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令嬢アンナの真実 見た

ネタバレと言うほどじゃないけど

Netflixです。エピソードは9話まででそれぞれが関係者一人一人のナラティブになっていて、プチ藪の中みたいですごく好み。
何だろう、最終話は見ずにとっておきたいくらい惹きつけられる作品なんだけど、そのエネルギーが逆に異様な疲労感を引き起こしてくる。
(最終話から1話前がラスボスアンナの話で、最終話が弁護士の話になってた構成が乙)

このエネルギーと疲労感が何かと思えば

アンナが馬鹿でかいスケールの器用貧乏という事に尽きると思う。
人生、金と健康と友人があれば幸せって誰かが言ってたけど、アンナにとってはそのどれもが超両極端で、メーターが+100から-100をブンブン振り切り続けてる感じ。
これが疲れる。金が足りなくても体調が悪くても人間関係がうまく行かなくても疲れる。
逆にうまく行きすぎてても、なんかヤバいぞセンサーが働いて冷や冷やする。
このストレスを抱え込めるってところが、やっぱり肝っ玉デカいぞアンナ。たまにキレてるから抱え込めてないか…

みんなヤバいものが見たい

怖いものってずっと見ちゃったりするけど、自分には出来ない事をしてる人のことは見ちゃうし、なんなら憧れたりする。
この登場人物も全員そうだったのと、皆アンナに関わった後は「自分はできる」って言うアドレナリンが脳内に噴出して、ちょっと自分の人生がこれまでと違ってしまったりしている。痛い目には遭うんだけど、その後超回復してるみたいな。多分気持ちいいんだと思う。

普通の人

主人公の記者のお産のシーンがあり、痛みに暴れる彼女の隣で旦那が「君はできる、何でだと思う?」と聞くと彼女は「普通の人だから、皆やってるから」と叫んで出産する。
一方アンナは一貫して「私は普通の人とは違う」と言い続けることで刑務所の中でもプライドを保っている。
「普通」と「普通じゃない」はどちらも力を持っている。
この作品の中には沢山の格差が置かれていて、若い女の子、移民、男性社会、富裕層、出自、容貌なんかがそれぞれの立場と関係によっては普通だったり普通じゃなかったりしている。
どっちが良いということではなくて、見えないものを見る努力をすることが自分の力になる気がする。
最終回、弁護士トッドがアンナの刑を軽くするために、最終弁論で結局はアンナが普通の若い移民の女の子で、そんな子に巨額の資金調達能力があると思って投資する方に落ち度がある、という論理を展開したところは、アンナじゃなくても落胆したし悲しかった。
やっぱりアンナは誰の中にも少しずついるのかもしれない。

とはいえ豪遊は楽しい

人の金だろうと使えないカードだろうと、世界中でVIP達と豪遊してるアンナ(と取り巻き)を見るのは楽しい。アンナ役のジュリア・ガーナーも可愛い。
これは実話(完全なでっちあげ以外は)らしいので、保釈されたアンナがクラウドファンディングかなんかでまた莫大な金を手にして何かやらかして欲しいと思う。
そしたら私もちょっとお金出しちゃうかもな。
これがもうすでにアンナの詐欺に遭ってるのかもしれないと言うことで。

お休みのところ失礼いたしました。

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