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どうやって生きようか

今年度末で退職をすると決めてから、気持ちがだいぶ落ち着いてきています。睡眠薬も飲まずに、よく眠れるようになりました。とても気分が良いです。学生の頃に戻ったみたいに何のストレスもありません。

ただ、今日、職場のお局様が退職すると聞いたり、同僚が救急車で運ばれたと聞いたり、友人の大切な人が若くして亡くなられたということを知ったりすると、なんとはなしに人生について考えてしまう自分がいます。


時間を強く意識するお年頃

そういえば、従妹のお姉さんもガンでアラフィフで亡くなりました。職場の同僚も数年前突然、脳梗塞でアラフィフで亡くなりました。

子どもたちがぐんぐん育っていく傍ら、同じ時を紡ぎながら、確実に大人の体は衰えていき、ある日突然倒れてしまう…という現象がしばしば起こる年代となりました。

病魔に侵されなくても、交通事故をはじめ不運が重なって偶発的・突発的に亡くなることもあります。それを考えたらキリがないわけですが、この年代になると否応が無く「死」を意識する場面が多くなります。

死者からのメッセージ

「死」を意識させられる度に、死者からいろいろ教えてもらっている自分がいます。

さぁ、あなたにはまだ時間がある。あなたは今後どう生きていく?

いつもこう問われている気がします。生かされている時間、残されている時間の有意義な使い方…….。仮に死が1年後に迫っていたとして、私はすぐに「あれやろう、これやろう」って決められるだろうか。そして、実行に移せるだろうか。

でも、歴史上の人物や偉業を成し遂げた人々、社会で成功している人々に共通していることは、”悩む時間が短く、行動している時間が多い”ということではないだろうかと、ここ最近いろんな本や記事を読んでいて感じています。

どう動いたら、自分が納得する?

時間も大切だけど、どう生きるか。吉野源三郎作「君たちはどう生きるか」という著書とも通じると思いますが、少し子どもたちも手が離れて、自由に生きていけるアラフィフ世代の人生後半戦、どう生きたら自分が納得して人生を終えることが出来るでしょうか?

今は漠然と「自分の大切な人のために生きていきたい」、「自分が一生懸命取り組むことで、誰かが幸せになれたら良い」という理想は持っているのですが、はて、それを実行する手段とはいかに?

一発で探し当てられるものではないかもしれません。模索&模索で既に動いているのですが、風呂敷広げ過ぎた感があります。何が手元に残るでしょうか?ちょっと楽しみでもあります♪人生はワクワクと共に♪

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