太宰治『トカトントン』太宰作品感想15/30
降水率が日本一高いという、石川県に住み始めて二年以上経った。そのせいか、今日の青空が非常に気持ちがいい。昭和20年8月15日正午の日本の空は、北から南までよく晴れていた。三島由紀夫はそれを後に、「絶対の青空」と表現している。
日本はその日、長い戦争を終えた。中国との戦いも含めれば15年余り、文字通りの「長期戦」に、終止符が打たれた。資源のない我が国が、戦争を長期化させたその先で勝利を望めたかということについて、今更何か論じようとも思わない。多くの者が傷を負い、多くの者が死に絶え、国土は破壊による混乱を極めた。戦争末期は、「一億総特攻」という言葉も叫ばれた。数千万という人間が皆して死を覚悟したことなど、長い世界史を眺めても類を見ない。これからもきっとないだろう。
『トカトントン』の問題を、世代論に落とし込んでよいものかはわからない。しかし、青年期にあった者たちが一番に痛烈にその敗戦の痛みに耐えたもののように思われてならない。彼らの多くはロマンを死の中に描いた。そしてそれは、実現不可能なものではなかった。しかし戦争は終わった。長谷川三千子は『神やぶれたまはず』の中でキルケゴールの言葉を文字って、「死に至れない病」と表現している。理屈を言い始めたのは、負けた後からであった。太宰の『十五年間』という作品では、戦後になって理屈を言い始めた文学者たちへの嫌悪が散りばめられている。
終戦に安堵した者もいただろう。一種の喜びさえ覚えた者も、国民の中には存在した。「絶対の青空」を遠くに望み、死を一度覚悟した我々の先祖の多くが黄昏に生きることを決めてくださったからこそ、今日の日本があるのかもしれない。作中では「トカトントン」という音が、クレッシェンドのようにだんだんと強く鳴り響いてくる。その音が、かつて死に至れなかった世代の死と共に潰えるものなのか否か、僕にはわからない。今も日本人の僕らの耳に聞こえてくるようで、当時体験した人にしか聞こえない特別な音のような気もする。この「トカトントン」という音が日本列島から完全に消え失せたときには、遂に日本という長い歴史を持つ国を、伝統という一つの歴史軸で繋ぐことはできなくなってしまうようにも思われる。日本では曇り空より青空の方が時に虚しく感じられるのは、そのためかもしれない。断言できないことが多すぎて、「気もする」、「思われる」、「かもしれない」、など抽象的言語表現ばかりの文章になってしまった。しかし何か間違ったことを書いたという気もしない。『トカトントン』が、何をか大事なことを伝えてくれる作品であることについては、何の疑いもない。
写真は、中三の頃に友人と共に早朝の小学校に忍び込んで丘から撮影した、故郷、名古屋の青空です。