限りある自由

月曜日  夜
サザエさん症候群を抱えることなく、むしろ「え、もう月曜日終わるの!?」という気持ちの今日この頃。気づけば水曜日になって、と思ったら金曜日になって、また月曜日がやってくる。そんな日々。

あるニュース記事を読んだ。
「コンビニの食品製造工場の劣悪な環境、おかしい。でもそんなブラックな環境でないと成り立たないシステム、社会もあるのだろう」といった感じだ。
そんなに残業してまで数を作らないといけないのだろうかと、いやいや雇用があってどうのこうのでと絡み合った紐を数人で眺めるような気持ちになる。

飽和状態を作るというのはある種誰かを救っていて、同時に無理を強いられる側面を持ち合わせている。選択肢はあるに越したことはないが、限りあるからこそ良くなるものもあるだろう。

ある研究では、掻い摘むが「空腹の時間を設けたマウスの方が長生きした」という。人間ではどうかはわからない。私は長生きしたい人だが、美味しいものを食べていたいし、筋トレも考えると何か食べていたくて、この研究内容を見た時は少し、いやかなりショックを受けた。でも空腹は最高のスパイスか。えーと。脱線もいいとこだ。オチも筋もないし。

でも確かに、制約があるからこそ楽しいと思うときもある。ゲームバランスとか、時間とか。寿命もそうかもしれない。まあ、健康だから言えることで……。

とはいえ、別に緻密な人生設計がある訳でもない。いつまでにこうなりたくて、そのためには今から頑張って、と行動するのはいいことだけど、それが全てとも思わない。制限があるから、今頑張れ!と無理強いしたくない。それでも決められたゴールに1歩1歩近づく足は止まらない。そして、ゴールにたどり着くかもわからない。せっかくだったら、私はゴールの景色も楽しんでみたい。私には私という無限の制約があるからこそ、楽しくて、辛くて、退屈で、忙しなくて、その他もろもろなこの時間が愛おしいのだ。制約と自由は両立するのかもしれない。その気にさえなれば。

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