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情報社会の無知の知

 ネットサーフィンをしていたらCNNの「世界を変えた日本の発明25」みたいな古い記事があり、そこには「日本は発明の国だ」なんて書いてあった。
 我々は情報時代に生きていると言われている。実際そうだろう。情報とは何か?ということを考えるとなんか嫌になってくるんだよね。それは現実そのものじゃなくて現実から重要と思われることを抽出したものと言えるだろう。スポーツの試合だったら、スポーツって見て、結果が出るまでの過程をハラハラしながら楽しんで、その結果、勝ち負けに一喜一憂するものだと思うけど、情報って「どちらが勝った」っていう結果だけという感じ。それならまだ単に「味気ない」だけで済むけど、現実をどう抽出するかによってその対象がどんな性質を持っているかの印象が180度変わってくる。現実を抽出するということ自体はやむを得ないと思う。国会ひとつ取っても、すべての委員会の議論だけで一日24時間以上を超すからそのままでは人間には摂取不可能だからそれぞれの委員会でどんな議論がなされたかという結果とか要点だけまとめて、それで初めてたとえば総理大臣はそれらすべての「情報」を摂取できる。
 ある対象をまるまる摂取というか体験できないからそれらのうち重要と思われるものをピックアップしてその対象は「だいたいこんなもんでしょ」というふうにまとめたのが情報である。私にはこんなふうに思われる。1から100までの数字を知らない人がいたとして、その人に、100個の情報は多すぎるから1つおきにピックアップして「これが1から100までです」と示すとする。ピックアップの仕方が1つズレただけで「1、3、5、7、9…です」ってなったり、「2、4、6、8、10、12…です」ってなったり。前者の情報を示されれば「そうか数字ってみんな奇数か」ってなるし後者の情報を示されれば「そうか数字ってみんな偶数か」って、真反対みたいな認識に誘導される。
 なんか現実そのものは体験できないから抽出した情報で我々は世界観を形成しなきゃいけないんだけど、だからある対象がどうかって、情報一つで正反対のイメージになってくる。私も長く生きてきたからそういうことっていくらでもある。この記事冒頭のCNNの「日本は発明の国だ」っていうのも、私が小さい時聞いてた日本像と正反対である。昔は米国はじめ世界は、日本はオリジナリティがゼロで猿真似しかできない国と言われていたはずだ。他にもいくらでもあって、昔は、日本食は栄養が少なくて貧弱で、できたら西洋の料理とかを食べたほうが丈夫になるっていう感じがあったと思う。マクドナルドが最初日本に来た時、日本食じゃなくてマクドナルド食べれば日本人の体が立派になるみたいなことをマクドナルドの日本代表みたいな人が言っていた。今ではマクドナルドはジャンクフードであんまり食べるとよくなくて日本食はヘルシーですすんで食べるべきだって正反対になってる。
 日本語なんか傑作で、私が小さい頃は何て言ってたかというと、日本語というのはデリケートで特殊で、それを喋れるようになるほぼ唯一の道は日本に日本人として生まれることで、外国から来た人が習ってもよほど才能がなければ日本語を喋れるようになることはない、って言ってた。今ではコンビニのレジとか工場とかで外国人労働者が日本語喋ってるのでそういうことを言う人はもはやいなくなった。以前、あしやというロシア人YouTuberのコンテンツを聴いていたら日本語は習得が簡単な言語だと言っていた。やっぱ読み書きは非常に難しいけど喋れるようになるだけなら他の言語に比べて簡単だと。日本語が簡単だなんて、私は生きているうちにこんなことを聞くとは思ってもいなかった。他にもフランス人が欧州アクセントの強い日本語で、寝ぼけてる時とか疲れてる時はフランス語じゃなくて日本語が真っ先に出てくる、フランス語は難しいけど日本語は簡単だから、なんて言ってるのも聞いたことがある。私が小さい頃聞いてたのは何なんだよ?と思う。
 ちなみにこれは日本、日本語に関してだけ起こることではない。英語を喋る人は、外国人が英語が下手だと、なんでこんな簡単な言葉が喋れないんだ?と思うけど、その他の言語は、たとえばドイツ語なんていうかなりメジャーな言語でも、ドイツ語を外国人が完璧に喋れるようになるのはほぼ不可能だ、微妙なニュアンスは説明不可能だ、みたいなことをドイツ人自身が言う。広東語という、これも世界で最もネイティブ話者が多い言語の一つだと思うけど、習得するのが世界一難しい言語だと自分たちで思っている。たぶんそれは外国人で広東語を学ぼうという人がそれほど多くないからそういうイメージになってると思う。今の日本は、外国人労働者がどんどん入ってきてるからそうは言えなくなってしまった。
 あと、90年代あたり、日本とアメリカが貿易摩擦とかですごく仲が悪い時があって、あの頃は米国の雑誌とか読んでいても日本についてひどいことばかり書いてあった。読者の投書欄とかみても、「私は日本人と黒人のハーフだけど、日本人は本当に優しくしてくれるよ、もしあなたが100%の日本人だったらね」なんて皮肉たっぷりのコメントを見たことがある。去年ぐらいにYouTubeで見たけど、これは米国のブラック・ライブズ・マター運動を受けての動画だと思うけど、日本に住む米国出身の黒人が何人か出てきて、私たちは日本で幸せだ、ここでは米国のように私たちが黒人だからといって差別されることはない、って言っていた。30年前と真逆やんけ、って思った。まあ30年前から日本が変わったということはあっても、それにしても、って思う。我々はこの世界、現実を日々生きているけれど、それを情報という形でどう抽出するかによって真逆のイメージができる。情報社会ってそういうとこがあると思うんだよね。それはどんなに気を付けても不可避なことだと思う。だって普段自分のいちばん身近にいる人についてだって、一言言われたから途端にその人のことを嫌いになったり、逆に喧嘩してたのが「やっぱこの人いい人」みたいに180度イメージが変わる。
 今は日米関係はとてもいい。日本と台湾とかもすごくいい。なぜかというと中国の存在があるから。もし今の中国共産党の独裁体制が崩れて、もはや台湾に攻めてくる心配もない、民主的な体制になって国際的なルールになじむ体制にもしなって、ロシアも戦争やめて、世界の民主主義の国々の脅威がとりあえずなくなれば、その時はまた日本とアメリカのいろんな差が問題になってくるはずだし、日本と台湾の良好な関係も今と同じではなくなるだろう。日本と台湾は尖閣諸島の帰属問題をめぐって意見の対立があるが、今は中国の脅威に対して共同しなくてはいけないのでその問題は明確に棚上げして、政治マターにならないようにしている。だから中国の脅威がなくなったら、その問題は解凍されて現実の生々しい問題となってくるだろう。情報社会って、なんか色んな知識をたくさん取り入れて客観的で偏りのない世界観を我々にもたらしてくれるっていうイメージがあるけど本当は、真逆かもしれないイメージを信じ込まされている催眠術みたいなものでさえある。せめて「情報ってそんなもんだ」って意識することが大事だと思う。ソクラテスの「無知の知」ですね。

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