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石破が総理大臣になった意味は?

それが分からなくて。
先月9月27日に石破が自民党総裁になったというニュースを聞いた時は意味が分からなくてだるくなった。
私の認識では石破が旬だったのは3年3カ月の民主党政権の後に再び自民党が政権復帰した時で、自民党の顔として誰が総理になるのかという時に石破が有力候補だった。10年以上前の話だ。同世代の政治家として、安倍晋三、塩崎泰久、石原伸晃、渡辺喜美がいるが4人とも既に国会議員ではない。だから石破が総裁に選ばれたというのは何なんだろう?と思った。
 それで総裁選のニュース記事を片っ端からコピペして読み上げアプリで聞いてるうちに、あ、これは「派閥解散後の自民党がどうなるか」という切り口でみるといろんなことがスッキリ見えるなあと気づいた。

①まず、岸田政権がなぜ終わったかというと、派閥のパーティー券キックバック裏金問題があって支持率が下がったから。それで岸田がやったのは派閥の解散をした上で自らが退陣することだった。それで党が刷新し支持率も回復し、自民党が終わってしまうことを防いだ。自民党が日本の戦後のほとんどの期間与党でいられたのは、ひょっとしたら派閥のおかげかもしれない。それにも関わらず岸田が宏池会の解散を決断したのはそれだけ強い危機感があったからだ。岸田はうまいボタンを押したと思う。これをきっかけに他の派閥も次々に解散し、6つあった派閥のうち今では麻生派1つだけになった。

②派閥がなくなったことで、既に終わったはずの石破に再浮上の機会が来た。
 石破自身は自民党から離党して小沢一郎の党にいたこともあったり、自民党復帰後は平成研(今の茂木派)にいたこともあったが、2015年に自らの派閥「水月会」を結成。でもジリ貧で、2021年には派閥の存続を断念し、単なる勉強会、議員グループになった。
 この時点で石破が総裁になることは現実的でなくなった。自民党は派閥という単位で動くので、総裁選挙などは派閥単位で誰に投票するか決めてきたので、派閥がなくなったら20人の推薦人も集められないから立候補もできないし、仮に立候補できたとしても当選することは現実的ではない。
 しかし今年になって岸田首相が自らの派閥の解散を宣言したことで党内に激震が走った。この宣言の波及効果は見事で、党内の派閥は次々に解散を決めた。それがあって初めて石破が総裁選に出る下地が整った。ちなみに今回9人もの候補が乱立したのも、結果がどうなるかが予想できなかったのも、派閥がなくなったからだった。従来だと派閥ごとに候補を1人だけ立て、自分たちで出さない派閥は他の派閥の候補を応援して、かわりに新政権で党役員や閣僚ポストで優遇を受けたりしていた。なので候補者は派閥の数を上回ることはなかったし、派閥ごとに誰に投票するかは見えていたので結果の予想も簡単だった。自民党には派閥解散直前には6つの派閥があったが、茂木派から2人(茂木と加藤)、
岸田派から2人(林と上川)、二階派(小林)、安倍派(高市)、麻生派(河野)から一人ずつ、そして無派閥から石破と小泉、合計9人が出た。従来だったら茂木派と岸田派は候補者を1人に絞り、無派閥からは出る余地はほぼなかったので、最大でも5人だったと思われる。加えて、政権中枢に就くことが最大の目的なので、当選する見込みがない場合、自らの候補を降ろして他の有力候補を支援することでポストをもらうという作戦をとっていただろうからさらに候補者は少なくなる。しかし今回はそういう相乗りの行動は、野田聖子が小泉進次郎の支持に回ったという以外は見られなかった。これが何を意味するかというと、BBCは、総裁選挙と兼ねて、近くあるだろう衆議院選挙に向けた活動でもあるという見方をした。それに加えて、今後の党内の秩序が形成される中で、総裁選に立候補できた(=20人の推薦人を集められたという実績)、実際に総裁になる可能性があるというアピールをすることで自らが新しい秩序の中でしかるべき立場を確保するという思惑もあったと私はみる。

③10月1日に始まった臨時国会で石破総裁が総理大臣に選ばれ、同日組閣。4日(金)に石破新首相の所信表明演説が行われ、9日(水)に党首討論をし、同日衆議院を解散し10月27日(日)衆議院選挙を行うと石破新首相が表明した。野党は反発をしているがたぶんそういうふうになるんだろう。この選挙の最大のテーマは自民党の派閥パーティー券キックバック裏金問題だ。立民の野田党首は党首討論でもこの問題を主要テーマとして取り上げると言っている。やはりここでも自民党の派閥の問題。
 この問題がそもそも始まったのは、自民党の派閥が所属議員にパーティー券を売りさばくようノルマを課したので各議員は一口2万円の券を協力してくれる企業などにお願いをするのだが、同じ人とか企業に、いろんな議員からお願いが重なるという。なのでそれぞれから何口かずつ買う。20万円を超えなければ券を買った人の名前は出ないはずだが、同じ派閥の複数の人から買ってると、個々の議員から買ったぶんは個々には20万円を超えないので名前は出ないと思ったら、もともと同じ派閥の券なので派閥単位だと20万円を超えてしまうけれども、名前を出すと相手に迷惑がかかるから名前出せない、どうしよう、隠そう、ということになって政治資金収支報告書に出せない収入が発生することになったという。それで裏金が発生することになり、そういう浮いたおカネを議員にキックバックしたり、果ては、これはどうせキックバックで戻ってきて、しかも収支報告書に書かないで下さいって言うので、最初から派閥に渡さずに自分でもらう議員も出たりして、そういうのが常態化したというような経緯らしい。「フフフおぬしも悪よのう」みたいな確信犯的な悪ではなくて、浮いちゃったおカネどうしよう、処理に困ったなあ、みたいなおカネのことを、真剣に考える人がいなかったということだと思う。本当は議員さん個人が責任をもって処理しようとすれば問題は起こらなかったはずだが、秘書にまかせっきりにしたりしていた。そういうタテマエをとっているのか本当にそうだったのかは知らないが、結果として安倍派の5人衆みたいな、総理まで狙える人も含めて沈んでしまった。そういう議員さん達がどこまで直接関与したのかは、キリキリと詰めていってもスッキリ解明するのは難しい。そういう灰色の「裏金議員」には、今度の選挙で野党共闘して刺客を送り込んで落選させると言っている。石破首相は、公認するかどうかは個別に考えると言っている。9日に行われると言われている党首討論で、野田党首はこの点についてガップリ四つで石破首相に挑むと言っている。
 野田佳彦さんも、10年以上前に総理大臣を経験した超大物政治家で、立憲民主党が嫌いな人でも野田さんは評価するという人も多い。石破茂も10年前から総理大臣になる器がすでにできていた大政治家だ。この2人の日本を代表する政治家が今月9日に行われるらしい党首討論は、歴史的な意味を持つ名討論になるかもしれない。
 なぜ立憲民主党の党首選挙で枝野や泉健太ではなく野田が選ばれたのか。なぜ自民党総裁で石破が選ばれたのか。来るべき党首討論を焦点に考えると、この場のために役者を揃えたという意味があるのではないか。野党が自民党の弱いところ痛いところを突くのは当たり前だが、枝野や泉は、相手の痛いところをひたすら突きまくるという議論をするとしか思えない。でも野田さんはそういう議論の仕方はしない。聞いてて味がある議論をする人である。
私は夏が来るたびに野田さんと菅(すが)元総理の安倍首相を追悼する演説を読み上げアプリで聞いている。岸田首相(当時)の追悼演説もあったけど、この2人のと比べると味気なくてしょうがないけど、野田さんと菅さんのは何度聞いてもいいなあ、って思える。
石破も誠意を込めて喋ってます、っていう感じの出せる政治家だ。同時に海千山千という感じもある。もし自民党新総裁が高市や小泉だったらどうか?特に、安倍派の高市、5人衆が揃って撃ち落された安倍派の高市は、裏金問題で野田と渡り合えるという感じが全然しない。小泉進次郎も、私は「小泉構文」と言われる喋り方は個人的には好きだ。「環境問題のセクシーな解決策」って昔言って批判されたが、私はこの言い方はすごく好きだったので、こういうレトリックに磨きをかけてほしいと思っているがとりあえず野田とあんまり噛みあう論戦にはならないと思う。でも石破と野田ならガップリ四つの議論になるイメージが浮かんでくる。
野田と石破がどんな討論をするか、私は楽しみにしている。現代日本を代表する大政治家が、来るべき衆議院選挙の命運を賭けてする世紀の討論だと思う。それがもし期待外れに終わったら、それが今の日本の国政のレベルだということになると思う。

④今回の衆議院選挙の意味というのは、ポスト派閥時代のはじまりの衆議院議員を選ぶ選挙だということだ。結果がどうなっても自民党の派閥は元に戻らないが、党内の秩序は新たに構築しなくてはいけないが、それを今回の選挙で選ばれた自民党の議員で作っていくことになる。石破と野田の論戦で、裏金問題がどう位置付けられ、国民がそれをどう判断するのか。裏金議員にどういう審判が下るのか。そもそも石破総裁が裏金議員をどの程度公認するのか。
 自民党の派閥がなくなったことは、令和時代の政治がどうなるかについても大きな影響を与える可能性がある。
 平成時代30年の国政を総括すれば、保守・革新の二大政党制を確立しようとして失敗に終わった、ということだと思う。細川政権で小選挙区制にしたことで二大政党制を目指そうということになり、民主党ができて、政権交替するところまでいって、それが3年3カ月で瓦解した。小選挙区制は残っているが、政権交替可能な野党が消滅して、その結果、選挙結果がどうなっても自民党政権が続くという現状になっている。自民党が今のようにぶったるんでいるのも政権を担える党が他になくて安泰だからだ。
それをどうするかというのが令和時代の国政の課題だ。平成天皇も令和天皇も50代後半で即位したので、令和時代もだいたい30年続くと予想される。その間に我々は国政の枠組みにどういうビジョンを持つべきなのか?平成時代の最初頃の日本人は、二大政党制を作っていこうということだった。それは保守・革新による二大政党制だった。それが失敗だったというコンセンサスはできていると思う。個人的な見解では、小池都知事が誕生した時点で、革新勢力は必要なくなったと思う。革新、または左翼と呼ばれる勢力は別に存在してもいいけど、政権を担う力は現時点では持たないと思う。小池百合子が都知事選に立候補した時は、保守分裂選挙になった。そこに鳥越俊太郎という革新勢力のスターも立候補したので漁夫の利をさらわれると思われたが、結果は、保守分裂だったにも関わらず、小池は鳥越の得票数の倍以上を取った。そして、小池と増田寛也の争いに、都民だけでなく日本じゅうが盛り上がったのだ。だから保守による二大政党制でも日本人は盛り上がれるのだということがあの時点ではっきりした。
現時点での国政の問題は、政権を担える政党が自民党しかないということで、それを解決するには、従って、保守政党でもう一個、政権を担える政党が生れればいいのではないか。その最有力候補が維新ということになると思うが、他の政党でもいい。なんなら自民党が二つに割れて、割れた一つが維新とか、小池の政党など地域政党と合流するとかするなどして、とにかく2つできればいいような気がする。しかしそれは私の勝手なイメージである。
現時点は、自民党が派閥という構成単位を失ってしまって未知の領域を歩き出したということ。従って新たに秩序の構築をしていかねばならない。それが固まるまでは、総裁選のたびに今回のように10人ぐらい候補が乱立するという状態が続くと思うので、自民党内の秩序が落ち着いたか測る方法の一つとして、総裁選の候補者の数をみるということがあるかも。
自民党内にはいろんな主張があるけれど、最後はまとまれたのも、各議員が自分の所属する派閥の言うことを聞いたからかもしれない。党内で大きく割れる政策も派閥のトップが「党が割れることだけは避けよう」って言って妥協すれば、所属議員は「ボスがそう言ってるから従おう」ってなるから。これからこういう調整を誰がするのか?ということを考えると、ちょっと怖い気がする。それをまとめることができるのは、今回の総裁選候補者の中でだと、高市や小泉にそれができるとは思えない。茂木、加藤、林あたりなら何か知恵があるかも、とも思えるのだが、彼らは人気が出なかった。

石破の人事をみると、岸田流ではなくて安倍流だ。安倍があれだけ長期政権を実現できた原因の一つとして、「次はない」という人を重要ポストに据えたことにあった。幹事長に二階、党副総裁という非常設ポストに高村、政権内にこれもまた非常設の副総理に麻生という、実力者で発言に重みがありにらみも効くけど、高齢のため寝首をかきに来ない人ばかりで固めていた。それに対して岸田は幹事長に茂木、政調会長に萩生田、閣僚に自らの派閥の林や上川に加え西村、河野、高市、野田というガチの総裁候補を揃え、寝首をかきに来る人がいくらでもいる感じにしていた。岸田総理は無欲というのか捨て身というのか、権力欲を感じさせない人だった。失政もなかったし。また何かで活躍してほしいと思う。
大して石破は、一緒に総裁選を争った他の8人にもポストをオファーするみたいなことを言っていたが、まず最初に森山総務会長を充てる人事を発表した。その後で高市に総務会長をオファーした。本当は、僅差で善戦した高市に幹事長をオファーしてもおかしくないところだが、決して寝首をかきに来ない森山を幹事長に据えた。副総裁に菅元総理、最高顧問に、決選投票で高市に投票するよう呼び掛けた麻生元総理を据えた。両方とも寝首をかきには来ない。高市は入れなかったが、高市側についた麻生を、最高顧問という、権限があるのかないのか分からないポストに据えるところは海千山千っぷりが出ていると思う。気に入らなければ麻生が吠えると思われるが、隣に菅元総理という、あんまりそりが合わない人がいたりするし、吠えっぱなしで、それで反対勢力のガス抜きになるという感じではないか。
赤澤とか平とか、どうしてこんな実力ある人が入閣しないんだろうと不思議に思っていた人たちが入閣したけど、石破派なので干されたいたんだと思う。彼らは10年前に既に入閣してもおかしくないような実力を持った人たちだ。小泉も、閣僚経験1つだけだったのが、党4役に入って、いよいよ自民党の実力者に名実ともになってきたというポストを与えられたし、選挙の顔としてもこれ以上ない。
このあたりは石破はベテランで手慣れたもんだと思う。
しかし未知の領域は、派閥なしで自民党の秩序がどこまで保てるのか、ということだ。今までずっと派閥があったということは、必要だからあったのだと思うが、なくなった時にどういう秩序ができるかというのが令和時代の国政の注目点である。
派閥はもともとは政策が近い同志が勉強会をするというのがいちばん核になる機能だと思う。それで自分たちの主張を具体的な政策の形にしていくし、一緒に勉強していくことで人材育成にもなる。今回否定されたのはカネを集めることや、新政権ができた時に、強力する代わりにポストを要求したりするようなところ。だから政策集団、勉強会というところは残るとして、カネと権力がなくなるけれど、そうすると個々のメンバーの抑えがきかなくなる。でも、やっぱ活動するにはカネも必要だし、事務局も、ってなると、党内派閥がいけないんだったら独立した政党でいいんじゃない?って発想がありえるかも。つまり公明党みたいに、明らかに別の政党だが自民党が与党の時も野党の時も、もう四半世紀以上行動を共にしているけど、自分たちもああいう感じで、党外から自民党に協力しよう、みたいな。つまり派閥が党内にあるのではなく党外に出るみたいな。そんな形がありえるのではないか?イメージとしては、今まで6つあった派閥がぜんぶ党外に出て独立した政党になって、それら6つが選挙の時とか首班指名の時には歩調を合わせる、どうしても気に入らない時には反対する党が2つか3つ合わせて反対勢力になる。そのことで政党が3対3ぐらいに分かれれば、保守2大政党の代わりみたいになる。また次の選挙の時には、また別の3対3の勢力に分かれるみたいな。今回はバランスが崩れて4対2になったから4つ固まったほうが政権をとる、とか。4党の連立政権を作って、途中で1党が反乱を起こして下野して野党をやってる2党と連立して3対3の構図で与野党が入れ替わるみたいな。不安定だしやってるほうは神経すり減っちゃいそうだし、これは私がただ空想しただけのことで、どうなっていくかというのを、我々日本人はこれから20年以上続く令和時代の間、見続けることになる。

以上、長くなったのでまとめると、

①岸田政権が終わったのは派閥の不祥事
②派閥がなくなったから石破政権が誕生した
③派閥の不祥事、負の遺産の問題が今度の衆院選のいちばんの争点となる
④派閥なき後の自民党の秩序がどうなっていくかは、国政のかたちにも影響を及ぼす可能性が大きい。平成時代の「保守・革新による二大政党制」というビジョンが消えてしまったが、令和時代にどういうビジョンを描くのか、実際にどういう枠組みができていくのか。
今度の衆院選はそういう新しい時代の最初の国政選挙である。
それに先立って行われる石破と野田の党首討論は歴史的な意味を持つかも。

もっと短くまとめると、我々は「ポスト派閥時代」の始まりにいて、それがどうなっていくかを令和時代を通してずっと見ていく、というイメージである。令和時代ずっと。つまり、2年とか3年で解決する問題じゃないと思うのだ。

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