楽しい人生の見つけ方
幼少期の印象深い思い出は、中々忘れられない。
大雨の日、親に「帰るよ」って言われながらずっと水たまりで遊んだこととか、
お泊まり保育で夜中に一人でトイレに行ったこととか、
学校からの帰り道に友達とチャンバラごっこをして傘を折ったこととか、
飼育小屋に入ったらカモに足を噛まれたこととか、
修学旅行で祖父母にお土産を買って帰ったらすごく喜ばれたこととか。
本当に些細なことばっかりだけど、こういう思い出は色褪せない。
もう一度それを体験するみたいに、自然と頭の中で再生できる。
ものによっては、一週間前の出来事よりもずっと鮮明に。
考えてみると、昔はもっと毎日が刺激的で、自分が特別な存在で、今みたいに、生きることが辛いなんて思ったことはなかったような気がする。
だから私は、ちょっと前に映画『レオン』を見てひどく驚いた。
少女マチルダが、殺し屋のレオンにこんなことを聞く場面があるからだ。
「大人になっても、人生は辛い?」
それにレオンはこう答える。
「辛いさ」
これは私には衝撃だった。
だって、マチルダはまだほんの12歳だ。
なのにもう、人生は辛いということに気付いている。
大人になってもこの苦しみは続くのかと心配している。……
12歳の頃の私と違って、なんて大人なんだろう、と。
それから数日後、伊坂幸太郎の小説を読んだのだが、その中でたまたま、登場人物がそのレオンのシーンについて話す場面が出てきた。
彼の小説にはたびたび映画の話題が出てくる。
登場人物の男が語ったのは、概ねこのような内容だった。(表現は多少変えている。)
少女はあの質問を、あの男にするべきじゃなかった。だってそいつは殺し屋だから。殺し屋にとって人生が辛いのは当たり前だ。だけど大抵の場合、人生は、子供の頃より大人になってからの方が楽だ。子供の頃は否応なしに入れられた狭い世界で生きるしかないが、大人になれば自由だ。
確かにこれも一理あるだろう。
子供の頃にひどいいじめを受けたり、何らかのトラウマを負わされた人は、成長して自由になってからの方がずっと楽しいと言うかもしれない。
そうでない人の中にも、大人になってからの方が、あるいはもっと年を重ねてからの方が毎日が楽しいと思っている方は少なからずいるだろう。
いつ人生の辛さを味わうかは、人によって違うのだ。
けど、それぞれ違う人生を送る人全員に共通して言えることがあると思う。
それは、その人にとって楽しい時期というのはきっと、「輝かしい一瞬」がたくさんある時期だ、ということ。
人間は、印象の薄い思い出はすぐに忘れていく。
対して、良いことだろうと悪いことだろうと、その印象が強ければ忘れないし、それが起こった時期のことも同時に印象づけられる。
人生のある時点を価値があると感じるとき、その時点が強く印象づけられていないということはおそらくない。
印象深い思い出があることは、その時期を楽しかったと懐古するための必要条件なのだと思う。
「そういえば、忘れられないような輝かしい一時が最近たくさんあるな」と思ったら、それは人生を楽しいと思えるチャンスなのかもしれない。
せっかく生きているんだから、できるなら楽しい人生を送りたい。
そのためにはきっと、思い出を作らなきゃならない。私が生きた痕跡をちゃんと覚えておけるように。
私は私の目を通してでしか思い出を作れない。
だから、大切な一瞬をコレクションするつもりで、たくさんの綺麗な景色を前にシャッターを切ろうと思う。
ちなみに、『レオン』はすごくいい映画なのでぜひ見てみてほしい。文中に登場した伊坂幸太郎の小説は『首折り男のための協奏曲』というもの。こっちもおすすめ。
雑駁な文章になってしまったけど、少しでも共感していただけたら嬉しいな。
ではまた次回。