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夢日記20240821

夢を見た。私は日本のどこかに住んでいる。ここ何年も、「あ、またこの場所を舞台にした夢だ」というのをたくさん見てきたが、今回は今までの夢の舞台になったところとは違うような気もする。私はある公園、それも普通の公園ではなくパブリシティの高い、つまり社会性の高い施設と関連を持った公園の近くに住んでいるようだ。近くに、あるいはその公園自体が何か大きなスタジオを持っているようでもある。とにかくそこに住んでいる。夢の前半がどんなふうであるかはほぼ覚えていない。そこはわりと都会で、なんだか大阪ぐらいの繁華街かもしれない。知人の何人かから、私に文句を言っている人がいると聞く。それは漠然としたものだったが、ワシントンかどこかに住む米国人だという。なぜそんな人が私に文句があるのか合点がいかない。ある知人から私は詳しいことを聞く。その人は京都大学卒で背の高い人だった。これは昔の職場で知り合った京大卒のSさんという人がいたからその人がモデルになっている気がするが、姿かたちは、Kという、これは私たちとは口も聞きたがらない嫌な奴だったが、そいつをモデルにしているかもしれないが、性格はSさんのように穏健だった。それでその人が私に文句を言っているということについて詳しく聞く。しかしやはり詳細がみえてこない。そもそも直接の接触のない人に文句を言われるというのは、ネット空間に私が発表した文章か何かを見たとしか思われない、ということだけは推測した。その人はなぜか私に、中華街で買った食べ物を、その京大卒の人を介して送ってきた。私はそれを受け取った。私たちはその大阪ぐらい繁華している町を歩いているが、ちょうど中華系の店の前を通った。中華街にあるような「〇〇中華公司」みたいな名前の店だった。その京大卒の人が「このお菓子を買った店と同じチェーン店ですよ」みたいなことを指摘した。その人はワシントンの、やはりパブリシティの高い公園の近くに住んでいるというので、私と似た環境にいるようだ、と私は指摘した。ワシントンにもこの「〇〇中華公司」があるのだろう。なぜ彼が私にそのお菓子、あるいは食べ物を知人を介して送ったかということについては私は別に不思議には思わなかった。初対面の人に口をきく時にはそのぐらいのことをするのは、たとえそれが文句であっても、世間一般のプロトコールとして普通のことかなと思うばかりだった。とにかくその人が文句を言ってますよ、ということだった。どんな種類の文句だったかも要領を得ない。しかし彼は普段ワシントンに住んでいて、日本には来たこともあるかすら分からないらしい。とりあえずこの人と直接会うことはまずないらしいと知った。「ところでその人は何ていう名前でしたっけ?」と聞いた。話の最初に聞いただけで覚えてなかったから。それでその京大卒の人は教えてくれ、私は持っている本か何かの表紙にそれを忘れないように書き留めた。なんとかヒギンズみたいな名前だったかもしれない。「それはこういうつづりですか?」と私は聞いた。「いや、こういう名前だから、愛称のつづりはこうでしょう?」みたいなことを言語学的に専門的な知識を披露しながらその京大卒の人は答えた。このあたりは寝ながら聴いていた「ゆる言語学ラジオ」の影響を受けているようにも思った。覚えているのはそのぐらい。

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