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技術も人も柔軟に - Kent Beck のソフトウェア設計論

本記事は、ソフトウェア開発者として広く知られているKent Beck氏がNDC Porto 2024で行ったKeynoteをもとに、ソフトウェア設計における重要なテーマを主観で8つ取り上げたものです。ソフトウェア開発のコストや人間関係、経済的な視点、さらにAIがもたらす影響など、多角的に設計を捉え直す内容になっています。初心者から上級者、経営層まで幅広い読者に向けて、ソフトウェアが生み出す価値を最大化するうえで欠かせない「設計と運用」「チーム体制」「投資判断」などを整理し、将来的な選択肢を広げる具体的なヒントを探ります。



1. ソフトウェア設計の人間的要素

"Software design is an exercise in human relationships."
「ソフトウェア設計とは人間関係に関する実践です」

引用: https://www.youtube.com/watch?v=A9vRp9T8pkU&t=315

ソフトウェア開発はコードの品質だけでなく、実際には人々の関係性によって大きく左右されると紹介されています。プログラマーが単独で判断を続けると、細かな修正や保守を一手に担うことで疲弊することもあるようです。しかし、役割分担や権限移譲を明確にし、相手の困難を理解しながら調整していくことで、長期的にはより価値の高いソフトウェアを生み出せるといわれています。組織内で目指すゴールが異なる人たちの意見をすり合わせつつ、短期的な機能追加と長期的な安定性を折り合いよく実現するには、互いへの敬意が必要であると示唆されています。この考え方を取り入れることで、技術的課題と人間的課題を同時に解決しやすくなると述べられています。


2. 設計と機能のバランス

"Software should grow like a tree grows."
「ソフトウェアは木が成長するように少しずつ伸ばしていくべきです」

引用: https://www.youtube.com/watch?v=A9vRp9T8pkU&t=485

Kent Beck氏は、ソフトウェアははじめから大規模な設計を行うのではなく、少しずつ必要な機能を追加しながら、構造も並行して成長させていくことが有益だと述べられています。これは木が枝葉を広げながら根を伸ばすように、機能(枝葉)と設計(根)の双方を交互に補強していくイメージです。新しい要件に対応しやすい柔軟な設計を保つためには、どの段階でも設計を完全に終わらせず、機能実装とリファクタリングを往復することが望ましいとされます。大規模リファクタリングに時間を割きすぎると現場の要望に応えられず、逆に機能のみを優先すると将来の変更コストが膨れ上がるというバランスの課題が常に意識されているようです。


3. コストの本質:変更作業がすべて

"The cost of software is the cost of changing it."
「ソフトウェアのコストとは、それを変更する際にかかるコストのことです」

引用: https://www.youtube.com/watch?v=A9vRp9T8pkU&t=720

ソフトウェア開発における大半のコストは新規作成よりもむしろ変更や保守に起因していると説明されています。たとえば要件変更やバグ修正に対応するとき、関連部分をすべて再検証しなければならない場合があります。設計の段階で将来的な変更を容易にする工夫を施しておくと、このコストは大きく削減できると述べられています。開発者が目先の実装のみを急ぐと、変更が波及する形で複数のモジュールに影響し、結果として想定外の工数がかかる例も少なくありません。したがって、コードレビューなどでは「どこをどれだけ柔軟にするか」という視点で設計を見直すことが不可欠だと提示されています。


4. Coupling(結合)とCohesion(凝集)

"Coupling is when changing one element implies changing another."
「ある要素を変更する際に、別の要素も変更しなければならない状態が結合です」

引用: https://www.youtube.com/watch?v=A9vRp9T8pkU&t=930

書籍『Structured Design』で定義された結合と凝集は、現在のソフトウェア開発でも非常に重要だと紹介されています。機能同士が無駄に結合していると、ひとつの修正が大規模な改修を引き起こすリスクがあります。一方で、必要な機能や要素がまとまっている凝集度の高い設計は変更を局所化し、作業を容易にするとされています。たとえば2つの関数が常に同時変更になるなら、同じファイルやクラスにまとめて管理することで変更範囲が明確になります。このように結合と凝集を正しく理解し、それを意識的にコントロールすることが大規模開発や保守運用を円滑にする要となるようです。


5. NPV(正味現在価値)とオプショナリティ

"The timing of expenses and revenue is crucial."
「支出と収益のタイミングが極めて重要です」

引用: https://www.youtube.com/watch?v=A9vRp9T8pkU&t=1200

ソフトウェア投資をどの段階で行うかは、経済学の概念であるNet Present Value(正味現在価値)を踏まえて判断する必要があると紹介されています。早期の大きな投資が必ずしも得策とは限らず、タイミングを計りながら小規模な設計改善を継続するほうが結果的にROIが高くなるケースもあるようです。また、機能追加を優先して開発サイクルを回す選択と、将来的な変更のためのオプションを増やすためのリファクタリング投資とのせめぎ合いをどうコントロールするかが鍵とされています。個々の機能に注力したい現場と、中長期でのメンテナンス性を気にかけるリード陣の利害がぶつかる場面でも、Net Present Valueを軸に説明すると相互理解が進むと考えられています。


6. インタラプタブル(割り込み可能)な設計プロセス

"Interruptibility is key in large design investments."
「大規模な設計投資では、割り込み可能なプロセスが要です」

引用: https://www.youtube.com/watch?v=A9vRp9T8pkU&t=1490

全面的なリファクタリングを一気に進めてしまうと、ビジネスサイドの要望に応じられず、チーム内の関係性が悪化するリスクがあります。そのため、大きな設計変更でも小さなステップに分割して、常に途中で機能実装やバグ修正を挟めるようにする方法が提案されています。旧システムと新システムを並行稼働させ、段階的に切り替えながら安全を確保するやり方も有効だと述べられています。作業が中断されたときにもビジネス側とのスケジュール調整がしやすくなるうえ、実際に切り替えを行いながらフィードバックを得られるため、リファクタリングの効果を正しく検証しやすいと示唆されています。


7. AIがプログラマーの仕事を奪うのか?

"If AI genuinely reduces the price of programming, it's going to increase the demand for programmers."
「もしAIによってプログラミングのコストが本当に下がるなら、むしろプログラマーの需要は高まります」

引用: https://www.youtube.com/watch?v=A9vRp9T8pkU&t=2820

最近のAI技術の進歩により、ソフトウェア開発が自動化されるのではと懸念する声があります。しかし、AIが進化してプログラミングのコストが下がれば、それだけ新しい用途やビジネスモデルが生まれる可能性が高くなるため、結果的に人間のエンジニアへの需要は増すと述べられています。また、AIに対して仕様を「プログラミング」する行為そのものが、プロの開発者の知見や判断力を必要とすることもポイントとして挙げられています。単に「アプリを作って」と命令するだけでは要件を正確に落とし込めず、細部の調整や意思決定は人間にしかできないため、高いスキルを持つエンジニアの活躍の場はむしろ拡大すると解説されています。


8. 設計上のジレンマ:機能開発か構造投資か?

"There’s genuine tension between Net Present Value and optionality."
「NPV(正味現在価値)と将来のオプション確保には、本質的な緊張関係があります」

引用: https://www.youtube.com/watch?v=A9vRp9T8pkU&t=1700

日々の機能リリースを優先するか、将来の変更を見据えて設計にコストをかけるかは、多くのプロジェクトで議論になるポイントです。機能を先行すれば短期的な収益を早く得られますが、設計上の負債が積み重なると、将来的に追加機能の開発スピードが落ちる可能性が高まります。一方、構造投資を重視しすぎると市場投入の機会を逃しかねません。このジレンマを解消するには、必要に応じて設計に投資を行い、同時に小さなリリースを続けることで両立を図る必要があると示唆されています。特に、高度なオプショナリティ(選択肢の確保)は将来の大きな変化にも対応できる利点があるため、いつ・どこに投資を行うかを全員が理解することが重要と述べられています。


まとめ

ソフトウェア開発においては、人と組織、経済的観点、そしてコードそのものが持つ特性といった複数の要素が連鎖して影響し合うと指摘されています。優秀なプログラマーが集まっていても、権限と責任がずれた体制や過剰な機能要求によって、手戻りや関係性の悪化が生まれるケースは少なくありません。逆に、小さく実験しながら設計を成長させるプロセスを選択すれば、途中段階でも価値を生み出し続けられ、将来的な変更コストも抑えやすくなるようです。さらに、AIなどの技術進展でプログラミングが手軽になったとしても、設計意図を明確に伝え、合意形成する行為そのものが開発の中核であるため、人間の創造性と調整力は依然として必要とされています。機能と構造への投資をバランスよく行い、環境変化に柔軟に対応できるチーム体制を築くことが、より持続的なビジネス価値を生み出す鍵になると示唆されています。


補足

  • Coupling(結合):ある要素を変更すると、別の要素も変更が必要になる状態。修正の範囲が広がるため、保守コストが高くなる原因となります。

  • Cohesion(凝集):互いに関連性の高い機能やデータを一つのまとまりに配置すること。変更が局所化しやすく、保守性が向上します。

  • Net Present Value(NPV):正味現在価値。投資の収益性を評価する手法の一つ。将来得られるキャッシュフローを現在価値に割り引いて考え、投資判断に活用されます。

  • オプショナリティ:将来の不確実性に備えて複数の選択肢を維持しておく考え方。ソフトウェア開発では、変更しやすい設計がこれにあたります。

  • インタラプタブル(割り込み可能)なプロセス:大がかりなリファクタリングや設計変更を、小さく区切って実行する方法。ビジネス要件の追加や修正にすぐ対応しやすくします。

  • AIとプログラミング需要:開発コストが下がると、それまで開発の対象外だった領域にまでソフトウェアが導入され、長期的にはエンジニアの活動領域が増える可能性があります。


※ このNote記事は、世の中の動向をざっくり理解し、後日経時変化を俯瞰するために機械的な作業を交えてアウトプットしています

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