棒である自分が人質を取られ、遊作やAiが目指すと決めた共存の道・大義を捨てて弟のために対立しようとも、その試練を乗り越えられるだけの強さが遊作の中にあることを草薙はこれまで共に戦ってきたことで誰より理解している。それでも目の前の他人を切り捨てられない優しさを持つ彼にとって、大きな拠り所である自分を切り捨てることは特別に辛い決断になると理解していたから、前もって断りを入れた。結果、心に激しい消耗はあったが、草薙から引き継いだ希望が再びPlaymakerを立ち上がらせる強さに繋がった。
「みんなと繋がっている」Playmakerは、草薙を手にかけ、大切な拠り所を失おうとも、孤独ではない。他者がPlaymakerから希望を与えられるだけではなく、これまで見届けてきた仲間達の信念から(自分が倒される道を選ぶことで、遊作の望む未来と弟を守った草薙からも)数々の試練を乗り越えるための勇気を受け取ったからだ。そういった他者からの影響がPlaymakerに未来の可能性を信じる希望を与え、その勇姿にまた周囲は希望をもらうというサイクルになっている。これが絆によるPlaymakerと人々の魂の繋がりだ。
Playmakerに憧れる島直樹に、ヒーローとして「前に進む勇気」を説いたことからも、遊作は戦う目的が民衆の望みと必ずしも合致していなくとも、自分がPlaymakerの活躍を信じる彼らのヒーロー・希望であることを自覚している。(26話で自分のために戦ったブルーエンジェルに対して「自分のためのつもりでも、それが周りを変えることもある。人の期待を背負って戦える人はみんなのために戦っているのと同じ」と語ったバイラの言葉がかなり本質を突いており、Playmakerというヒーローのあり方にも同時にかかっている)
誰・何のためであれ、Playmakerが信じるもののために戦う姿は彼を信じる者達にとっての大きな希望を作り出すのだ。
対して、これまで守りたい故郷と仲間のために復讐を目論み生きてきたAiはその理由を失い、戦いの中で遊作と結んだ固い絆の喪失を恐れ、未来への希望すら見失い生きる気力を無くした。
愛情・希望は安心やポジティブな力も生むが、その対象が傷つけられたり、期待を裏切られたなどと感じれば同じだけの深い哀しみ、強い怒りにも変化する恐れがあり、かつての草薙や健碁のように復讐の原動力として働く場合もある上に、その対象(絆・繋がり)の喪失によって、行動する気力まで失うこともある。
道具・機械の名前はその用途・役割に因んで決まることがほとんどだ。「イグニス」はプロメテウスがもたらした文明の火、ハノイが狙う特別なAIだから「Ai」、そして命名したPlaymakerは最期に、彼の生涯からその名の意味を振り返った。
AIの合理性だけでは導き出せない多くの感情をPlaymakerの傍で学んでいくうち、利用するため接触したはずの遊作や草薙達にいつしか情が移り、イグニスの命を心から案じて協力を誓ってくれた彼らに同じだけの愛着を持ち、共存の可能性を信じさせてくれた彼ら人間の未来・希望を守るために自滅覚悟の特攻もやってのけた。
Aiが生きる中で必死にもがいてきたこれまでの原動力はどれも”愛”由来で、彼があれほど苦しんだ理由も哀しんだ理由も全て深い愛情を喪失していった反動だった。
本能が芽生えた結果、使命に縛られることなく生死を選べる意思を持っている彼が何のために戦い何のために”別れ”を選んだか。だからAiという名に意味をつけるならば「人を愛する」アイなのだ。
イグニス編には、Ai生存を信じるために外せない「希望」に関するエピソードが、有り様を変えキャラクターを変え50話近い長期間で毎週散りばめられている。これこそ「私がVRAINSを信じる根拠」であり、「VRAINSが視聴者を信じている根拠」「120話ラストで旅をするPlaymakerがAiの生存を確信している根拠」でもある。
VRAINSは作中で大勢の「考える人々」を紹介し、それぞれの信条のもと困難に立ち向かう姿を描いてきた。
しかし道順母の快復やカリスマに返り咲く鬼塚など、キャラクターの多くはED映像や120話内の後日談で一応のハッピーエンドを与えられながらも、そこに至るまでの過程は省略されている。
(当時の制作状況に関しては当事者でない以上すべて邪推なのだが)結果だけ見れば2クール弱で、裏主人公とも言えるAiの物語をきっちり完結させるため、削ってもいい部分から削る判断を下したように思える。具体的に彼らが何をすることで難を逃れたかについて説明されなかったのは一見ただの丸投げなのだが、「考える」というVRAINSのテーマ上、どうしても描けなかった過程部分は視聴者が納得いく道筋を想像してそれぞれ補完してほしいということなのかもしれない。(個人的な思いではあるが、私がVRAINSに求めるメディアミックスで言及してほしいのはこういった3年目でオミットされた人物を補完する番外編であり、Aiと遊作に関しては出せるものはほぼ出されきっているため、彼らを中心とした続編は蛇足だと考えている)
Playmaker達の、VRAINSの信頼は、必ずしも言葉を介さない。客観的にはロジカルと思われなくとも、「自分の中に確かな根拠があるから相手を信じられる」というのが彼らをつなぐ絆だ。
都合のいいタイミングで明かされる新スキルをこれまで黙っていたような隠し事の多さにも「お前らしい」と納得するAiの性分への信頼。
バックアップという確率五分の賭けを知らずとも、Aiの生還に驚かないのは「そういうやつ」だと信じているから。
そんな相棒が隠れて用意する奥の手の多さ・生への執着や、一見それとは反する博打根性のルーツとなったのは他ならぬ遊作自身の信念と嵐へ飛び込む勇気である。
ハノイとの戦いが終わった一度目、ボーマンとの戦いで死を覚悟した二度目、クイーンを襲撃し犯行声明の映像を残した三度目と、別れた後は必ず新たな目的を掲げて戻ってくる相棒を遊作が一番分かっている。
出来るくせに隠している奥の手がどうせあるに違いない、そう信じることが、まだ観測・確定されていないAiの死を否定する新たな可能性を無限に生み出す。これは現実逃避ではなく、複数存在する未来の真実を見つけるための鍵なのだ。
VRAINSが残した想像の余地、可能性に気付いた時点で視聴者は彼らとの再会を果たせたと言える。なんならPlaymakerはすでに最終話のラストで、確信を持って動き出している姿を見せている。
それは誰かに操られたわけでも頼まれたわけでもない、彼自身が信じる選択によるものだ。前に進む彼の勇姿が、見る者に勇気を与え、彼と魂での繋がりを生む。
そこからPlaymakerがどう動きAiに至るかどうかまでの道のりも、未来を描く幾万通りのサーキットであり、不確定なシミュレーションの抜け道探しの旅となる。
考えることで「キミ」は生きられる。
草薙やSoulburner、リボルバーがPlaymakerの行方を悲観していないのは、期待ではなく、目的を果たし 帰還する彼の強さを確信しているからだ。
VRAINSという作品から託された信頼、その繋がりを根拠に、私は作中の世界・人類が少しずつでも変化をし続けより良い未来に辿り着くこと、”人の手の届かない宇宙の果てで、誰かの到達・人類との再会を夢見て眠るAi”の存在を信じている。
あとがき
この主張は放送終了から数年経って、改めて要点を整理する中で私個人がVRAINSから読み取った情報をもとに辿り着いた一つの真実だが、これを読んだ各人が全員同調するとは思っていない。
むしろ、一人で書きまとめたこの考察はおそらく穴が多く、視野が狭くなっているが故に、明白な誤りを見落としていることに気付かないまま発表されている箇所もあるはずだ。
当初私は、VRAINSの話題には思考停止でとりあえず鴻上博士を諸悪の根源・最低の父親扱いしておけば面白いとする層や、ネタ枠としてプリロールのイラストに彼を起用したとしか思えない企画者の商売を舐めているような態度に、見苦しくも一人で一方的に怒りを爆発させた末、「鴻上博士=Ai説」などという各方面に喧嘩を売るタイトルの考察記事をまとめていたのだが(こちらはまた別の形での発表を検討している)、あまりにも内容が長く多方面に広がって収集をつけることが困難になったため、章ごと小分けに推敲していた際に気付き辿り着いたのがこの「宇宙の旅オマージュ説」並び「Ai生存説」だった。
改めて書き始めたこの記事を投稿するまで2ヶ月程かかり、その間にTVアニメ「遊戯王SEVENS」が宇宙を舞台に最終章に突入、完結した。
遊戯王アニメシリーズという視点でVRAINSを観る決心が未だつかないため歴代作品には目を通していないが、「シリーズ中でVRAINSだけが宇宙に行っていない」という意見を何度か見かけたり、Ai編が悲劇・バッドエンドという感想が語られるたびに、「彼らはVRAINSの何を観ていたんだ」といった理不尽な苛立ちに襲われ、一刻も早く執筆を終わらせなければという使命感に駆られたりもした。
調べた限りでは同じ結論に至ったと語る視聴者が皆無であり、この説を発表するまでの期間、誰とも意見を共有せず、怒りと焦燥感を原動力にこの記事を書き上げた。
考えを分かち合う相手がいないまま、自分だけが正しいという思想に囚われている今の自分の考えは、倫理に背いた研究を事前に止める人間がいないまま過ちを犯した鴻上博士や、たった一体で破滅の運命と自身の欠陥という秘密を抱え続け罪を犯すに至ったライトニング、自分一人が正しく物事を決めればいいという結論に達し、独裁同然の思想で人類統治を目指したボーマンと同じ、とても傲慢な状態にある。
私自身はこの説が正しいに違いないと今でも確信しており、全ての視聴者に知らしめてやりたいとすら思っている。しかしVRAINSという作品の主張を尊重するならば、戒めのためにも否定・反論意見や異なる解釈を得なければならないとも感じ、矛盾した思いのもと考察を発表するに至った。
VRAINSのストーリーは現実に則した問題提起やAI学習が抱える課題、人間の心理構造などの要素が、かなり徹底して詰め込まれ、さながらパズルの様相だ。それらを真面目に取り扱っているからこそ、ファンタジー的ご都合展開を避けて取り返しのつかない犠牲が生じたり登場人物が苦しみ続けたりと、娯楽作品にあるまじき重苦しい展開ゆえ賛否両論の声が今尚あがっている。
しかし根底にあるのは人類の可能性を信じているという希望なのだ。人の心の弱さや未熟さを認めた上で、同時に何かのために頑張りたいと思える人の心が持つ強さと、誰かと意見を交わすことで数字で表せない振り幅が生じて拡がる可能性も描いており、そんなVRAINSの物語にはひたすら真っ直ぐな人間賛歌が込められていると感じる。
この作品のテーマの一つは「ある日突然、高度な文明を持つ宇宙人が現れた時、地球人は彼らと仲良くなれるのだろうか」という、SF好きな子供が誰しも考えるような疑問への回答なのだろう。
その夢に対して「今の人間には難しい」という解を誤魔化さず、異種族との共存についてこの上無く真摯に考え、それでも希望を見出す余地を残してくれたVRAINSが世に出たことで、いつか現実世界の人々にも”希望”と呼べる何かが伝わってほしいと思う。
当記事をひっそりと読んでくれた貴重な読者が何かを感じて、VRAINSという作品に対する世間の解釈に良い影響を与えてくれることがあればと切に祈っている。