栗羊羹一つ作るのにも人生観ガタガタ
つまり情緒不安定と言われてもしょうがないメンタルボロボロ。よくこの年まで無事に生きてきたもんだ。平和な日本に感謝しなければならない。ということでクリスマスシーズンに栗羊羹を作った。
栗は人生の縮図だ。そんなことをたかが栗羊羹一つ作るのに考えていた。
こないだパイのフィリング用にこしあんを買ってきたのがいつまでも冷蔵庫に余っていたので、同じく冷凍庫にいつまでも使われずに霜がついた状態で保存されっぱなしの栗があったから、合わせ技で栗羊羹を作ることに。
この栗は秋に誰かからもらったものをいちおうお湯に入れ沸騰処理したものを凍らせておいたもの。栗を送る側は何を思って送ってくるのか。好意とも言えるが、その処理に手間取ることを思うと「ひょっとしたら嫌がらせではないか?」と生の栗をもらうたびに頭をよぎらずにはいない。30個もらったら休日がまるまる潰れる。そのぐらい処理が難しい。放っておくと数日で虫に食いつくされて加食部分がなくなる。だから生栗が襲来したら、YouTubeか読み上げアプリで6~8時間ぶんの聴くコンテンツを用意した上で作業しなければならない。それを聴きながら朝から日が沈むまで皮をむき続ける。「これは何かの悪い冗談ではないか?」「これは善意ではなくて悪意ではないか?」と考えながら、ひたすら皮をむく。固いからナイフとか、栗の皮むき専用の道具を使って、指を切らないように気を付けながら。
でもこの秋は、その時間がとれなかったのでまるまる沸騰処理させてそのまま冷凍保存した。それを、残ったこしあんの分量に合うように7個ほど栗を冷凍庫から取り出してむいた。
私は栗の素人なので、秋の栗襲来の時期が過ぎると栗のおそろしさを忘れた。そして昨日、ナメていた。たかだか7個だから皮むきだってすぐに済む、と。ところがむきはじめると、1個むくのに5分では済まない。どんどん時間が過ぎていく。その後にも予定があるので、この年にして泣きそうな気持で皮をむいていた。
しかしそれでなんとか皮をむいたら、後は早かった。今回栗羊羹を作るのにはデリッシュキッチンのレシピを参考にしたが、いろんなレシピを検索してもぜんぶ「栗の甘露煮」と書いてある。私が持っているのは生栗を沸騰していちおう火が通ってるというだけのものだが、もう時間がないのでそのまんま使った。分量どおりの粉寒天を水に溶かして沸騰させ、そこに4つに割った栗を入れ、分量通りの砂糖とこしあんを入れて適当に混ぜるだけ。
それを容器に移して、余熱をとったら冷蔵庫に入れようと思ってテーブルの上に置いておいたら、余熱が取れる前にもう固まりはじめていた。そこがゼラチンと違って扱いやすい。
栗の甘露煮ではなく、ただ生栗に火を通しただけのものだから味はどうかな、と思ったが、これがおいしかった。むしろ甘露煮なんか使うよりもヘルシーな感じがして、あっさり味は上品な和風だ。写真からは「上品」という感じはないかもしれないが、味はほんま上品。
私の人生観はいっきに好転した。さっきまで「人生とはなんと辛いものか。羊羹をつくりそびれて時間が足りない。次の用事に支障が出る」みたいに思ったのが、意外にサッと作れて、しかもおもいがけなくおいしい。栗は人生の縮図だ。扱いに困るが、ちゃんと向き合い適切に扱えばあなたの人生を豊かにしてくれる。それが私のところへ来た時には禍なのか福なのか分からなかった。どちらにもなりうる存在だったが私は適切に扱うことに成功し、こうしておいしい羊羹を得た。「ファム・ファタール(運命の女、時に男を滅ぼす女)」という言葉が思い浮かぶ。私の念頭にあったのはメリメの「カルメン」だが、そういえば文学作品として最初にファム・ファタールを書いたと言われるのは「マノン・レスコー」と言われる。「ハッ!作者が栗(マロン)という名前を選んだのは、作者も栗の処理に悩んだ経験があるからではないか!」とひらめいたが「マノン」だった。関係なかった。いいことひらめいたと思ったのに。
昔、ある人とTVを見てた時のこと。町の通りで、「あなたに合う言葉を考えて色紙に書きます」という商売をしている人のことをやっていた。通りかかる人が、「私に合う言葉を下さい」って注文されると、言葉を考え、色紙にそれを書き、簡単な絵も添えられたかもしれない。一緒にTVを見てた人が「これは1枚いくらで売るんだろう?」と聞いてきたので、「最低でも1000円でしょう。ひょっとしたら2000円か3000円」と答えたら「それは高すぎるでしょう」と相手が言うので、「いや、誰かに合う言葉を考えるというのは、ひらめきを必要とし、そういうひらめく力というのは、1日に5回ぐらい、多くても10回、それを毎日続けることを思うと毎日10回はきつい。そう考えると1000円だとしたら1日5千円か、マックス1万円ぐらいにしかならないので、もっと高くてもいいぐらいだ」と私は答え返した覚えがある。ひらめきってそのぐらい人間にとって大事で限りある資源やと思う。今日はマノンとマロンの勘違いで限りある資源を浪費してしまったのでせめてnoteの記事にしようと思った。