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“引き潮の岩礁” 人生のどんな状況にも意味がある

 満潮の時には見えない海中の岩礁は、引き際の時に現れることがあります。

 この岩をトラウマや悲しい思い出だとしましょう。

 心が満たされていない時には、頭の中はそればかりが姿を現すのです。

 結論から言うと、人が不快なことをあれこれ考え、鬱々としてしまう原因は、岩礁があるからではない。潮が満ちていないことが原因なのです。

 

 では、どうすれば海の潮を満たせるか。

 それはいま、自分に求められている意味のある課題や役割に気づき、それを責任もって実現させることです。

 (自分だけではなく、自分以外の人たちにとっても良かれ、と普遍的なひろがりを持つような)価値ある意味を精神次元で捉え、自らの行動で実現していくうちに、悩む人のこころは満たされ、露になっていた岩礁、辛い思い出はいつの間にか潮の中に消えていくはずなのです。

 ウィーン出身の精神科医ヴィクトール・E・フランクルの“引き潮の岩礁”の譬え話より


 「生きる意味」が分からない、と悩んだ経験がある人は少なくないでしょう。そのような状況で、自分が人生から何を期待するかではなく、人生が自分に期待しているものに目を向けましょう。

 「生きる意味」というものは、実際には死ぬまで分からないのです。

 「生まれて来た意味に気づくのは、亡くなる時。そこで初めて全体の繋がりが分かり、自分が生きてきたことの意味を理解することができます。その時々の意味に誠実に答え続ければ、必ず、「生きていてよかった」という思いに満たされるはずです。


 人生の中で、誰かが、何かが君を待っています。今はそれが見えなくても、後でそれがわかる日がきます。その誰かに、何かに出会ったときに「生きていてよかった」と実感すでしょう。

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