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どうなる韓国?

どうなる

どうなる
どうなる

どうなる

ということで韓国がどうなるかを考えてみたい。

つまり予言である。

まず、予言をするにあたって、外れた時の言い訳をしておきたい。

ノストラダムスだって外れた。

以上、言い訳をした上で書いてゆきたい。

今日、12月14日(土)、さっき、韓国の非常戒厳を宣布して世界的ニュースになったユン大統領の弾劾議案が国会で可決され、ユン大統領は職務停止になった。
それを受けてユン大統領は「私は決して諦めない。私への叱責と激励を心に受け止め、最後の瞬間まで国家のために最善を尽くす」とコメントを発表。

いろんな受け止め方はできるだろうが、かの国の2つの大きな流れの対立がクッキリ鮮明になった。それが社会を揺るがし世界的な大ニュースにまでなっている。それは立法府と行政府の対立という国の二大権威の対立であり、また2大政党どうしの対立でありまた、慶尚道という近代化の中心地と全羅道という常に周縁化されてきた地域の対立であり、また日米など西側諸国と協調する保守勢力とと北朝鮮との民族的な同調を重視する革新勢力の対立でもあり、それらの対立はイデオロギー的でもあり歴史的な経緯も持っている。一言で言えばそう簡単に克服できない性質、たぶんコリアンという言語を話す彼らの体質であるかもしれない問題であるようなのだ。

私がこれを書き始めているのは、一つはさっき大統領の弾劾議案が可決されたというニュースもあるんだけど、今週初め、9日月曜日に、シリアのアサド大統領がロシアに亡命したというニュースが日本で報道された。シリアは、10年以上前の「アラブの春」以来、長い内戦状態に入って、やっと体制派が倒れたということになるが、反体制派も一枚岩でないし、それぞれの勢力の背後に別々の外国勢力があり、つまりシリアは今後別々の勢力により分裂状態に入り、そして再び元通りのシリアには戻れないかもしれない。もともとシリアは、ここは日本なんかと歴史的経緯がものすごく違って、紀元前からの古い歴史を通じて、その時々の強国の支配下に入り、国名も、どの国に属するかとか、国境もめまぐるしく変わってきたので、たぶん我々日本人みたいな一体感を持つような「国」って、ないのではないか。従って、今までの「シリア」という国の中で分裂していることを心底嘆き悲しみ、なんとしてもこの「シリア」の一体性を回復せずにはいられない、という人がそもそもいるのか?という感じではないだろうか?もともとよそからやってきたフランスとか欧州の国が、勝手に都合のいいように国境線をまっすぐ引いただけで、そんなものを後生大事に「わが国」なんて思える人なんてそもそもいないだろ、という感じではなかろうか?

そういうニュースを聞いていた最中だからということもあるけど、「韓国もシリア化するんじゃないか?」って思ってあれこれ考えたので書いてみる。そんなことを考えながら、昔読んだ本に書いてあったことを思い出していた。柄谷行人の本なので嫌になるほど難しいが、せっかく捜したので書き写しておこう。

 …ヘーゲルが『法権利の哲学』で書いているのは、すでに出来上がった資本制=ネーション=ステートの相互連関を弁証法的に把握することであって、それらが現実にいかにして形成されたかを把握することではない。しかし、どこにそれが出来上がっていたのか。ヘーゲルはイギリスをモデルに考えていた。だから、『法権利の哲学』はむしろ当時のドイツの状態に対する批判でもありえたのである。ここに書かれていることが、イギリスやオランダ、フランスなどの先進国をのぞく地域において、むしろ将来において実現さるべきものであったということに注意すべきである。今日においてさえそれが実現さるべき課題である諸国家、諸民族がある。いいかえれば、資本制=ネーション=ステートの形成はけっして容易ではないのだ。
 グラムシ…はロシア革命において通用したことが市民社会の成熟した西欧において通用しないことを次のように指摘している。≪東方では、国家がすべてであり、市民社会は原生的でゼラチン状であった。西方では、国家と市民社会の間に適正な関係があり、国家がぐらつくと、たちまち市民社会の頑丈な構造が姿を見せた。国家は第一線塹壕にすぎず、そのうしろには要塞と砲台の頑丈な系列があった≫…。しかし、この市民社会の成熟とは、むしろ、資本=ネーションステートが確立しているかどうかで見られるべきである。イタリアにおいて、グラムシが指導したレーニン主義的な工場占拠の闘争がファシストによって粉砕されたのは、後者がナショナリズムに訴えたからである。一方、ロシアでは、国家、資本、ネーションは統合されていなかった。つまり、そこでは、戦争は皇帝のためのもので、ネーションのためのものではなかったから、むしろ、社会主義革命がナショナリズムを喚起しえたのである。また、多くの「社会主義」国の場合、革命は民族独立解放運動と同じであった。そこでは、国家機構や資本は植民地勢力と結託していたので、ナショナリズムを喚起したのは社会主義者であった。
(柄谷行人「トランスクリティーク」p420-422)

近代国家はネーション・ステート(国民国家)と言われる。ネーションは「我々は日本人である」という国民の一体性の意識で、ステートは制度的な国家としての体裁だが、柄谷はそれに加えて近代国家は、資本もそのネーション・ステートと結びついていると言う。それを分析したのがヘーゲルの「法権利の哲学」という本だという。その三位一体が一旦結びついたら非常に強固だけど、世界の中でそういう強固さを実現できたのは、ヘーゲル当時にはイギリスぐらいで、当のドイツですらそれが実現されてなかったという。今でもそれが形成されてない国はいくらでもある、と。たとえばシリアにもそんなもの、今もないようですね、と。シリアのGDPは鳥取県のGDPよりも小さいんだって。経済の小ささはともかく、ネーションの一体性がない地域はもろいよ、と。
グラムシというイタリア共産党の創始者の一人は、ロシア革命と同じことをイタリアでも起こすんだ、と頑張ったけど駄目だったと。なぜ駄目だったかというと、ロシアにはネーションなんてゼラチン状でグニャグニャで、ステートしかなかったから、ステートを崩せばそれでおしまいだった。しかしイタリアではステートを崩してもネーションがあったからそいつにやられちゃった、と。共産主義なんてものが支配しようとしてるのを見て、我らイタリア人の国をどうしてくれんだ!と抵抗する「イタリア人」という強い意識があった。ロシアにはそんなものなかった、むしろ社会主義革命によってはじめて「われらロシア人」って燃え上がるものが生れた、と。つまり、我々の感じでは、「我々日本人は!」みたいなのを強調するのって、右翼で、そういうのは共産主義なんか目の敵にするけど、もともとそういう「わが国民は!」みたいなのがなかった場所では、社会主義、共産主義、マルクス主義、私はそれらがどう違うのかよく知らないのだが、とにかくそういうのが一般に暮らす人たちの一体感をくれた。私は柄谷の上の難しい文章をそう読解した。短く言うと、近代の中で立派な「国民国家(ネーション・ステート)」と呼べるものを作ることに成功した立派な国は、まあ大雑把に先進国。日本もそう。そういうところでは「わが国は!」っていう、トランプ大統領みたいな人、日本で言ったら、石原慎太郎みたいな人は、右翼やけど、後進国、いつまでも近代国家として立派に羽ばたけない国は、むしろ左翼と呼ばれる人たちが民族意識を高める、そういう構図。

 韓国は既に立派な先進国。現在、韓国の一人当たりGDPは日本を上回っている。それは今の歴史的な円安の影響もあって、1ドルが130円まで戻ればまた日本のほうが上になるようだけど、ともかく韓国はそこまで来た。政治制度も、立派に民主主義が機能している。少なくとも12月14日現在は。それに、彼らは韓国語というべきか朝鮮語と言うべきかハングル語と呼んだほうがいいのか、とにかくコリアンという彼ら固有の言語を喋り、言語は文化のいちばんの根幹だから、ネーションとしての一体性を獲得しやすいようにみるからにみえる。
 しかし、気になるのが、彼らのナショナリズムが高揚するのが、どうも北朝鮮との連帯を示す時のようにみえることだ。それは、共産主義なのか社会主義なのか、とにかくそれ系統の思想と結びついている。それは上に見たように、後進国の特徴である。20世紀の初頭とかに列強に植民地化された地域では、体制が宗主国と結びついていたので、ナショナリズムとサヨク・革新勢力が結びついた。今の韓国でいうと、近代化の中心地の慶尚道を支持基盤とする与党「国民の力」が日米との連携を強調する一方で、発展の周縁地の立場にあった全羅道を支持基盤とする「共に民主党」はそういう路線に批判的で、北朝鮮との民族的一体感を重視する。

野党である「共に民主党」は今日、2度目のユン大統領を弾劾する決議案を出したが、1度目の決議案の中にはユン大統領が「日本中心の奇異な外交政策に固執した」という記述があったという。(今回のではこの文言は削られたという。)
この文言に少しこだわってみたい。ユン大統領が「日本中心の外交政策」に固執したことが「奇異」であったという。かつて日本は韓国を植民地支配していたという連想が韓国には非常に強くあるので、そういう姿勢は容易に「売国的」という連想を呼ぶだろう。それが不幸にも、サヨク・革新勢力がナショナリズムを味方につけられる背景にあるのだが、それは、後進国的なモデルに属する。柄谷がそう言ったのではないけど、私はそういう構図でとらえる。後進国でもいいんだけど、それが、かえって彼らを不幸にする勢力に付け入れられることになるのではないか、ということだ。つまり、普通の(と私が考えるところの)日本人からみれば、日米欧と結んだほうが、北朝鮮などと結ぶよりもよっぽど彼らは幸せになるような気がするのだが、そうは考えない韓国人が、全羅道とか「共に民主党」支持者の中には多いらしいということだ。それは何百年という歴史的経緯を踏まえた上でそうなっているとしたら、そう簡単には変えられない。韓国の社会にそういう構造があるとしたら、今後、とっても危ういと思うのだ。
私は韓国に行ったこともないし、韓国人の友人がいるわけでもないので、直接彼らを知る情報ゼロなので、ただメディアを通じて入ってくる情報をもとに考えているだけなので、「実は表に出てこないけどいざとなったら彼らにはこんな力が」みたいなものは私にはまったく見えない。
あえて楽観的なことを考えるとしたら、韓国という既にお金持ちで、失うものをたくさん持っている人たちが、後進国的な社会混乱を許容しないだろう、ということ。ずいぶん昔、誰が言ったのか忘れたが、一人当たりGDPが1万4000ドルを超えた国では軍事クーデターは起きない、と。今は物価水準がずいぶん変わったけど、日本も韓国も3万ドルを楽に越えて、IMFは、韓国はもうすぐ一人当たり4万ドルを超えると言ってる。そういう国の人たちは、イデオロギーなんかどうでもいいから、自分たちの暮らしを壊すな、って感じになり、それがストッパーになるかも。日米と仲良くしても北朝鮮と仲良くしても、それで社会が壊れないならそれでええわ!みたいな人たちだったら安心かも。
だから、今日もニュースで見たけど、国会前に、弾劾賛成派と反対派がそれぞれたくさん集まって、盛り上がっていたのを見ると、彼らはどこまで暴力的になるのかな、ということが気になる。
まず、国の運営の先頭に立ってる二大政党というべきか、立法府と行政府というべきか、社会にこれ以上の権威はない、というところで、融和的な雰囲気がないのが気にかかる。上の「日本中心の奇異な外交政策に固執した」というのが大統領の弾劾の理由の一つになるというのは、それこそ統治行為論であり、反対するのはいいけど弾劾の理由にするところが、相手と妥協しようとか落としどころを探ろうという姿勢と真反対で、今、大統領を弾劾するチャンスで、それに乗じて自分たちの主張を一方的に盛り込んでやれ、という下品な匂いがプンプンしてくる。こんなこと入れたら、相手だって妥協しようという気が失せる。ユン大統領も、最後まで諦めない、って、対立姿勢を崩していない。そういう時、政治家たちを支持する国民は、自分たちが得た豊かさのために、どこまで妥協する余地があるのか。もしかしたら、自分たちの得たものを犠牲にしてまで、社会をグチャグチャにしてまで、主張をグイグイお互いに押し続けるのか。

韓国がシリアと似てるのは、大陸の周縁に位置するので、自分たち民族の主体性を前面に出して国家を作るという経験に乏しいということ。それが、彼らが固有の言語を持つにも関わらず、日本みたいな一体性とか、強い結びつきを持たなかった原因かもしれない。冷戦が終わった時、ドイツは東西が一緒になったけど、韓国と北朝鮮は分裂したままだ。そのことは、彼らが「自分たちはひとつの民族だ」という意識がそれほど強くないということを意味しているのではないか?彼らは口では民族の一体性ということをよく言うけど、額面通りだとしたら、なぜドイツみたいに一緒にならなかったの?ということがある。同じ民族だということよりもイデオロギーのほうが優先されるのだったら、今回の日米路線の「国民の力」と北朝鮮との連帯を強調する「共に民主党」の対立も、そうなる可能性があるのではないか?
もう一つ気になるのは、彼らは非常によく反日姿勢を表わすけれど、その理由は、反日ということを言った時だけ、韓国人は一つにまとまれるのだという。逆に言うと、反日カードがなければ彼らは一体性を確認することができない、ということにもなる。しかるに、今回はその反日カードが切れない状況である。与党「国民の力」は日韓連携を強調しているから、その彼らが反日と言うということは、もともと極めて反日色が強かった「共に民主党」に屈服するという形になるから、今回だけは、反日でまとまれる状況にない。

だから最悪、韓国はシリアみたいになる。私はそういうビジョンを持つ。そこを乗り越え、我々外側から見えない韓国人の、彼らは充分すぎるぐらい知性的だから、そういう力を発揮して、この国家的分断の危機を乗り越えてくれたらいいなあと思う。韓国のためだけではなくて、中国とか北朝鮮とかロシアがここまで暴れ回っている時に、韓国が味方としてカウントできるかできないかって、日本にとってすごく大事なことだから。以上。

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