
ビビンバ
私は料理はわりと好きなほうだ。頭が疲れた時のリフレッシュ方法として、料理を作るというのはかなりすぐれていると思う。私のいちばんの楽しみは文章を書くことなので、文字という抽象度の高いものを見ながら長い時間を過ごしてそれによって疲れたりする。最近はほとんどなくなったけど、本を読んで疲れた時でも、文字以外のものを扱って手足を動かすということが気分転換になる。その時、ちょっと難易度が高い料理のほうがよくて、できたら初めて作る料理で、「こんなの作ったことないなあ。ちゃんとできるかな」ぐらいのものを作ると達成感と気分転換が両方得られる。
今日(正確に言うと日付が変わってしまったので昨晩だが)の夜ごはんは、冷ご飯が余っていたので、それでビビンバを作ることにした。前々日ぐらいにも余っていて、その時はエビを買ってきてエビドリアにしたけれど、今日はビビンバ。これは初めてではなくて以前にも何度か作ったことがあるけど、私が作る料理の中ではわりと手がかかる料理の一つだ。3色の野菜でナムルを作る。温泉卵も自分で作る。ひき肉を、レシピに書いてあるタレを調合して炒める。キムチだけは市販のものを使ったけど、それらをご飯の上に乗せる。冷ご飯はチンして少し温まったものをテフロン加工のフライパンで弱火でじっくり炒めるというか温める。その時、作ったナムルを少し混ぜたりする。それはレシピに書いてなかったけど、なんとなく、白いだけのご飯をフライパンで炒めるのも味気ないので色合いとして混ぜて。レシピは検索して上位に出てきたクックパッドのものを使った。料理って彩りが大事で、作った時の達成感にも関わってくる。「こんなカラフルなものを作った」というだけで満足感が少し上がる。
炒めた冷ご飯(に少しナムルが混ざっているもの)を丼によそい、ナムル、キムチ、ひき肉を盛り付け、真ん中に温泉卵を着地させ出来上がり。作るのに難しいものは何もなくて、しいて言えば温泉卵を熱し過ぎてゆでたまごにしないようにするぐらいで、でも別々に作るから多少時間がかかった。まず見た目が彩りがあるというのと、それから、安い食材だけでこれだけの見た目になるということが気に入っている。余ったナムルは後日野菜補給用の一品になるし。
文章というのは、自分が書くためにあるものか、人が読むためあるものか。自分しか読まない日記として書いたなら自分が書くために書いたのだと言えるが、noteにアップする積りで書いたものが、むくむくと膨れ上がり、書いても書いてもまだまだ続くという文章になった時、もう誰も読まないとしてもアップするのだが、人が読む気がうせるほど長い文章をアップする意味は何か??????と?マークが頭に浮かびながらそれでも書き終わらない。いろんなものに対して割り切れない思いを抱きながら、倒錯の深みにはまっていくような気持ち。まあ世の中すべて惰性だ。
私は以前やっていたブログでは、当初は、いろんな種類の記事を書いて、あれもあるしこれもある、みたいなおもちゃ箱みたいな世界にしようと企んでいた。しかし何年もたつうちに、どんなものを書いても全部自分っぽいな、華やかにはならずに単色になるな、ということを確認した。自分以外のものにはなれないのだ。でもこのnoteでも、同じ種類の記事を続けて書くのにはなんとなく抵抗感があり、一つ記事を書いたら次は別の感じの記事を書くほうが、自分にとっても心のメリハリがつくし、と思う。それで、心の方向転換をするのと、方向が違うから書くことを1から収集し直さなければいけなくなるので、どうしても毎日書くという感じになりにくい。だから記事と記事の間が3、4日あくのはしょうがないというか、それが自分にとって自然なリズムだと感じるのだが、そういうリズムが崩れて、一つの記事に何日も何日もかかってそれでも書き終わらないということが起こる。前のブログでもあったことだ。リズムよく歩きたいのだが、足が泥の中にズボッってはまってしまうような。今この時点で1650字ぐらいだがこのぐらいの長さでパキッとしたものが書ければいいのだが、こういうあとさきのない文章になってしまう。このぐらいの長さで起承転結のあるものを書く訓練もちょくちょくしなくてはいけない。
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