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トランスジェンダー差別? フェルナンデス教理省長官

2カ月ほど前の話題になりますが、バチカンで教会の教義を担当する教理省(長官は、23年9月に就任した、ビクトル・マヌエル・フェルナンデス枢機卿)が、世界人権宣言の記念日に合わせて、4月に、人間の尊厳に関する宣言「Dignitas Infinita(無限の尊厳)」を発表しました。これがLGBTQ+に関わる人々の中に波紋を投げかけました。(Boris ŠtromarによるPixabayからの画像

「バチカン 男女の差異を”曖昧”にする試みを拒否」タブレット誌、2024年4月9日

速報的な、タブレット誌のこの記事では、今回の宣言を、「道徳に関する長年の教えを再確認し、男女の性差を否定しようとするジェンダー・イデオロギーに対する教皇フランシスコの反対を繰り返す」ものと紹介しています。
全体としては、人間の尊厳を脅かす、性犯罪、生命倫理問題、貧困、戦争、強制的な移住、女性への暴力、障碍者排除、人身取引を批判するものですが、性差は神からのたまものであるにも関わらず、ジェンダー論によって性差は曖昧となり、個人の自己決定を望むという誘惑に陥っていると述べられています。性別適合手術についても否定的で、反面、同性愛を犯罪とする法律廃止も求めています。
教会内の性自認の多様性を擁護する団体はこの宣言について、トランスジェンダーやノンバイナリーな人々に「制限された人権」を提供するもの、と非難しています。

「バチカン 人間の尊厳への脅威に関する新文書発表」ラクロワ誌、2024年4月9日

ラクロワ誌ではもう少し詳しく解説されています。
本宣言は、教理省で2019年から検討されてきたこと、人権侵害の13分野を特定して論じられていること、尊厳の<存在論的・道徳的・社会的・実存的>次元が詳解されていること、などと解説されています。「宣言の最前線」にあるのは、性虐待、移民の苦境、戦争、人身取引で、さらに、女性への暴力、安楽死(自殺幇助)、人工妊娠中絶、代理出産、といった医療分野のほか、デジタル世界の暴力についても言及しています。
ジェンダー論についての論点は、タブレット誌のとおりですが、性別適合手術について、「原則として」、「人の固有の尊厳を脅かす危険がある」と書かれているものの、「出生時にすでに明らかな、あるいは後に発症した性器の異常をもつ人」については、必ずしもそうではない、といったただし書きがあり、これは「トランスジェンダーのグループと定期的に面談している教皇の司牧的アプローチ」と評しています(こうした表現も論点になるでしょうが…)。

「バチカン新文書 『人間の尊厳問題への教皇の"独自"アプローチを示す』と倫理神学者」ラクロワ誌、2024年4月9日

この文書に関して、フランスのトマセ教授(倫理神学、イエズス会)は、基本的にこれまでの教会の教えを繰り返す中、教皇の独自の貢献も含まれていると、次のように解説しています。
この文書の新しさは、「尊厳」という用語を明確にしたこと、尊厳の重点が貧困の悲劇・移民の状況・女性への暴力・人身取引・戦争におかれたこと、デジタル社会・性別適合手術などの新しい課題を取り上げていること、主観的な個人の権利を重んじる傾向にある法律が共通善や人の関係性の次元への配慮から切り離されることを批判していること、などを挙げています。
一方で、宣言で不明瞭な部分、今後の課題となるのは、デジタル暴力に関する議論の発展、性別適合手術やジェンダー論についての当事者の現実的困難をどう捉えるのか、同性愛者の状況をどう理解するか、人工知能やエコロジーへの言及の欠如、といった点が指摘されています。

「教会の教え - 限りない尊厳」タブレット誌、2024年4月11日

この記事では、宣言発表後、ゲイやトランスジェンダーの人々と働いている教会の司牧者が抱いた憂慮について、あらためて述べられています。
教理省が、尊厳が脅かされている胎児や高齢者に加え、貧困、差別、暴力、虐待の犠牲者すべてに、本宣言で焦点を当てているわけですが、上の司牧者たちが恐れるのは、「バチカンがジェンダー・イデオロギーを大々的に糾弾することで、教会内の特定の人々(米国の文化闘争の戦士たち、中東の一部の総大司教、アフリカや東欧の司教たち)がゲイやトランスジェンダーの人々に対して敵意をむき出しにし、彼らに対する敵意や偏見を正当化すること」だというのです。
宣言自体、ジェンダー論についての言及は短いもので、しかもニュアンスのある表現をしており、性自認による差別や、それを犯罪化する法令を糾弾してもいるわけですが、「特定の人々」は宣言全体を読まずに、都合のいい部分を抜き出して、批判と排除の「お墨付き」にすることが目に見えている、ということでしょう。
フェルナンデス長官は、本宣言の重要性は、人間の尊厳を4分類した中で、「内在論的尊厳」を重視すること、と述べています。ごく簡単に言うと、「生まれながらの尊厳」ということでしょうか。
この宣言の言葉尻を使って、自分の主張の裏付けにするのではなく、倫理的考察を深めるために、全体を「よく読む」こと、が肝要のようです。

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