(1)ソース顔というかインド人顔の男
母とこんなふうに2人で並んで寝るのはいつぶりだろうか。
並んでと言っても母は寝袋、私はベッド。カーペットもないフローリングに段ボールを敷いて寝ている。こんな母の姿を見ることは後にも先にも一度きりだろう。
それでもいいからこの部屋に泊まってみたかったそうだ。
母は心配性で、引っ越し準備から口出しをしてきた。必要そうだからと勝手にいろんなものを買ってきた。
どんなものを置いて、どんな部屋にしていこうか。考えるのが楽しいのに、母の影を感じると「私のもの」じゃなくなるようで萎える。
昨日引っ越したばかりで、まだよそよそしい部屋の匂い。出窓から差し込む朝日が思っていた以上に眩しい。
大学から徒歩10分ほどだからギリギリに起きても大丈夫だと、買ったばかりのメイク道具を広げ始める。
私は普段から女性らしさに欠けている。私服は基本スカートは履かず、髪は短く、胸も小さい。胸が小さいこと以外は自分が好んでしていることで、女性らしくする必要を感じなかった。
ただメイクをする時間は楽しい。自分が女であったことを実感する。
下地やファンデーションのいい匂い。目の周りをキラキラさせ、まつげを上げると気分も上がる。
ろくに手入れもしていない太眉に、さらにアイブロウで書いて、顔が濃くなった自分の顔を見ると、気合い入れすぎたなと少し後悔した。
まだ体に馴染んでいない、着させられた感のあるスーツを纏い、結局慌ただしく家を出た。
小春日和といえば聞こえは良いが、初めて着るパンツスーツが体にへばりつくほど汗ばんでくる。履き慣れないヒールが肉に食い込み、花粉で鼻水がぐずぐずしてきた。そんなことに気を留めていられないほど私たちは早足で向かう。
母と別れて私は案内された教室の扉を開ける。何百人も入りそうな階段教室に、すでに8割ほどの席は埋まっていて、たくさんの目が一瞬こちらを見る。
自分の鼓動の速さが際立つほど、そこは静かだったことに気づいた。
席につき、息を潜め、鼻下に溜まった汗を拭う。「目立たぬように」とするほど体が火照り、体温調整しようと至る所から水が湧き出てくる。
斜め前の人はパソコンを広げ、「早稲田」と書かれたパンフレットのようなものを広げている。いけ好かない。入学式早々にらやないといけないのか、それは。
この居心地の悪い空気から逃げるように鞄に入っていた本を読み始める。
入学式のようなかしこまった場所は、空気が固まっていて居心地が悪い。後ろにいる男子たちがサワサワと話しているのが耳障りだったことしか覚えていない。
入学式が終わり、母と昼食を食べながら学科別で撮った集合写真を眺める。
看護学科は女子9割で「この子気が強そう」とか「この子可愛い」とか男子高校生のような会話を繰り広げる。
「この子なんかいいね」と母は指を刺す。
その人は、1割の男子の中で明らかに浮いていた。というよりも看護学科全体で見てもどこか浮いていた。
髪を後ろで結え、ソース顔というよりインド人のような濃い顔の男。
写真越しにわかるほど陽キャであることが滲み出ていて、私とは縁遠い人だと感じた。
次の日初めての授業で、指定された席に着くと隣にはその男が座っていた。
授業終わりにレポート提出を求められ、私は手が止まる。すると隣の男が話しかけてきた。
つづく…