【ご褒美ありき】ではなく。
ひとつ前の記事に続きます。
過去ブログを読み返してて想ったんです。
【食べること】に関しての記事が多いことを・・・
アトピーを治すための【食変容】が続いてたのですから、
当たり前といえば、当たり前なんですけど。
当時のわたしが【一生懸命 変容に 適応しようとしていた】ことが伝わってくるんですね。
それは、言い換えると【一生懸命 受容しよう(女性性)と していた】ということで。
ミッションも何もかも、全てが終わって。
今、改めて あの当時の記事を 順に 読み返してみると、
「わたし、まるで ピエロみたい。」
という、拗ねた感情も、やっぱり上がってくるんです。
これが、先日、女神ソフィアが言っていた【ふてくされるような氣持ち】ということでしょうね。
「わたしだけ (ミッションのためだったと)知らなかったなんて バカみたい」
「子どもの頃から食べることが好きで、何度も、そのことをブログに書いてきたわたしが、
何の因果か【ブレサリアン】に向かって。
これからずっと【ブレサリアン】なんだ。と、信じて 受け容れたのに。」
とかね。
時間をかけて、【変容に次ぐ変容】を 受容し続けて、
「ここから、人生まだ何十年もあるのに、わたしは食べる楽しみを手放してるのか・・・」と、自分を納得させて。
・夫と楽しんでいた食べ歩きも、
・親しい人たちとの楽しい飲食も、
・旅行先での食べる楽しみも、
ここからは「すべて手放す計画なんだ」と、
【味氣ない在り方】に寂しさを感じながらも、受容してきたのに。
それが、その努力?が、なんだか【滑稽に思えてしまった】のが、ミッションの全貌を知った時。
泣けてしかたなかったのは、そんな想いも混ざったからで・・・。
【ブレサリアン】に移行しながら、体重を落としながら、
・ガリガリの体じゃ、温泉すら楽しめない。
・旅館に泊まったところで、美味しい食事すら楽しめない。
なんてことが わかって、
自分も寂しいけれど、
これまで 共に旅行してきた夫や母の楽しみも 半減させてしまったようで。
それが なんだか 寂しくて。
そんな想いを、密かに封じながら、
「でも、計画なのだから」
と、受け容れ続けてきた あの頃。
今回、こういう想いを一通り浮上させて 想ったんです。
「せめて、教えて欲しかった」
「『ブレサリアンに至った後は、食べる楽しみが戻ってくるよ』とか、『ブレサリアンは一時的だよ』とか・・・」
「【ご褒美が待ってる】と分かっていたら、もっと、楽に居られたかもしれないのに・・・」
ここまで浮かんで、氣づきます。
「いや、違う!
【ご褒美在りき】は違う!
【ご褒美ありき】じゃなく 受け容れるのが、本当の受容。
それが、【あるがままに 受け容れる】ということ。」
女性性の【受容】の強化は、
今回のわたしのような、
【先が分からない状態で】
【未知なる状態で】
【あるがままに】
受け容れることでした。
かつて、何度も、記事にしてきたとおりに・・・