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真面目な私がバイオレンス映画を観たくなるとき。

自分の内側から、何かが勢いよく飛び出そうになる感覚
私は時々それに襲われる。

悔しさ、情けなさ、もどかしさ…そういう激しい感情が、胸の中で大きく膨れ上がって。
喉の奥から、普段は出ないような苦し気なうなり声が漏れ出てくる。


同時に体の底の方からは、薄っぺらい洗面器なんか簡単に真っ二つにできそうな強い衝動が、めらめらと湧いてくる。

それを抑えようと力を込めるとどうにも胸が詰まるから、思わず握った拳を鏡に押し当てて、その鈍い痛みに息を吐く。

そして思う。
「あぁ、自分は、こんなにも醜いのか」と。


自分で言うのも何だが、私は普段、優しく善良な人間であろう努めている。
めったなことでは怒らないし、人一倍周りに気を使って生きているつもりだ。

激しい感情をあからさまに表に出すのははしたないと思うし、ちょっとくらい嫌なことがあったって、好きな音楽でも聴いて慰めるのが常だ。
すぐに激情にかられる自分を愛せるほど、私は自分に自信は持てない。


だけどどうだ。
前方を見ると、今にも人を殺しそうな目をした人間が、肩をかすかに震わせながら拳を向けているじゃないか。
まるで知らない人に会ったみたいだ。激しい感情に取りつかれたら、人はこんなにも目の色が変わるのか。


なんて恐ろしい。
自分の中に見知らぬ攻撃性が生まれるのを感じるのは、とても怖い。
信用していた自分自身に、裏切られたみたいだ。


確かに今日は全てが上手くいかなかった。
計画していたあらゆることが思ったように進まなくて、自分も周りも嫌になった。

そこで、激しい感情の竜巻が起こってしまった。普段はしんみりと落ち込むことの方が多いから、こんなのは久しぶりのことだった。


何かを攻撃したい。
大声をあげたい。
自分を傷付けたい。



自分から出たものとは思えない危険な衝動が、私の目を変えさせる。

それがとてつもなく怖くて、普段の自分に申し訳なくて、でもそれと同時に普段の自分を越え出たことへの快感のようなものも感じてしまって、そのことにまた気分が悪くなる。


そんな風に、ぐわんぐわんと揺れながら色々な気持ちが浮かんでは消えるけど、やがて一つの単純なことが確かな輪郭を持っていく。

それは、「私が思っているほど、私はきれいな人間じゃない」ってこと。

そう思うと、なんだか不思議と息がしやすくなった。
そうだよね。
私にだって、残酷で、独りよがりで、ずるくて、攻撃的で、醜いところはある。

「完璧できれいな自分」を求めるから、嫌になるんだ。思うように上手くいかないことにも、荒々しさを露呈した自分自身にも。


そうしてしばらく自分の目を鏡越しに見つめた私は、ふと思い立って『時計じかけのオレンジ』をぶっ続けで観た。
なぜだか、あれを見るなら今だと思った。

キューブリック監督の映画を見るのは、ホラー作品の『シャイニング』以来だった。

本作にも暴力的でショッキングなシーンがあると聞いていたから、中々見る勇気が出なかったけど、今なら見れる気がした。

自分の中の攻撃性を認めた私がバイオレンスなシーンを見てどう感じるのかを知りたかったし、トラウマ級の映像によって、心の嵐を鎮めたかった。




結論を言うと、確かに怖くもあったけれど、終わった頃には何だか胸の奥がスッキリしていた。

ニヤリと笑う主人公が、私よりもずっと残虐な目をしていたからかもしれない。
不安を抱えた人は、自分よりも極端な他人を見ると安心するものなのだろうか。


彼は、私の中で絡まっていた熱い毛糸玉のようなものを、陽気に歌を歌いながら、ナイフでズタズタにして蹴り飛ばしてくれた

彼が人々にもたらすバイオレンス、そして逆にもたらされるバイオレンスは確かに恐ろしかったが、そこに私は自分の中から出てきた衝動が吸収されていくのを感じた。

鈍器が皮膚に当たる音、苦しむ姿、不穏な音楽、派手なオブジェ…

それらが画面の中でギラリと輝く様子を観ているうちに、私の心はだんだん浄化されていった。


さすがは奇才のキューブリック監督。
自分を真面目に律している時に見たら気分が悪くなるような演出かもしれないけれど、そこには高い芸術性すら感じられる。

私は初めて、バイオレンスな映画の魅力が分かったような気がした。


おそらく真面目な人間は大抵、暴行や脅迫など、あらゆる悪事に対して嫌悪感を持っているだろう。少なくとも私はそうだ。

それでも、自分の腹の底から湧き起こる野性的な攻撃衝動というのは、抑え込むことはできても、きっと完全に滅ぼすことまではできない。

今日の私のように、感情が激しく揺すられると途端にダムが決壊して、勢いよく溢れ出そうになってしまう。

そんな自分に失望しそうになるけれど、もしかするとそれは別段おかしなことではないのかもしれない。
この社会で平和に生きていくために、私たちは皆激情を外に出さないよう、理性というダムを心の中に築いているだけで。


私はまた明日から、優しく穏やかな人間として生きていく。
間違っても他人にも自分にも暴力なんか振るわないし、そんな衝動を感じた時にはちゃんと恐怖を感じられる人間であり続けたい。

でもそれでも、きっとまた何かのタイミングで決壊してしまうこともあると思う。
この世の中には不愉快で辛いことが多いし、私は完璧ではないのだから。

そんな時は、また一人静かにバイオレンス映画を観るんだろうな。
ホラーやパニックものもいいかもしれない。

あまり下手なことは言えないけれど、攻撃衝動や自己嫌悪に陥った時には、ちょっと強めの刺激を安全圏から享受してみるのが効果的なのかもしれない。自力で立て直すことができるならそれが一番いいけれど、きっと時間がかかるし、不器用な私は傷をさらに抉ってしまいそうだ。

芸術を鑑賞したり、映画を観たり…。そこで与えられる刺激は、私たちのクレイジーな心さえもきっと助けてくれる。私はそんな風に感じる。




読んでくださり、ありがとう。




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