空耳


おはようございます。ケイグオです。


私は空耳が大好きです。


誰かが考えたのも好き。自分でふと気づくのも好きです。


一回ハマるとそのフレーズを一週間くらい言い続けたり。


オヤジギャグとかと変わらない俗な遊びかもしれませんが、
言葉遊びで楽しむとかむしろ高尚すぎでしょ?


洋楽とかぶっちゃけ空耳しか知らなくてあんまりよく歌詞のこと知らなかったりなんてよくありますし。


Queenとかかなりの日本人がテキトーに覚えてると思う(笑)


でもそれも習得していない言語だからこそでして、

聞こえてきた歌を音だけで判断して
それを自分の知っている言語のフィルターに通して
何かしら知っている言葉・音に置き換える作業なわけですよね。


もっと詳しく言えば
何かしらの言語での子音+母音の組み合わせを分解して


理解している言語(僕なら日本語)での
近い子音+母音に組み直して
何かしら意味のある単語として捉えると。


この方法、
例えば子どもの頃とかは
そうやってCMソングとか聞いてたはずなんですよ。


母国語でも知らない語彙が多い状態なら
知っている語彙もしくは存在しない文字列に置き換えざるを得ないので。


だからすごく人間としては"幼稚"な構造の遊びかもしれないですね。


ラップなどの韻を踏んで意味を紡いでいく作業が
和歌と同様の文化的・文明的な言葉遊びなら


空耳はその逆で、幼稚=原始的な言葉遊びといえるでしょう。


そしてそれにより生まれたのがコチラ。


Kkekkeです。私はケケと呼んでいます。


このビデオには全編にわたって
画面上部に空耳が表示されます。


画面下部は不祀語となっています。


そしてこの空耳は、
あくまで歌詞では無いと言っておきたいわけです。


私が思うに歌詞とは、
伝えたいメッセージがあり
それを何かしらの言語によって表現する作業を経て
歌うために紡がれた詞ですよね。


しかしこのケケの空耳はそういった工程を経ていません。


言ってしまえば僕の意思では無い言葉の羅列です。


私が不祀語で歌ったことによりできあがった、
「意味が伝わらない歌」=リスナーが習得していない言語の歌

コチラを先程の空耳工程にかけるわけですね。


そうすると、
文章としては成り立たないものの中に、断片的に何かしらの伝えたいことがあるようにぼんやり見えてきます。


そして読む人それぞれの中に意味が生まれてきます。


その状態こそがこの工程で狙っていることなわけですね。


ではここで一つ自分で自分に質問。


受け取る側に曲の意味づけを委ねるならば、
発信する側はただただ意味のないことを歌っているのか?


ここまでご説明した内容ではそうとも読めるかもしれません。


実際、先ほど僕の意思では無い言葉の羅列と言いました。


けれどこれもまたちょっと違う。


これはあくまで"不祀語"という未知の言語として受け取られて欲しい訳です。


要するに歌っている私側も、何かしらの伝えたいメッセージを持ちながら歌っています。


不祀語に関しては今説明するとややこしいので
また別の機会に語ろうと思いますが、

これにより


「意味はあるがその意味を読み取ることはできない、知らない外国語の曲を聴く」

という環境を

「何語を母国語に持つ人間にも平等に」与えることが可能になります。


なぜなら不祀語なんて誰も知らない訳ですから。


こうして、僕はかねてからの夢であった
「真に平等な全ての人のための歌」
を叶えることができたわけです。


そしてそれが何より「優しい歌」なのだと思います。
音楽は優しいものでありたい。


さてこの続きも結構書こうと思ったんですけど、
続きはまた今度。


こんな想いがあると言うことだけ知っていてもらえると面白くなるかもしれません。


長々と読んでいただきありがとうございました。

お疲れ様でした。

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