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ただの日記

今日はブラームスのピアノ協奏曲1番とチャイコフスキー交響曲5番とサンサーンス交響曲3番を聴きながらやんなきゃいけない準備とかを済ませようと思って作業に入ったが、手間がかかって、音楽も終わってしまったので予定になかったシューマンのピアノ四重奏1番とバーンスタインの不安の時代とドビュッシーの海を余計に聴きながら作業もきりのいいところまでやって途中で力つきて今から寝る。
私は世の中でいちばん好きなことは文章を書くことだが、昔は手書きで日記など書いていて、そのうちPCでタイピングして文章を書くようになって、少なくとも2倍以上の速度で文章が作成できるのでずいぶん便利になったと思った。村上春樹も最初は手書きで原稿を書いていて、「ダンス・ダンス・ダンス」からワープロで書くようになったというけど、そこで文体というのか、作品のボリュームがものすごく変わった。よく言えばスピード感とリズムのある文体、悪く言えばスカスカの文章になって、とにかく格段に読みやすい文章になったと感じる。手書きの文章とタイピングの文章は明らかに違う。手書きの場合は手が疲れちゃうし、思考と書くスピードの差を埋めるために極力文字数を節約するような文体になる。タイピングの場合そういう必要性が少なくなったぶん間延びした文体になる。
だんだんデバイスも小型化し、外出する時にも持っていきやすくなって、今はスマホとなるべく小さなキーボードをカバンに入れておけば出先でもタイピングで文章ができて、その時も便利になったなあと思った。そのうちスマホのボイレコに向かってベラベラ喋って、帰宅したらそれを文字に起こすということを数年前からするようになり、その時も画期的だなあと思ったけれど、ボイレコに10分話すと、文字起こしに小一時間かかってしまい、今現在30個以上の文字起こしができていないファイルが残っている。最近、人々のnoteを見てて、音声入力で文章を作るというワザが充分実用的になっていることを知り、使っている。たしかにボイレコに話しかけるようにベラベラベラベラと言うと、ワーッと文字に変換してくれる。但し誤字だらけで、あとで読み返しても意味が分からない箇所がよくある。人に話す時にはわりと気を付けているので5W1Hをハッキリと、なるべく単純に、ということを心掛け、ちゃんとした日本語になっていると思うが、自分で思いついたことを日記がわりに喋るのは、聞くのは他人じゃないという甘えがあるせいか、てにをはも無茶苦茶だし必要のない繰り返しとか係り受けが変な文章になっていたり、そこに誤字とか誤変換とかが頻繁にあるのでそれを直さなくてはいけないが、それでもボイレコの文字起こしよりははるかに短い時間でいちおう文章が完成する。しかしやっぱ話し言葉独特の間延びした感じが否めない。
言葉は読み書きという側面と聞いたり話したりという側面がある。文字と話し言葉というか。私はこの言葉に関して、文章といえば読む聞くの文字だけに関わっていたが、近年、読むかわりに読み上げアプリで聞き、文字入力も音声入力にしたり、最後は文字に行き着くのだが、その過程で音声を活用してものすごく生活が便利になったと感じている。でも私は自分のいちばん好きでこだわりがある「書く」ということに、音声の助けを借りてするようになり、今まで自分はこういう文章を書くという文体みたいなものに馴染んできたけど、音声入力をするとそれとは異質の文体になってそれが気持ち悪い。気持ち悪いけど便利なので、どうにか折り合いをつけたいというのが今年の秘かなテーマ。こちらがこの変な間延びした文体に慣れるか、あるいは書き言葉みたいなコンパクトな文章をそのまま喋れるようになるとか、あと、日進月歩で性能がよくなっていく音声入力がさらに進歩してストレスなく文章化してくれるようになったら私もスラスラ言えるようになるかもしれないし。寝るつもりだったところから少し文章を書き継いだが本当に寝よう。来る2,3日もいろいろしなくてはいけないことがある。まとまった時間ってないもんやねえ。それだからますますITの新しいワザのありがたみを感じる。しまいには、音声入力した文章をスマホの画面で見ながら「この文章を3行ほどいちばん下に持って行って、こことここの間に次に喋る文章をはさむ。いくで」みたいに歩きながらまともな文章が完成できるようなワザが1、2年後にできるんちゃうか。ちなみにこれは手で打って入力している。

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