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私にとって「書く」ということは。

肩書きはなんですか?と問われたら、「ライターです」と小声で言えるようになったくらいには、記事を執筆させてもらう機会が増えた。

漠然と興味があった、ライターという仕事。
スキルも経験もないし、出版社に転職するくらい大きな方向転換をしない限りはライターにはなれないだろうと思っていた。
でも、ここ一年間でさまざまなご縁があり踏み出すことができたわけだけれど、私にとって「書く」という行為はどんな意味を持つのだろう。いつから「書く」ことが好きだったのだろう。

きっと私の「書く」行為の始まりは、小学生の頃だったと思う。

小学生の頃は、家族で旅行に行くときは小さなノートを携帯していた。旅ごとに、その日に見たことや経験したことをイラスト付きで書き殴っていた。たぶん、両親の発したセリフや、その日食べたメニューまで、詳細に書いていたと思う。
夏休みの感想文とは違う、自然と文章が出てくるあの感じはなんだったんだろう。子供ながらに、そのときにしか感じられない不完全でも素直な想いを残しておきたかったのかもしれない。

中学生・高校生の頃は、前略プロフィールやMixi、Twitterなど、Webサービスが出始めてきた。パケ放(死語…?)じゃなかった私は、家のパソコンでそれらのサービスを使って何かを書いたりしていたような気がする。でも、その頃は「書く」よりも、携帯小説などを「読む」機会が圧倒的に多かったな。


大学では、体育会系の部活に所属した。当時は強豪チームではなかったから、チーム力を高めるために、部としていろいろな取り組みをしようと変革の時期にあった。
そこで私が担当したのがSNS係。ホームページを作ったり、TwitterやFacebookアカウントを作って、試合の中継やリーグ戦までのカウントダウンを発信することで、チームメンバーの士気を高めたり、OGとのつながりを持てるようにしたかった。
そのなかでも一番好きだったのが、アメブロ。入部した頃は新入生紹介リレーと題して自己紹介ブログを書いたりするのが一般的だったけど、なにかとテーマをつけてメンバーに書いてもらったりしていた。
他のメンバーはあまりブログが得意ではなかったようで、気づけば私が書く頻度が圧倒的に高くなっていた。でも、全然苦じゃなかった。ページビュー数なんて言葉も知らなくて、誰に読まれているかも分からないけど、自分の想いを書いて、メンバーの誰かの心にちょっと響いたら嬉しいなという程度。

今もそのブログは形を変えて続いているし、会ったことのない10個下の後輩たちが書いているのをたまに読んだりすると、あの頃に戻ったような気持ちになる。もう勝敗をかけて戦う機会なんてめっきりなくなってしまったけれど、ブログを読むと一瞬を懸命に過ごす学生たちの想いがひしひしと伝わってくる。

ライターとして「書く」ことは、分かりやすく、たくさん読まれるような記事を書くのは最優先。でも、「書く」ことは誰にでもできる表現方法で、その文章を「読む」ことで書き手の擬似体験ができる素晴らしいツールだと思う。

こんど実家に帰ったら、20年以上前の旅行メモ帳を探してみよう。

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