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私が育った変な家庭〜親は愛と金〜


私が育った変な家庭
〜親は愛と金〜

突然ですが、私は僧侶の娘です。
私の家庭はお肉も食べますし、魚釣りもします。殺生をしないのではなく、有り難い事として命を頂戴して暮らしています。
寺暮らしとは言えど、皆様と同じ生活を送っています。

私の両親は幼い頃に離婚しました。
親権は父に渡り、私は寺に引き取られ、私は父親と祖父母、そして伯母に育てられました。

お坊さんの離婚はお寺あるあるかと思います。

決して僧侶の煩悩のせいではなく、奥様がお寺の文化に馴染めずに離婚するという、我が家も漏れなくこの典型的なパターンでした。

その後、父は別の女性と再婚をしました。
その女性は以前からの知り合いでした。それに、新しい母親には私より年上の娘がいました。その娘とは友達として付き合っていましたが、お姉さんとなりました。

本来なら娘たちが反発してもおかしくない家庭です。思春期真っ只中で、難しい年頃でしたから。
しかし父が、私と義理の娘にしっかり教育を施し、時に厳しく世話を焼いてくれたからこそ私たちは真っ直ぐに育ったと思います。


しかし、
父からの厳しい躾と愛情だけで
私たちがまっすぐ育ったとは言えません。

なぜなら
その後、父はまた離婚したからです。
姉とは戸籍が離れ、
再び他人となりました。

それでも私たち姉妹は
真っ直ぐに育ちました。
我々は大人になっても
良好な関係にあります。

だから言える。
子育てに大事なのは、
なによりもです。

私の家は田舎の少し歴史がある寺なので、食うに困らない家庭でした。
私を幼少期から習い事に通わせたのはもちろん、途中から家族になった姉とは戸籍を別ても大学まで支援をした父。
やはり金銭的余裕がありました。

もちろん、お金が一番大切ではありません。
親子の間には代え難い愛がある前提で、それでも必要不可欠なものがお金なのです。
父がどれだけ愛情を込めて育てても、お金を出し渋るなら私は父に愛想を尽かしていたに違いありません。だって、どれだけ父の人生に私が振り回されたことか。

逆に言えば、ここまで家庭を不安定にしながらも、娘は真っ直ぐに育ち、最終的に寺に帰って来た実績が父にはありますから。

娘を留まらせた父が施した金額は知りませんが…

もはや脛齧りどころではありません。

今でも家賃光熱費を払わず、おんぶに抱っこで暮らしている私ですから、父に文句の言いようがありません。
そしてユーモアもあり、2人で飲みに行く事もよくあります。
有り難い親です。

以上に書いたお金は、多ければ多いほど良いというわけではありません
尽くせる範囲内で子供に投資すると、
子供もまたそれを察知する、という話しです。


私が父のそばにいるのは
父がとんでもない親バカで、
時に厳しい人だからこそです。

なぜなら
父からの測れない愛情を痛感し
測れるお金もたくさん注いでくれた、
そして
父が尽くして育てた娘であると
私に自覚があるのです。

そして
私は自分の子供にも父と同じく
愛と金を惜しみなく与えることを誓います。
それが、父に対する恩返しだと思って。

(…そんな愛娘に彼氏ができた話はまた今度)

女・著

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