劇団フジ『可哀想の人』を観た感想

友人から紹介され、観よう観ようと思いながら早数か月が経っていた。
やはり人、というか私は期限を決めなければ何もしない癖がある。
さすがに申し訳ないと思いつつ、余暇を楽しめなくなっていた私の手は重い。

それでもと、教えてもらったURLに飛び、会員登録を済ませてチケットを購入し、再生する。


~~~


「普通」。


あ、いや、これは感想ではなく。
面白かったです。はい。

気づけば時間を忘れて観終えてしまった。
いろんな言葉にならない気持ちが、ふわふわといくつも漂っている。

そんな中で一番乗りかと言わんばかりに出てきた言葉が、「普通」。
そして印象的だった、花蓮の感情が爆発し、紗理奈が謝るシーン。
何度も反芻しながら、少しずつまとめることにした。
(※個人的な解釈を多く含むのは見逃してください。これを言ったら許してもらえると思ってます。)


① 「普通」


今回の劇を観ていて、言葉が持つ難儀な性質を改めて実感した。
「ヤングケアラー」という、共通認識を持つために生まれたであろう言葉。
そして、最も「共通認識でしょ」感が強く、その実1人1人違うであろう「普通」。
コミュニケーションのためにある言葉が、相手を傷つけてしまうというなんとも悲しい現実だ。

でも社会で生きるということは、人と関わり、コミュニケーションをとることだとも思う。
言葉であれなんであれ、お互いの価値観を、「普通」をぶつけ合うことになる。

もしかすると、人と生きていくということは、お互いの「普通」を壊し合うことなのかもしれない。
壊す、というと暴力的な印象になるけど、そうではなくて、、、ダイヤをダイヤで削るような。

中学生の花蓮にとっては、多忙の日々こそが普通だった。
普通じゃないかもしれないけど、それが私の毎日だった。
その一方で、紗理奈にとって「中学生がこんなにも苦労しなければいけない、ヤングケアラーは可哀想」という認識が普通だった。
花蓮は感情を爆発させた。なぜそんな目で見られなければいけないのかと。
そして、紗理奈は謝った。自身の「普通」を壊したのだ。


あともう一つ、このシーンを振り返って思うことがある。
私はてっきり、「普通」というのは人それぞれにあると思っていた。
でも違うのかもしれない。「普通」は、同じ人でも年齢によって違うのかもと。
当たり前のことを言っているのかも知れない。でもそんなことを考えたこともなかった。
中学生の頃の私と、大学生の頃の私と、今の私が思う「普通」は違う。
「自分は自分なんだからずっと同じだ」と思ってたけど、どうも違うと感じる。

そして花蓮も、成長の仕方によっては、将来似たような子を見て「可哀想」と言わないと言えるだろうか。
言わないとしても、その状況を問題だと捉えて「周りに頼るんだよ」というような働きかけをしないだろうか。

意地の悪い言い方をしてしまった。別に悪いことじゃないし、むしろ相手を想うことは素晴らしいことだろう。
ただ想ったつもりでも、それが相手や誰かを傷つけてしまうことはざらにある話で。ましてや、会話の流れで出る言葉全てに気をつけるのも、中々に難しいとは思う。意識の問題と語彙力のなさがごっちゃになることだってあるし。何を言うか、何を言わないかも大事だけど、それ以上に相手が何を言おうとしているのかを考えられるようでありたいなとは思う。変えられるのは自分だから。

とか言いながら、全然腹立つこともあるだろうけどね。


この社会で生きて、人と関わって、自身の「普通」がどんどん削れていって。それが成長するということかもしれない。
そうしてお互いを削り合って、宝石のような、多面的でいくつもの光を反射する美しい社会ができあがるのかも、なんて。
最後は受け売りです。知ってる人は知っている。


② 前2作品と比べて


そういえば。前2作品の「おとな食堂」、「一縷の人生」と比べて、なんか今回は毛色が違った気がする。
なんというか……ドラマっぽくないんだよな。
主人公のような軸になる人や、みんながいつもいる場所って感じじゃなくて。部屋、路上、会社、地域といろんな場面があって、それぞれの生活があって。
あぁ、きっとどこかでこう思ってる人が今いるんだろうなと、リアリティがあった。「事実は小説よりも奇なり」という言葉が思い浮かんだ。観たのは劇だけど。

路上と言えば。自分でもびっくりするくらい急だ。
藍歌は花蓮のことを確か「いつも買い物袋を持ってて~」みたいなこと言ってたよな。
それって、事実を言ってるだけだから聞こえは全く悪くないけど、これも「あまり見ない、普通じゃない」という認識のもとじゃないだろうか。
きっと藍歌自身、聴きに来てくれる人の一特徴って感じで言ったのかもしれないけど、それが花蓮にとっては話しやすかったのかもしれない。
まあ、知らない人から向けられる同情よりも、気になっている人から意識を向けられる方が嬉しいからね。知らんけど。


うん。うん?
ここまで書いて、気づけば数日。段々と意識が……じゃない、記憶が朧げになってきた。
博物館や美術館で説明を読んでもすぐ忘れる私はいつもこうだ。
だから、その時感じたこと、考えたことを大事にしている。
そうすれば、芋づる式に思い出せるから。備忘録を残しておけばもっと安心。
ということで、ふわふわと漂っていたことについては書けた気がする。
でも反芻しているとさっきの路上のシーンみたいに、そういえばってなることもあるから。一人ひとりにフォーカスを当てるのが楽しい作品でした。
これ以上書き出すと終わらないので終わるけど。
改めて、面白かったです。
皆様、ありがとうございました。お疲れ様でした。


大丈夫。忘れないよ、あのシーンの言葉。





「セクハラになっちゃうかぁ!!」

未来の私、気を付けなよ。
はい……。

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