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「心から優しい人」ってこの世にいるの??

こんばんは、とある大学院生です。

今日はいつも考えている事シリーズ第2弾で「優しさについて」です。
(第1弾は、修論で気が狂った末に”死ぬこと”について書きました)

優しさってなんなんでしょうね。
これは私がいつも考えていることで、
根拠など一つもないので不快に感じられたら申し訳ありませんが、
本当に心の底から優しさ100%の人って存在するんでしょうか。

前に、私の周りで、ものすごく優しい方(Aさんとします)がいたのですが
なぜかいつもAさんの優しさに違和感を覚えることがあって。
それは言葉にするのは難しいけれど、Aさんの優しさに触れた時
「優しいな」となると同時に、心のどこかでざらっとする感覚があったのです。
そんなことを感じていたあるとき、
Aさんと共通の知り合いのBさんが、
Aさんのことを「優しさを学習したAIみたい」と言っていました。
それがものすごく言い当て妙で、
私が抱いていた違和感はそれだ!と腑に落ちました。
どことなく「心の底からくる優しさ」ではなく
「表面だけの優しさ」みたいなものを知らず知らずのうちに感じていたのでしょうね。それが多分違和感として、心にざらっとした感触を覚えていたのだと思います。

そして同時に、
自分の優しさも、「優しさを学習したAIみたい」な優しさになっていないだろうか…と不安になりました。

というのも、自分自身が人に優しくする時、
純度100%で優しくできたことあったかなあと思い返すと、
なんとなく「人から優しい人と見られたい」が少なからず入っているような気がして…
例えば、電車で席を譲るとき、
①お年寄りが自分の前に立っている
②目の前に座っている私が席を譲らなかったら”あの人ひどい”って思われるかな
③席を譲ったらお年寄りも喜んでくれるかも
④席を譲ろう
というように、②の「人からどう思われるか」と③の「優しさ」が
心の中でほぼ同時に起こっているような気がするんです。
その割合が事例によって違うのですが。

例として電車の席を出しましたが、
仕事などでの後輩への指導の際もよく感じます。
「後輩が育ってほしい」という気持ちとともに
「周りからいい先輩と見られたい」という自分本位な気持ち。
むしろ「周りからいい先輩」と見られたいがゆえに指導するみたいなところがあったりもします。。。

友人関係でも、職場の人間関係でも
人が人と良い関係を保っていくために
優しさというのは必要不可欠なのかもしれません。
そうなると、卵が先か鶏が先かみたいな話になりますが、
人間関係を良好に保つ「ために」優しくしているということも
あり得ますよね。

なんだか難しいですね。
作られた表面上だけの優しさだろうが、
心からの優しさだろうが、
優しいことに越したことはないのですが。。。

私が出会っていないだけで、
この世界には心の底から他人に優しくできる人がいるのかなあ。
私もそうなりたいけれど、まだまだだなあ…と感じる日々です。

ではまた。









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