退院の話
3月4日土曜日午後14時。
神奈川県から4時間以上(渋滞)かけて親友が迎えに来てくれました。
おかげで私は無事に退院する事が出来ました。
2022年12月10日土曜日午前11時頃。
三重県桑名市。
私は2.5メートルほどの高さから転落して左上腕骨と右脚踵を骨折する大怪我を負いました。
長い闘病生活になりましたが、日々の自主トレとリハビリの先生のお陰で当初の見解より2ヶ月ほどは短縮出来たんじゃないかと思います。
面会謝絶という厳しい掟が寂しさをより倍増させて早く退院したいと一心で懸命に毎日痛みと闘いました。
3ヶ月のリハビリ生活で気付いた事がありまして。
それは"痛み"の先に可動域の広がり、回復があるという事です。
私はどうしても退院しなければならない理由があったからこそ堪え抜く事ができました。
(退院の日にちを決めた1週間前は正直、無茶苦茶悩みました)
激痛過ぎて涙が出ました。
悲しくて涙も出ました。
動かない腕。歩けない足。
私は元々お酒が弱いせいか、medicineのエフェクトは早くよく効くので、painkillerを服用し続けて痛みに堪えました。
それから毎日湯船に浸かって指圧を加えて痛みの限界まで堪えます。
水中は痛みを感じにくく可動域を広げやすいです。
そして、夜から朝にかけてなるべく長く睡眠を摂って癒やします。
一日毎にちょっとずつ回復しているのが手に取るように分かりました。
18歳から24年の時を経て、また違った形で瀕死の状態になり、絶望で希望を失いかけた時もありました。
ただ今は清々しい気持ちになれています。
95日ぶりの娑婆の空気は美味しかったです(泣)
という文章を保留にして一週間過ぎました。
我が街、厚木に戻ると親友が退院祝いにとお寿司をご馳走してくれました。
久々のお寿司は美味しくて舌鼓を打ちました。
本当死ななくてよかった。
帰宅すると仲間が集まってくれてまして、明け方頃までパーティ状態、リビングで皆んなで寝ました。
2階に寝室はあるのにね(笑)
次の日からは片付けと掃除、書類作成、転院の手続き、とにかく忙しい一週間を過ごしました。
相変わらず左上腕骨は全くくっ付いておらず、インプラントを取るオペはまだまだ先ですが。
来週、どこかのタイミングで現場復帰ができればいいなぁ。多分無理だけど。
あれから一週間が経ち今、思い返しています。
本当に激動の年でした。
ただ私のマインドは明らかに変わりました。
この成長は今までとは違いまして。
人生で私に関わって戴いた方、全てにすべからく感謝しかありません。
"感謝"の言葉しか見つからないのです。
私は一人では生きていけません。
毎日誰かと連絡ができるという幸福。
普段の日常じゃその当たり前に気付くことなく過ごしていたでしょう。
悲劇は何の前触れもなく訪れます。
何かのきっかけで、何かの拍子で。
だからこそ一日一日をしっかり生きようと思いました。
遠く離れた地では私達と同じ時間に生きているのに今も戦争が起きていたり信じられない事が起きている世の中なので。
この先も何が起きるか分からないです。
まだ確実とは言えませんが、社会復帰して一週間。
まず電気料金に驚き、物の高さに驚きました。
ニュースは相変わらず暗いニュースばかり。
治安も悪くなってきてるし。
これは大変だ。
指咥えて見ている場合じゃない。
売上を上げていかないとマズい。
でもどうやって?
今日は取引先の社長4人と話しました。
苦しいのは皆んな同じで皆んな焦ってる。
そして私も。
しかし、私は以前とは違っていて。
少し落ち着いています。
生きていてよかったという事。
新しい事が始められた事。
幼馴染と関係が更に深くなった事。
大切な仲間に囲まれて幸せ者だと感じた事。
何より3ヶ月連続でNoteを書き続けた事。
それから、あまり仲良くなかった母親と毎日、連絡してる事(スタンプ一個ですが笑)
この記事をご拝読下さってる皆様。
お時間を使って戴き誠に有難う御座いました。
フォローして下さってる皆様。
その節はお世話になりました。
お陰様で退院する事が出来ました。
投稿頻度は少なくなりますが、恥ずかしながらも次回は初の小説を書こうと思ってます。
その前に決算を終わらさないと…(泣)_:(´ཀ`」 ∠):
終わり〜