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修論はなぜこんなにしんどいのか

こんばんは。とある大学院生です。
修論の提出まであと3日。
恐ろしいです。
本当はnoteを書いている場合ではありません。

書いている場合ではないのは重々理解しているのですが、
心がもたないので、ここで吐き出させてください。

修論ってなんでこんなにしんどいのでしょうか?
締切間近の修論と戦いながら、「修論はなぜこんなにしんどいと感じるのか」という新たな問いを立ててしまっている自分がいます。
これは私の体感ですが、
修論に限らず研究というものは「自分で始めて自分で終わらなければならないもの」だからしんどいとかんじるのかもしれないと思いました。
「自分で始めた唯一の問い」に対して自分で答えを見つけに行く。
それって言い換えると「分からなくなった時に、分からないと嘆いても他に教えてくれる人がいない」ということなのではないでしょうか。

もちろん、指導教授や同じように研究を頑張っている仲間に相談することは可能ですが、その問いに対して今のところ1番詳しいのが自分という状況で(本当にそうなのかは置いておいて、そうでなければならない)、分からなくなった際に嘆いても嘆いても自分の叫びが誰にも届かない感覚があって、それが”しんどさ””につながっているのだなと感じたりしています。

まあ何が言いたいかと言いますと、
締切3日前なのに本当にこのまま突き進んでいいのか分からなくてしんどいですという心の叫びです。
不安を抱えながら突き進まなければならない状況というのはこんなにも心のHPが消耗するのですね。

ここ数日の不安感が大きすぎた故に心が疲弊して、
今日の日中は、何も終わっていないのに燃え尽き症候群になり、
やっと夕方になってPCに向かえました。
燃え尽き症候群というのは、何かを終えてからなるものかと思っていましたが、こんな途中段階でも突然なるものなのですね…。

修論をしながら、
修論ではないところで色々な学びがあるなと感じます。
今まで見て見ぬふりをしてきた自分の弱さに嫌でも直面させられることばかりです。

まあ、そんなこんなで、
本当は大声で泣き叫びたい気分ですが
「大丈夫、修論がへんてこりんでも人生終わるわけじゃない」
と、何度も自分に言い聞かせ、
とにかくまずは完成させることを目標に書き続けます。
今にも泣きそうですが、修論との戦いに戻ります。


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