
武士の血が騒ぐ
大阪暮らしが長かった人間として気になることがある。エスカレーターで立ってる時どちら側に立つかということである。大阪では右に立つ。明確である。急いでる人のために左を空けておく。それが大阪流。
普段大阪で暮らしていてたまに別の地方に行くと、たいていは逆だ。左に立ち、歩く人は右側から追い越していく。しかもそのことに無意識らしい。「大阪とは逆ですね」って言っても、「ああそう?ここらへんでは別に決まってないよ」って言うんだけど、観察すると必ず立つ人は左で追い越す人は右と決まってる。大阪以外では。大阪の人はみんな意識して右に立ってる。別の地方では無意識に左に立っているようなのだ。
どうしてそうなったかと聞いても諸説ある。ある説では、大阪万博、来年のじゃなくて1970年の万博の時のこと。工事がいろんなところで行われ、何かの都合でJR構内を歩く時、右側通行をお願いしたことからそういう習慣が固まったとか。しかしそんなことはないだろ、と思う。問題は、日本は歩行者は右側通行なのになぜ大阪以外では左側に立つのか、ということだ。車だと、普通に走る車は左側に寄って、追い越していく車は右側から追い越していく。だから右側通行なら右側に立ち、追い抜く人は左側から追い抜く。そういう理屈になるはずだ。私の言ってることが間違ってるだろうか?正しいよね?ね?そうだよね?
って言いたいんやけど、アスペは変なところにこだわるって言われちゃうから、何も気にしてないふりをしながら心の中ではうじうじと考えている。
ちなみに日本と同じ歩行者は右側通行の英国ではstand on the rightと言って、エスカレーターでは右側に立ち、追い越す人は左から追い越す。大阪と同じだ。というかそれが右側通行での正しいあり方なのだ。
それで、大阪を離れても、エスカレーターでは右側に立ちたい感覚があるが、「おかしいのはお前らだ」と心の中では思いながらも、「おかしい人」ってバレないように周りに合わせて左側に立ってたりしていた。「おかしいのはお前らだが、特別をもってお前らに譲ろう」って思って日々暮らしていた。
しかし半年ぐらい前だったろうか、ふとTVかYoutubeだったかで説得力のある説を聞いた。それは、日本は江戸時代から歩行者は左側通行だったという。武士は右手で刀を抜くため、刀は腰の左側に付ける。だから、右側通行すると刀のさやを道側にさらすので、すれ違う武士同士のさやが当たってしまう。刀のさやが当たってしまうと大変失礼で、斬り合いになってもおかしくない事態なので、それを避けるために武士は左側通行をしていたという。その名残が今も日本に残っているというのだ。しかし大阪は商人の町なのでそういう武士的こだわりがもともとない町だったというのだ。
なるほど、と思った。私はこの説が正しいのかどうかは知らないが、説得力があった。というかその説が気に入ってしまった。「そうだ。武士ならば左側を歩かねば」と武士の血が騒いできたのだ。以来、私は喜んでエレベーターでは左側に立つようになった。サムライのプライドがくすぐられたのだ。
ちなみに私の先祖は、江戸時代前からずっとお寺だったことが分かっている。日本人ってあんまりご先祖さまが何だったかって知らないと思うのだが、うちの場合、お寺が何年に建ったとかそういう記録があるので分かるのだ。うちは父が長男ではなかったのでお寺は引き継いでないが。そういうわけで、仮に「血が騒ぐ」ということが物理的にありえたとしても、もともとサムライの遺伝子ゼロなので、騒ぎようがないのだが、なぜか騒ぐ。暗示にかかりやすいのだろう。
こういうことってありがちだと思うんだよね。「武士道」とか「サムライJapan」とか言われて、「そうだ、サムライであらねば。武士道とは死ぬことと見つけたり」って。サムライでも何でもないのに。
去年、NHKの大河ドラマで家康のことをやってた時、聞いたんだけど、愛知県って、江戸時代までは西の尾張地方と東の三河地方って分かれてて、文化的にも違いがあったという。それが明治になって廃藩置県になって、最初はだから別々だったけど、ある時、尾張と三河が合併して今の愛知県になったそうだけど、その時、お互いにずいぶん違うから合併することに抵抗があったという。特に、人口の多い尾張のほうが勢いがあるから、それに呑み込まれる形の三河のほうに抵抗が強かったそうだけど、それを解消したのが戦国の三武将だったという。つまり信長と秀吉が尾張地方出身で、家康が三河出身なので、戦国の世を統一して江戸時代という長期安定の時代を築いたいしずえとなった三武将を出した地方やぞ、と。これもプライドをくすぐる戦法やと思うけど、それで不満はおさまって「三武将を排出してわが県は誇らしいだがや」となったという。
人間ってそういうところがある。うまいストーリーを作ってやれば、今まで反対だった人を積極的賛成派に変えることができる。プライドをくすぐることができれば、根拠なんてなくても、人をその気にさせることができる。私なんか信長の時代に生まれてたら、武士に焼き討ちされて丸焦げになってた側なのにね。
というわけで私は今日も武士としてエスカレーターの左側に立っている。
ところで私はエスカレーターとエレベーターがどちらがどちらか今でも迷う。子どもの頃は、似てる名前を混同するのはしょうがない、大人になったら治るだろうと思ってたけど、けっきょく治らなかった。エレベーターは英国流にリフトって言えばいいのに。エスカレーターの立つ側は左側でいいから、箱が上下に動くやつはリフトって言ってほしい。
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