共同親権の話

最近「パートナーとしてこれからも一緒に子供を育てていきます」という言質を目にすることが増えた。

なるほど確かに、親権が必ずしも母親に行かず、「元」夫婦で一緒に育てていってね、みたいな法案が成立したようなしなかったようなニュースは見た。

「親」にとってはどうなんだろうか。子供を産むことについて、少し楽になったのだろうか。

…では、「何も知らずに生まれた子供」にとっては?

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私は保育園の頃に、はっきりかつキッパリと「結婚なんてしないし子供も産まない」と言い切っている。

それがなんでって、自分も含め周りの人たちが、みんな辛そうだったからだ。

「こんなに苦しいことを、この先に続けていくべきじゃない」
当時4歳ぐらいの私はそう思った。

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自分が会社員になってしばらく、弟も仕事をし始めて、程なく一人暮らしをするようになった。姉弟のどちらも、なんとなくそれなりに、自分の食い扶持を稼げるようになった。

たまに会っていた父に、意を決して言ったことがあった。

「そんなに「アレ」なら、もう子供のことなんて気にしなくていいんだから、…別れたっていいんだよ」

父親は豆鉄砲を喰らったような顔をしていて、
それを見た私は、なんとなくほっとした。

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私は、子供のために自分たちの生活や、いいと思うこと、やりたいことを我慢して生き続ける人間を見るのが辛かったし、それは本当に自分たちのせいなのだろうと思っていた。
自分さえいなければ、この人たちは幸せだったのではないのではないだろうかと。

…でも、そもそも話が違ったんだよな。

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たまに実家に帰って、相変わらず昔の話を持ち出して悪口を言い合っている両親を見て、おそらくこれが本当の「人生のパートナー」なんだろうと思う。

お互いにお互いの「過去」や「未来」の話にしか興味がないのだ。

それが愛なのか?と言われたら、まぁ、それで五、六十年も一緒にいるんだから愛なんだろう。
少なくとも、私の両親は己のやるべき仕事と家庭をどうにかすること以外全く興味がなかった。
少なくとも、今の私はそう思う。

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散歩帰り、庭仕事をしている父親とどれがナスとかネギとかを話しつつ、玄関を潜った。
「お父さんどこ行った?」と母親に聞かれたもので、「ナスいじってたよ〜」と返した。

「こんっ…の暑いのにいつまでも若い気でいるんじゃないわよほんとに(呆)」

…なんだか本当に、自分の人生の掛け替えのないパートナーを労っているように聞こえた。
(そもそも自分の知っている両親が若くないしなんならとっくに後期高齢者なんだが、その割に頑張ってはいたのかもしれない。)

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イチ子供の立場から言えば、散々両親が破綻する覚悟はしていたとして(今思えば馬鹿みたいな杞憂だ。子供が生まれる前からとっくに十何年も一緒にいた夫婦だ)。
そして今となっては思う、そんなことは絶対に、いやでも繰り返しても選ばないんだろう。
…多分、お互いのことをなんだかんだと信頼しているから。

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私たちは散々振り回された子供ではあるけれど、子供が二人巣立っても、なんだかんだ好き勝手痴話喧嘩しながら生活している両親を見ていたら、なんとなく「それ」でいいんじゃないかと思った。
(なんかやたらデカくて黒ずくめな娘と息子に囲まれる老人、みたいな図はちょっと面白かったけど。)

そして、それが「誰かと結婚をして、子供を産んで、育てる」ってことなんだろうな。


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赤子の頃からここまで生かしてくれたんだから、もうそれは「ありがとう」なんだよな。

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で、

「パートナー」って、いい言葉だよな。
どうにでもこねくり回して、なかったことにもできる程度の、程よい言葉だ。

なんとなく好きな人といい感じになって、子供が産まれて、そんで。生まれた子供の両親のこととか、なんも考えてないまま、いい感じの異性を選んで、それでも離婚したら「パートナー」って。その後いい感じの異性がいてな。結婚したり離婚したりを繰り返して。

産み落とされた「子供」のことについて、なにか思ってんのかな。

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あなたたちが「なんの覚悟もなく産み落とした子供」をさ、ほんとにあんたらさ、死ぬまで育てる覚悟があるの?

そこだけがさ、本当にさ、私は疑問だし、腹が立っているんだなぁ。




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